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日々是好日を綴る

閑栖・矢岡正道 本山東福寺での法話(令和5年5月)

 令和5年5月の本山東福寺(京都)での総代役員研修会にて矢岡正道閑栖和尚が法話をいたしました。法話の原稿を載せますので、よろしければどうぞお読みください。


令和五年五月二十四日 大本山東福寺 全国総代 恵日会 役員研修会にて

九州20教区  正法寺 閑栖 矢岡 正道

 

皆様、今日は。昨日から、全国総代恵日会役員研修会ということで、お忙しいところ、ご参加ご研修頂き誠に有難うございます。お疲れでしょうが、色々、御勉強御参考になったこともあられたかと思います。

本日私が、駄弁を弄しまして、しんがりを勤めさせて頂くことになりました。九州佐賀県二十教区の正法寺と申します。つい最近後を若和尚に譲りまして、隠居となりました。隠居の事を禅寺では閑栖というんですが、何も完成されたという意味ではありません、閑かに栖む、と書きます。そこで、御本山に、これから閑かに栖みますので、最後に何かお勤めをさせて下さいとお願いしましたところ、この大慧殿でお説教をさせて頂くことになりました。本当にありがたいことであります。                   

 そこで張り切りまして、色々資料を集めたり、勉強をしなくてはならないと、思っていた矢先、丁度今回、東京上野の国立博物館で 東福寺特別展が開かれているとのことで、早速観覧に行って参りました。コロナもそろそろ規制解除と言うことで、平日にも拘わらずたくさんの人出、木村多江さんの音声ガイドに導かれて、二時間半ばかり国の国宝重要文化財ばかりの展示品仏像、墨書、絵画に圧倒されました。御開山聖一国師を始め、歴代の管長様の御像や、画僧明兆の壮大な五百羅漢図、白衣観音図、三十三観音図、二天立像、釈迦如来像、等々、息をつく暇もない程の時間でした。

 

①円鑑禅師の遺偈

 帰りがけ、折角東京まで来たという事で、東京に住んでいる、中学時代の親友と、上野の不忍池のほとりにあるうなぎ屋で合い、色々と昔話をしました。他愛もない話をして、お互い今度又いつ会えるかわからないね、などと言いながら、わたしは、今度上京した訳を言って、御本山で最後の説教をするんだけど、なかなかむずかしい。色々な立派なお坊さん方が、最後に遺偈と言う漢詩をのこしておられる。東福寺派の20教区からは第六世管長になられた円鑑禅師と言う方が出ておられて、こんな遺偈を残しておられる。

  無生の一曲調べ指端に入り、九山崩倒八海枯乾(くざんほうとうはっかいこかん)

無生と言うのはお悟りのこと。九山崩倒八海枯乾、と言うのは、昔のインドの世界観で、この世には九の大きな山それを取り巻く八っつの大海がある、その九の山が崩壊して八つのの海が干上がってしまった。要するに、私が悟りを開いたのでこの幻の世界が全てバラバラと崩壊して消えてしまった、と言う、壮大な遺偈だ。私もまあ、ここまでは行かないまでも、長い間坊さんをしてきて、ちょっとは、お悟りに近づけたかなあ、と言う話を、今度御本山でしてみたいと思っている。……… と言った途端、目の前にあったウナギのかば焼きが飛び上がって、かば焼きのたれがテーブルの上に撒き散らされ、ついでにつまようじが床の上にばらばらと落ちて行った。あっと言う間の出来事であります。友達も目を白黒させてそれを見ていました。慌てて仲居さんがやって来て片づけながら、たまにはこういうこともありますよ、と慰めてくれました。あまり、分不相応なことを言ったので、ばちがあたったのかなと思いながら、年寄はこれだからしょうがないと、思われているのかと恥じ入った次第です。要するにたれをかば焼きにかけようとした手許が狂って、慌てた結果こういうことになったわけです。

さて、この圓鑑禅師と言うお方は九州二十教区の高城寺と言うところから出られて、御本山東福寺の第六世管長になられた方です。円鑑禅師の弟子、深海明弘禅師が私どもの寺肥前正法護国禅寺の御開山で、爾来、正法寺と高城寺は深い法縁があり、私もこの高城寺をつい最近まで兼務させて貰っていまして、今は後輩に譲っていますが、今回国立博物館の会場の入り口を入ったすぐのところに、ご開山聖一国師の御遺偈のすぐお隣に、この圓鑑禅師の座像が、二つも並べられているのを拝見して、こんなにもすばらしい方だったのかと、改めて感動いたしました。なにしろ、東福寺の四本柱の一人といわれているお方でした。

 この圓鑑禅師の遺偈の最初、無生の一曲の無は、又、不生の一曲とも言うことが出来ます。無、とか不と言うのは般若心経によく出て来る言葉ですね。後に来る言葉を否定するものです。従って無生と言うのは生が無いという事、これがお悟りだ、と言っているのです。それが指端に入る、身体全体に染み渡った。九山崩倒八海枯乾、世界は夢幻のように消えてしまったぞ。と言うわけです。これが仏教の言わんとしている、ところであります。むずかしいと思われるでしょうが、これからの僅かな時間できるだけお話して見ようと思います。                 

 

②臨済禅師について

さて、私たちの宗派は臨済禅宗と言うんですが、これを開いた和尚様は臨済和尚と言う方です。この方は山東省の生まれで、勉学にすぐれ、得度して最初は色々なお経を教える学問所で戒律とか経論を学んでいた。しかし、こういったお経や戒律は、如何に人生を生きて行くかと言う処方箋に過ぎない。いわゆる処世術だ。自分は本当の事、真理を知りたいんだと言うことで、教外別伝、お経とは離れたところに本当の真理が有るんだと言っている禅宗に入りました。                     

最初、黄檗禅師の弟子になって、仏教の根本の教えとは何ですか、と聞いて、棒で三回もぶったたかれた。そして、知り合いの大愚和尚のところに行け、と言われたので,行って、一部始終を話すと、大愚和尚は、「黄檗さんはまるで世話焼き婆さんのようにあんたを三回もぶったたいて、教えてくれたのに、あんたはまだわからんのか」。これを聞いた臨済さんは即座にその場で悟りを開いた、と言われています。

これは、どういうことでしようか。三回もぶったたかれたことが悟りに繫がった、という事は。

 

③梵天勧請

ところで、お釈迦様がお悟りを開かれた時、所謂、梵天勧請と言うのがありました。お釈迦さまは自分の悟りは、普通の人には分からない事だから、自分は沈黙を守る、と言われたのですが、梵天様と言う方がそれでは人類のためにならない、是非話してくださいとお願いして、お釈迦様は説法を始められたということです。 

 

④実体否定論

 さて、話は戻り、臨済禅師が黄檗に三度ぶっ叩かれて悟りを開いたのはなぜか。それは黄檗の棒で徹底的に自分と言う者を叩き出されたからです。自分が自分だと思っている自分。お前が考えているような自分などと言うものはどこにもないぞ。目を覚ませ。という事なのです。これを、実体否定論と言います。お釈迦さまの言説を伝えている最も古いお経の中では、「太初以来、この現実世界に何かが生まれたと言うことは、無いのだ。我々が自分が存在し、世界が存在すると考えているのは夢幻だ」と書かれています。さあ、これが一般の人にすぐ理解できるでしょうか。

この実体否定論、実体がないと言うのはどういう事なのでしょうか。今年の三月十二日、佐賀県で将棋の藤井聡太王将が羽生善治九段と対局し、見事勝利して王将を守りましたが、この将棋というもの、一体何でしょうか。この将棋は、そこに 将棋盤があり、駒があり、ルールがあり、対戦する二人の棋士がいて、初めて成り立ちます。いろいろな要素が集まって、ご縁が出来て初めて将棋が行われるのです。そう言う意味で将棋は出来事であって、実体ではない。将棋と言う主体がそこにあるわけではない。あるように見えますが。つい最近のWBCの野球もそうですね。何万人もの人が球場に集まって、大谷をヒーローとするベースボールに熱狂している。あたかも野球と言う神様がそこにいて、全ての人を熱狂させているかのように見えます。しかし、この野球も、ルールがあり、9人のチームがあり、審判がおり、野球場があり、何万と言う観客があり、本当にたくさんの要素が集まって、そこに成立しているのであります。

この様にいろいろな要素が集まって何かがそこに存在するかの如く見えるのを、仏教では仮和合と言います。お釈迦さまは、人間もこの仮和合だ、と、いっておられるのです。つきつめれば、将棋や野球とあんまり変わらん、というわけですね。

今の人類らしきものが発生したのが、およそ500万年まえのアフリカだと言われています。仮に一世代が二十年だとすれば、二十五万世代に渡る御先祖様の遺伝子を我々一人一人が受け継いでいるわけです。この二十五万世代に渡る様々な要素と、今の自分を取り囲む環境、人間関係、祖父祖母、父母、兄弟姉妹、こどもや孫、職場や社会的要素、歴史的要素、これらを数え上げると、将棋や野球の比ではありません。そう言った、気の遠くなるような、無量の要素の仮の和合によって、人間はここに存在しているように見えている。言い方を変えると、人間と言うゲームが成り立っている、と言うのが、仏教の立場であります。

 

⑤最古の仏典 セーラー尼の話 「あなたは何者か?」 

お釈迦様が亡くなられてから、百年後ぐらいの聖典にサンユッタニカーヤと言うのがあります。これは現在のところ、お釈迦様のなまの教えを伝えた一番古い文献だと言われていますが、その中にこう言うお話があります。

 ある時、尊師は、サーヴァッテイと言う町に止まっておられた。その時弟子のセーラー尼は、早朝に衣を付け、鉢と衣とを手に持って托鉢のために村に入って行った。そこで托鉢を行った後に、食事をとって、さて、昼間の休息のために薄暗い密林に入った。そして、ある樹木の下で静かに瞑想していた。その時悪しき者、悪魔は、セーラー尼に身の毛もよだつほどの恐怖を起こさせようとして、セーラー尼に近づいた。近づいてからセーラー尼に向かって、詩を以てこう語りかけた。「誰が今のこのあなたをつくっているのですか。あなたはどこの誰ですか。あなたは、どこから生じて、どこで滅びるのですか?」これを聞いたセーラー尼はこう考えた。「この詩を唱えている者は、誰なのだろう。人間なのであろうか、それとも人間ならざる者なのであろうか」と。

続いてセーラー尼はこのように思った。「これは、悪しき者、悪魔が、私に身の毛もよだつほどの恐怖をおこさせようとして、瞑想をやめさせようとして、詩を唱えているに違いない」と。そこでセーラー尼は悪魔に、この様に答えた。「この私はどこの誰でもない。原因によって生じ、原因が滅びたなら私も滅びる。例えば、種が落ちれば、土の栄養素と光と水とに依って生えて成長しそれらがなくなれば萎れて枯れるように、原因によって、生まれ、原因がなくなれば滅びるのである」これを聞いた悪魔は、「セーラー尼は 私のことを知っているのだ。と気付いて、打ち萎れ、憂いに沈み、その場で消え失せた。     

悪魔は、セーラー尼に質問して、彼女が、「自分はお釈迦様の弟子でセーラー尼と言う者だ。今ここで坐禅修行をしているのだ」と言うのを,待っていて、その場で地獄におとしてやろう、と考えていたのです。彼女が、自分はどこの誰それで、どこで生まれて、いつかは死ぬだろう、と言ったら、それは彼女が自分が確固とした実体である、ひょっとしたら、自分に執着し、この自分が永遠に存在することを願っている実体である、と認めたことになります。ところが、セーラー尼が、自分は原因と結果による仮和合によって、ここに存在するように見えているに過ぎない、もともと、どこの誰でもないんだ」と答えたので悪魔はセーラー尼を誘惑することに失敗し、逃げて行ったのです。存在しないものを誘惑することは出来ません。

 

⑥赤肉団上に一無位の真人あり

臨済禅師のお言葉に、「赤肉団上に一無位の真人有り」 と言うのがあります。赤肉団と言うのはこの肉体のこと体のことですね。禅宗のお坊さんはよく恰好つけて、くそ袋と言ったりしますが。まあ、そこに一無位の真人あり。位と言うのは、先ほどもいったように、自分がどこそこの誰かである、という事。お釈迦様の弟子である、男である、女である、社長である、社員である、農業をやっている、漁業だ、金持ちだ、貧乏だ。若者だ年寄りだ。お国から勲章をもらった、そんなものは貰っていない。そう言ったことですね。全てある意味で自分のブランドである、仏教的に言えば執着の対象である。これらを全て取っ払った、名指すことの出来ない無位の、真の人がいるぞ。ということであります。いる、と言うと、ちょっと語弊が有るかもしれません。自分が色々な原因と結果によって、色々なものの寄せ集めに依って、仮にここに存在するかのように見えているに過ぎないと、言うことが分かっている自分、自分が存在しない、全てが夢幻であるという事が分かっている自分、これが、「赤肉団上に一無位の真人有り」ということになります。臨済禅師が黄檗に三回も棒でぶっ叩かれて、余計な自分を叩き出されて、悟ったことがこの無位の真人、という事であります。真っ裸の人であります。

 話がかなり難しくなったようですが、ご安心下さい。後の方で、リラックスしたお話もさせて頂きます。まあ、しかしここは話の流れ上、もうちょっと七面倒くさいお話にお付き合いください。

 

⑦「ダーウインの進化論」が説いた生命とは

さて、この無位の真人、いわば本来的な生命と言うものを現代科学、特に生物学ではどう見ているかと言うことを参考までにご紹介して見ようと思います。   

NHKテレビで「ダーウィンが来た!」という番組がありますがこれは、今では常識となっているダーウィンの進化論をもととしたドキュメンタリー科学番組です。弱肉強食の世界。豹やライオンが草食動物を襲ったり、逆に孤立した肉食動物を草食動物が集団で威嚇したりします。そこに善悪や綺麗汚いという概念はありません。全ての生命が、自分の遺伝子を残すために、あらゆる策略や力を駆使するかのように見える世界です。コペルニクスの地動説が、人間の外側の世界の見方に関する大転換であったように、人間の御先祖様が猿であると言うダーウインの進化論は、人間と言うもの、生命としての人間の内側の世界についての画期的な大転換をもたらしたのです。しかし、日本では、小学生にも教え、誰もそれに疑義を差しはさまないのですが、世界的にはこの進化論を信じない、人間に対する冒とくだと思っている人々が少なからずいるのです。地動説をまだ信じていない人もいるということですので、世界は広いものです。この人たちにとっては、じぶんたちが今まで慣れ親しんできた考え方、或は特定の宗教の教えが身に沁みついていて、それが常識になっている、その常識を変えるのは非常にむずかしいのです。人間には魂というものがある。神聖にして犯すことの出来ない、永遠に滅びない魂というものがある、という事ですね。

 ところで、この進化論、つきつめれば、人間の御先祖様は猿どころか、コロナとおなじウイルスになる、ということです。

四十億年も前、まだ地球上に生命が生まれてない頃、そこには、水、二酸化炭素、メタン、アンモニアなどの単純な化合物のスープが存在した。これに、太陽エネルギーや紫外線が作用して、たまたま偶然に、自分自身と同じものを複製する性質を持つ分子集団が生まれた。この偶然に生まれた分子集団を「自己複製子」と呼ぶ。まあ、この「自己複製子」なるものがたまたま偶然に発生したなどということは人間的時間概念では到底考えられない驚くべきことですが、大宇宙の時間概念、数十億年、数百億年数兆光年と言う時間の中では、ありうることなのだそうです。この自己複製子要するにコピーですが、これが複製する時に偶然起きて来るエラーによって様々に変化し、その中で生き延びることが出来たものだけが、次世代の複製子を産む。これを進化と呼びその結果現在の遺伝子の原型なるものが出来た。これがウイルスと呼ばれるもの、コロナウイルスもこの一種だそうです。この遺伝子は更に自己複製を重ねるために様々な策略を駆使し、ついには細胞なるものを造って自分を安全な室内に保護した。科学者は、この遺伝子が自己複製をしようとする欲望、これが全てだ、と言うんですね。いや、欲望と言うのは人間的な見方で、科学者からいえば、単なるメカニズムだという事になります。たまたまそういう原子や分子の配合が出来て、それがどんどん自分を複製して行く、これを進化と呼ぶ。細胞が出来てから進化の原理により、現在の人間が形成されるのは、あっと言う間の出来事であった、と言うことです。

 普通我々はこの世界をみて、規則的な天体の運行、植物や動物の持っている素晴らしい形や働きの精巧さに感嘆し、これはきっと、これを考えたデザイナー、創造者、神みたいなものがあるに違いない、そしてそこにはこのデザイナーの持っている目的があるに違いないと、敬虔な気持ちになるんですが、進化論ではそうは考えません。生命はこの自己複製をすると言うメカニズムとそれに付随する自然淘汰によって、外部からのコントロールや目的なしに、丁度盲目の時計職人が何も考えずに鮮やかに時計を創っていくように、自動的に増殖し進化していくものだ、と、これが進化論の主旨であります。

 デザイナーもいない、目的もない、ただ最初に宇宙の中で起きた偶然によって、進化しながら自動的に増殖していくもの、これが生命であり、人間である。と言うのは、今まで人類が持っていた人間観とは、まったくかけ離れたものです。もしこの進化論が正しいとするならば、これは人間観における、コペルニクス的大転換だと言わざるをえないでしょう。しかし不思議と言うか、知的教育の行き届いた日本では、これをなんの疑問もなく自然と受け入れているようであります。

 この人間観、ひょっとして、臨済禅師の言われる無位の真人とどこか通ずるものがあるのではないか。この辺はよく考えて見なくてはならないところだと思います。お釈迦さまが全ては夢幻であると言われたことと、この、作者もなく目的もなく、唯盲目的に自分のコピーを造って行くだけの生命体と言うもの、それは、実体がないということにおいて、同じではないか。それが分かった上で、この夢幻である人生、自分と言うものを、まるで映画館に入って映画をみるように体験して行く、これが目覚めた人、無位の真人の姿ではないでしょうか。この時、無位の真人は外から人間を見ている大宇宙と同じですから、大宇宙と一体化していると言えます。しかしそれさえ、夢幻である。とお釈迦さまは行っておられるのです。まあ、すべてはブラックホールに吸い込まれますよ、ということでしょうか。

 

⑧永遠を求める

さて、閑話休題。話はがらりと変わりますが、佐賀県唐津に、高島と言う小さな島がありまして、ここに宝当神社と言うのがあります。文字通り宝に当る神社ですから、宝くじの祈願所になっております。昨年の暮れ知り合いの坊さんと三人で年末ジャンボ宝くじを買いまして、当選祈願に行って参りました。昔から神仏混交でありますから、別に坊さんがお宮で祈願してもおかしくはない。ちゃんと二礼二拍一礼して、神様、どうぞ六億円を、無理でしたら一億、まあ今回はせめて百万円でも、しょうがない一万円にしとこうかと、お参りして来ました。帰りに車の中で、三人のうちの一人が言うんですね。あんたらみたいな生臭坊主は神様もとっくの昔に見放しておるから、絶対に当らんばい。しかしおれは、当たる。こう言った。何、あんただっておんなじ生ぐさ坊主やないか。なぜあんただけ当って、わしらが当たらんのじゃ。あんた達は、あそこの本殿の前で、拝んで拍手しただけやないか。そんなもん、みんなしとる。ちょっとは違ったパフォーマンスをせんと、神様も振り向いてくれん。あの御本殿の裏側に、草ぼうぼうの空き地があってな、そこに汚いぶくぶくに太った野良猫がひなたぼっこしとったんや。そいつをわしはごろごろして可愛がってやった。だからわしは当たる。何故、そんなことくらいで。あれがご本尊の化身の招き猫ばい。

 なるほどと、思いましたね。しかしこの人、本当に当たったら猫かぶりして誰にも言わんかもしれませんね。まあ、こんなつまらん話をしながら帰って来たんですが、なんとこの時、三人とも一万円当たった。神様も、坊さんが三人も並んでお願いに来たので、少しはサービスをしてくれたのかも知れません。

 勝手なことを言っておりますが、いずれにしろ宝くじで一億円当たる確率は何百万分の一もないんですから何でも言える。それが又楽しいんですね。さあーそろそろ確立の話が出た。お説教をよく聞きなれている方はわかりますね。ああ、又あれかと思っていらっしゃる方何人かおられると思います。その通り、皆様がお亡くなりになる確率のことです。さあ、何パーセントでしょうか。勿論百発百中、100パーセントであります。人類の歴史上この例外はありません。大隈重信は人間寿命120才説を唱えましたし、達磨さんは150才も生き永らえて、毒を盛られて死んだと言う話がありますが、いずれにしろ程度問題です。今のところ人間は必ず死ぬという事になっています。にも拘わらず宝くじと同じで、自分が本当に当たるだろう、死ぬだろうと思っている人はいないのです。これが不思議ですね。「今までは人が死ぬると思うたに、わしが死ぬとはこりゃたまらん」と江戸川柳にあるとおりです。自分の死と言うものはこれ程実感のないもので、考えようによっては、ありがたいことです。

 これが、仏教の教えでは、皆さんが一番よく知っておられる、諸行無常ということであります。全ては移り変わっていく。我々の命もいつかは移り変わり、涅槃と言う浄土に入って行くのです。身近な体験から感じられる一番分かり易い真理です。しかし、人間はこれを認めたがらない。無位の真人にならないと、なかなか難しい。俗な言葉で言いますと、「死んでも命がありますように」と言うのが人間の本音であります。死んでも命がありますように、と言うのは、永遠に続く何かがあるんではないか、という事になります、これは諸行無常の真理に反していますが、ここから、いわゆる魂の問題と言うのが出てきます。

 

 

⑨生命の死に面して

  昨年の9月に、七十才になる弟をなくしました。4才年下の独身者でよく人生のこと、哲学のこと、仏教のことなど語り合ったのですが、肺がんでした。7年前に片肺を切除してよく耐えていたんですが、再発して、だめでした。お互い、死んだら何もないのが一番楽でいいね、などと話し合っていたのですが、亡くなる直前に、「やっぱりなにかあるかもね」と呟きました。そこで臨終の耳元で、向こうに行ったら、親父やおふくろがまっているから安心しろよ、と叫んでやった次第です。独身でなかなか仕事もうまく行かず、晩年は私の傍で暮らしていました。亡くなってから三日目の朝早く、三時か四時頃でしたか、寝ている私の耳元で、多分外の竹林からか、クークークー、バタバタバタ、チチチチ、とまるで生まれたばかりの小鳥がほかの鳥に襲われて逃げていくような悲しい鳴き声がしました。本当に耳元でしたんですが、遠のくように消えて行きました。ああ、弟の魂が行ったな、と思いました。

 三年程前の6月には、十二年間飼っていたビーグルの雄犬が亡くなりました。年のせいで皮膚病なども出まして、まあ、動物は言葉が言えませんから自分のことを訴えることもできず、ほかにも悪いところがあったのでしょうが、かなり弱っていました。夏は越せるかな、と思っていたのですがやはりダメでした。外のガレージで飼っていたのですが、最後の2週間は、私たちが寝ている庫裏の土間に入れてやりました。苦しいのか荒い息をしていましたが、夜中の2時頃でしたか、「ウオー、ウオー、ウオー、」と三回吼えて息をひきとりました。寝ていた私はその声で眼が覚めたのですが、後に続いた、深い静寂で、犬が死んだことを覚りました。生き物が死んだ後には、本当に深い静寂が訪れるのだ、と分かりました。以前飼っていた犬がよく吼えたため、このビーグルには「黙」と名付けたのですが、以前以上に吼え、おまけに猟犬の習性を持っていて、猫や子犬に吠え掛かることが多かったので常に鎖で自由を奪わざるを得ませんでした。死ぬ数日前に見せた恨めしそうな表情が忘れられません。最後に三回吼えたのは、どんな挨拶だったのでしょうか。

  又、最近、弊寺に入檀されたばかりのAさんの奥様がお亡くなりになられました。5年来のがん治療で、最後の2週間は、ご自宅でご主人が看取られたそうです。癌を発症されてからお二人は、月に数回近くの小高い丘の上にある巨石群、巨石パークと言うのですが、そこに登るのを習慣にしておられました。いわゆる、パワースポットということで、登るうちに癌が治癒した人もいる、との評判でした。病気が進行するにつれ、やがてそれも出来なくなり、奥様は入院状態となられたのですが、お亡くなりになる2日前に奥様は御主人に、こう言われました。「あなたの心の奥が、本当によくわかったわ、ありがとう。」これが最後の挨拶でした。生前のお写真等拝見しましたが、本当に仲の良いおしどり夫婦、と言う印象でした。

 Aさんの奥様のご葬儀が終わった三日後に、今度は、となり町のBさんの奥様が急にお亡くなりになりました。大動脈瘤ということで、夕飯を作るために台所に立っていたところ、突然倒れそのまま帰らぬ人となりました。Bさんは、別れの言葉も交わせずに何の挨拶もなく逝ってしまった、と悲嘆にくれ、四十九日を過ぎても未だ納骨を躊躇っておられました。別れの挨拶にはいろいろありますが、Aさんの奥さんのように、それを懇ろに伝えられる場合もあれば、Bさんの奥様のように、その時間を持てない場合、又、動物の場合は言葉がわからないのでこちらで想像するしかない、と、様々です。

 

⑩魂の在りか

こう言った様々な、死に直面した場合、やはり、いわゆる魂の問題を考えざるを得ません。私の弟の魂は、愛犬の魂は、AさんやBさんの奥様の魂は、もし有るとするならば、どこに行ったのか。 

 もう、十五年程まえに、チベット仏教の法王、ダライ・ラマ十四世が九州小倉に来られた時、ご法話を聞きに行きました。3,4千人も入るかと思われる大ホールで一時間程のお話でしたが、最後に、質問の時間と言うのがありました。ある人が立ってこう、質問しました。「仏教では空を言いますが。死後の魂はあるのでしょうか。」一瞬何千人もの聴衆の間に緊張が走りました。おー、すごいことを聞くな。法王はどうお答えになるのだろうか、と、皆固唾をのんでいます。すると法王は、にこっと笑われて、右手の親指と人差し指で輪を作って、「ほんのちょっとだけね」と言われました。深遠な哲学論を予測していた会場の緊張が、ほっとほぐれて、法王の慈悲が降り注いだような雰囲気でした。まさに、オーラだな、と思いました。まあ、その辺は皆様方の人生体験、仏教体験、仏教解釈に基づいて、どうぞ、と言うことだったのでしょうか。

 魂の在りかとは、私が思いますに、Aさんの奥様が最後に残された感謝の言葉、お別れの挨拶がAさんの心に深くとどまっている間は、そこに在り続ける。或は、残念ながら最後の挨拶は無かったけれど、突然死したBさんの奥様の在りし日の姿やお写真や思い出が、Bさんの心に在り続ける間はBさんの心に在る。飼い犬が残した死出の旅路への最後の吠え声が私の心に残っている間は、私の心の中に在る、ということでしょうか。法王の「ほんのちょっとだけね」と言うお言葉を私は私流にそう解釈しました。

 

⑪「魂」にとらわれない

諸行無常や空を言う仏教の中に、仏教的な意味での魂を探すとすると、やはり臨済禅師の言われる無位の真人の中にあるのではないでしょうか。無位の真人とは、自分が何ものでもない、という事が分かっている人間のことであります。この無位の真人の中に、強いて言えば、本当の魂、心があるのです。自分に執着し、人を誹り、人を憎み、成功に歓喜し、幸福に酔いしれる、そう言った自分が全て幻である、という事が分かった自分。幻であるという事が分かっていないと、自分にのめり込んでしまって、愚かな自分を本当のじぶん、自分の魂だと思い込み、悩んだり、有頂天になったりするのです。その顕著な例が、プーチン大統領がロシア魂を持ち出して、無益有害な戦争をしていることですね。昔は日本人も大和魂が本当にあると思い込んでいたのです。魂と言う言葉には注意が必要です。お釈迦さまが言われている、全ては夢幻である、ということを、注意事項として付け加えておかなくてはなりません。魂も又実体のない夢まぼろしなのであります。勿論、人間的な、苦しみ、痛み、切られれば赤い血が出ますね、喜び、哀しみは、人間が意識や感情を持っている以上、当たり前のことです、又、それらを浄化した魂というもの、言い換えれば実体と言うものがあると考えるのも自然なことかもしれません。しかし、それら全てが分かった上で、それが夢幻であると言う視点を持つこと。それが仏教なのです。

 

⑫はからいのない、何事にも動じない、大いなる自分「無事是貴人」へ

 これを臨済禅師は、無事是貴人と表現しております。臨済録と言う、臨済禅師の言葉を伝えた書物の中には、こう書かれております。「諸君、正しい見地をつかんで天下をのし歩き、そこいらの狐憑き坊主どもに惑わされぬことが絶対肝要だ。なにごともしない人こそが高貴の人だ。絶対に計らいをしてはならぬ。ただあるがままであればよい。君たちはあちこちに助けを求めようとして、仏をさがしたりするが、仏とは、ただの名前である」。これは、全てが幻である、と言う正しい見地をつかんで、世の中で大きな仕事をしても、それを何とも思わない、何かをしたとも思わない、そういうひとこそ、高貴な人だ、無事是貴人だと言っているのです。しかもこの貴人は、自分の中に最初からある。外に向かって仏様のような理想を追い求めても無駄だ、といっているのです。しかしこれは、先ほどの臨済禅師のお言葉の最後にある、何もしない、ただじっとしていろ、と取れるかも知れないこととは違います。前半に、ちゃんと正しい見地をつかんで天下をのし歩き、とありますね。無事是貴人は、大いなる行動の人でもあるのです。大いなる行動をしながら、それが無事、何事でもない、夢幻である、と分かっている人のことであります。この貴人、無位の真人も同じ事ですが、これを自分の中にみつけることが、人生の仕事であります。我々僧侶の世界では、これが修行であります。あるがままで、何事にも動じない自分を見つけることですね。

 こういうお話があります。鈴木大拙先生の、「禅と日本文化」と言う本にでているんですが、

 江戸時代のことです。土佐の国、今の高知県に非常に高名な茶道の宗匠がおられました。人格、お点前ともに立派だという事でお殿様のお気に入りでありました。ある時、お殿様は、この宗匠を参勤交代の時、江戸表に連れて行って他の殿様に自慢してやろう、土佐にもこんなすばらしい茶人がいるということを見せてやろう、と思いました。お殿様から参勤交代で江戸までついて来るようにと言われた宗匠は、何だか悪い予感がしました。侍でもない自分が慣れない江戸に出たら、誰も知らない所で変な事件にでも巻き込まれるんではないか。そうなったら、お殿様にも迷惑がかかることになる。しかし、お殿様の命令ですから仕方ありません。なれない大小を腰に差して江戸に上る決心をしました。

 江戸に出てしばらくすると、お殿様は宗匠に江戸見物でもしてくるようにと、暇をくれました。そこで宗匠が上野の不忍の池あたりを散歩しておりますと、案の定、向こうから眼付きの悪い浪人者が近づいて来ます。浪人は慇懃な態度で、「貴殿は土佐の侍とお見受けするが、一つお手合わせを願いたい」と言いました。宗匠は、しまった、困ったなと思いましたがしようがありません。浪人はニタニタ笑いながら刀の柄に手をやります。宗匠は青い顔になりましたが、ふと、散歩の途中で眼に留めていた剣術道場のことを思い出しました。そうだ、あそこに行って、曲がりなりにも剣の持ち方だけでも教えてもらおう、と思ったわけです。そこで、「私は今、殿様の用事で来ているので、それが終わるまでお待ち頂きたい」。その場を言い逃れて、近くにあった剣術道場に逃げ込みました。道場主に一部始終を話して、剣の使い方を教えて下さい、と頼み込むと、道場主は「いまさら、刀の持ち方をお教えしても間に合いません。それよりあなたは、土佐の藩士として、いかに恥ずかしくない死に方をしたらよいか、お考えになった方がいいでしょう」と言う返事です。宗匠もそれなりの人ですから観念しました。「分かりました。私も覚悟が出来ました。それでは、お教えいただいたお礼の代わりにわたしのたてる最後の一服をお飲みください」。宗匠は静かにお抹茶の準備をし、茶筅を持ってお茶をたて始めました。すると、その姿をじっと見ていた道場主が、はた、と膝を叩いてこう言ったのです。「それですよ、それですよ。そのお気持ちで、あなたがいつもお茶をおたてになる日常底で、普段のありのままのお気持ちで、敵に立ち向かわれればよいのです。結果は、恐らく相打ちになるでしょう。お茶をおたてになる時の、今の気持を忘れないでください」。

 宗匠は、成程そんなものかと思い、道場主に丁寧にお礼を述べて、不忍の池に向かいました。案の定、そこにはあの浪人者が待っていました。宗匠は道場主に教えられた通り、いつも自分がお茶をたてる時するように、静かに羽織を脱いでそこにたたみ、羽織の上に扇子を置き、居住まいを正して、まるで茶杓を差し出す時のように、そっと自分の刀を敵の前に構えました。ところが、これを見た相手の浪人者はびっくりしました。そこには、先ほどの弱々しげな土佐藩士とは、まったく別の人格を持った侍が立っていたからです。その姿には一部のすきもありません。浪人は、この侍にどこから打ってかかればいいのか皆目見当が付かない。汗を垂らしてたじたじと後ずさりし、ついには、「まてまて、待ってくれ、おれはそんなつもりじゃなかったんだ。まいった、まいった、たすけてくれ。」 こういいながら、スタコラと逃げて行きました。

 浪人にしてみれば、田舎者のへなちょこ侍、ひとつおどかして金でも巻き上げてやろう、と言う魂胆だったのでしょう。ところが、一期一会の平常心、不動心で目の前に立った宗匠のすがたを見て、これはかなわない、と思ったわけです。

 どうでしょうか、このお話。この場合は茶道の宗匠でしたが、どんな職業でも、いつものこと、自分のやるべきことをきちんとやる、そしてその道を究める努力の中から、剣の極意に通ずる何かが生まれて来る、ということではないでしょうか。真の茶道の宗匠が茶をたてる時、宗匠は茶道になり切っていますから、そこには、茶道の宗匠と言う世間的なレッテルは存在しません、これこそ、無位の真人であります。そして、そのお茶をたてる行為には、何の意味もありませんから、宗匠は無事是貴人であります。

 

⑬大きな命への気づきから生まれる「仏の慈悲」

鈴木大拙先生はこれを「宇宙的無意識」と言う言葉で表現されています。

「宇宙的無意識とは、空及び般若の教説における生死なき生死と言う命のことである。この無意識において生死は超越される。この域に達した達人たちは、そこに無限の可能性を垣間見ることができるのである」

 

なかなか難しい言葉ですが、これを私なりに解釈しますと、ちょっと以前に流行った歌で、「千の風になって」と言うのがありますね。………私のお墓の前で泣かないで下さい。そこに私はいません。千の風になって、千の風になって、あのおおきな空を吹き渡っています。この千の風になって大きな空を吹き渡っているものと通ずるもの、これが宇宙的無意識と呼ばれるものではないでしょうか。おぎゃーと生まれて死ぬまでが人間の命ではありません。もっともっと大きな命があるのです。仏教、禅は、この宇宙的無意識である大きな命を教える宗教であります。そして、今日の本題に戻りますと、無事是貴人として、当たり前のことを当たり前にすることから、この宇宙的無意識の世界に近づくことが出来る、という事であります。こうして、当たり前のことを当たり前にやっている時、夢幻の中で自分と共に存在しているかのように見える、全ての物事や生命に対する感謝の気持がわき、それらが愛おしくかけがえのないものに見えてきます。これを仏の慈悲、と、呼ぶのです。最後に、この仏の慈悲のお話をして、終わりにしたいと思います。

永六輔さんと言う放送作家の方がかってご自分のラジオ番組でちらっと5分ばかりお話になった事なんですが、私はそれを車の中で聴いていまだに覚えている、非常に印象深い話があります。

 東京の方の女性漫才師で内海桂子さんと言う方がおられました。九十七才でお亡くなりになるまで現役最高齢漫才師として舞台に立ち、漫才協会の会長もつとめられた。この方が、よく頼まれて刑務所とか少年院などの慰問に行かれたそうです。その時の話です。

 普通、こう言った所では、刑務官から事前の注意があります。「服役者とは、決して目を合わせないでください」と言うものだそうです。あとで、いろいろなひっかかりが生じたり、服役者を刺激したりしないため、と言う意味があるようです。ところがこの内海桂子さん、会場に入ると演壇に立つ前に、整列して待っている服役者の目を、一人一人じっと見つめて行った。それから一言もしゃべらずに静かに演壇に上がって、やおら全体を見回して、最初に発した言葉が、「おっかさんだよ」。これで、受刑者達がわっときたわけですね。中には最初から目に涙を浮かべてすすり泣いていた人もいたそうです。じぶんのことを、おっかさんだと思って、これからの話をよく聞くんだよ、と言う意味だと思いますが、この「おっかさん」と言うたたった一言を聞いたとたんに、受刑者達の心は一瞬空白になり、優しい母親に抱かれた赤子のような無垢な心が蘇ったのです。人生の修羅場を経験し、自分の我欲のために、或はあまりにも弱い自分のために、挫折し、敗北し、罪を犯してきた人たちです。子供の頃の優しかった母親を思い出した人もいたでしょう。あるいは既に亡くなったお母さんを思い出した人もいたでしょう。ひょっとしたら、母と言うものを生まれてこの方知らず、心の中だけで追い求めてきた人もいたかも知れません。そういった受刑者達の全ての心が、この内海桂子さんの「おっかさんだよ」と言う言葉の中に一挙に溶け込んで行ったのです。

 しかしこの、たったひとことの「おっかさん」もさることながら、内海桂子さんが事前に受刑者達の眼を一対一でじっと見つめて行ったということは、実にすばらしいことだと思います。これこそ菩薩様の目、この世の全てを救い上げる慈母観音の目ではなかったでしょうか。この慈母観音様の目が、無位の真人、じぶんの中に何もないことを覚って全てを包み込む、仏の慈悲の目と言われるものです。あなたと私は全く同じなんですよ、私もあなたと同じ苦しみを、今、くるしんでいるんですよ、と言う、仏の慈悲の目であります。

 今日は、自分も含め、全ての現象に実体がない、夢幻である、と言うのが仏教の基本的教えである。臨済禅師の言う無位の真人とは、このことが分かり、夢幻の現実に無事是貴人として、どんなことがあっても何もなかったかのように応じていく人だ。その人こそ、この現実に、本当にはいっていける人であり、仏の慈悲の人であり、行動の人である。と言う話をさせて頂きました。

 拙いお話でありましたが、長時間の御清聴、誠にありがとうございました。



正法閑栖 矢岡正道 拝

 

 



令和四年改旦 明けましておめでとうございます!!

 明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しく御願いします。


前回の続きです。

「自灯明」
 お釈迦様の言葉に「自らを灯明とし、自らを頼りとしなさい」とありました。つまり、自分を信じなさい、ということです。そのために私たちはどうすればいいでしょうか。

まずは、信じられる自分を作ることが大事ですよね。

お釈迦さまは、その「信じられる自分」を作るために、「八正道」という八つの実践的な修行を示しました。それらは、誰もが理解できる、分かりやすいものでした。

「八正道」

①正見・・・偏りなく正しく物事を見極める。

②正思唯・・偏りなく正しく物事を考える。

③正語・・嘘や悪口、飾った言葉を言わない。

④正業(行)・・無益な殺生や盗み、よこしまなことを行わない。

⑤正命・・規則正しく生活をする。

⑥正精進・・偏ることのない努力を怠らず続ける。

⑦正念・・身の回りのことについての正しい知識を学び心にとどめる。

⑧正定・・一つ一つのことを丁寧に集中して行う。

8つもあるので、全てを同時に頑張ってやることはできません。

これらは、それぞれが繋がっているように思えます。例えば、「正命」が実践されれば、「正精進」に繋がり、それが「正見」や「正思惟」という正しい見方や考え方ができることに繋がっていくかもしれません。どれか一つを入口とすれば、それぞれに繋がるようにできていますね。 

思えば、現代に生きる私達も、社会に出れば八正道の実践者にならざるを得ません。

時には、「正定」が求められ、時には、「正見」が求められ・・私達現代人も修行者のように、八正道が実践できるかどうかを常に試されながら毎日を歩んでいると言えます。 
(次回に続く)


12月8日はお釈迦さまが悟った日!

 こんにちは。今日12月8日はお釈迦さまが悟りを開かれたと伝えられる日です。それに合わせて「成道会(じょうどうえ)」という行事をお寺では行います。
 正法寺でも今年は12月11日に成道会を行います。塔婆供養とか、御詠歌とか、お釈迦さまに関する展示ものなどをしますので、どうぞお参りください。11時からです。寒いので生姜湯も配ってます。

ところでお釈迦様は、12月1日から坐禅瞑想を不眠不休でぶっ通しで行い、8日目の明け方、空に光る金星を見て大悟したと言われます。

お釈迦様が悟られたのは、「縁起」というものでした。私達もよく使う「縁起」というなじみ深い言葉ですが、縁起が悪い、縁起が善い、という様なことではありません。良い悪いと判断するようなことではなく、もっとフラットな捉え方です。、世の中のすべてのことは、縁によって生じ、縁によって滅する。そのように世界の有様をそのままに表した言葉が「縁起」です。

この「縁起」の理から派生した教えがふたつあります。

1つ目が、さまざまな原因や条件によってどんなものも常に変化しているとする「無常」。

2つ目が、お互いが支え合い関係し合うことで初めて命が存在するので、独立した個はそもそも無い、という「無我」。

「縁起」という考え方から、「無常」、「無我」の教えが生まれた。

これがお釈迦さまの悟った内容です。(ざっくりと)

 キリスト教では、創造主といういわゆる絶対的な神がいますよね。創造の主、つまりこの世界の全てを創った神がいる。というのがキリスト教です。

それに対して、仏教は「縁起」がこの世界の根源と考えたので、キリスト教の様な絶対的な存在はいません。

 そういうわけでキリスト教では、例えば何か不安になったり迷ったときには、教会に行って、キリストを拝む、ということになります(キリスト教について不勉強で申し訳ないのですが、簡単に言うとそういうことかと思います)

では、仏教では私達は悩み、不安になったときにどうすればいいのか。

 お釈迦さまは臨終の際、残された弟子たちにこう言いました。「私は教団を統率し、指図する者ではない。あなたたちは、自らを灯明とし、自らを頼りとしなさい。法を灯明とし、法を頼りとしなさい。他のものを頼りとしてはならない。」
 
 法とは縁起の教えのことです。
仏教用語ではこれを「自灯明、法灯明」といいます。

つまり、目の前の道を灯し指南するのは、あなた自身と、縁起の教え、この二本柱だということです。

(次回につづく)

アヤメが咲いています

5月も終わりになりましたが、アヤメが境内に咲いています。


梅の花の季節に

2月も半ばになりましたが、正法寺の梅が満開に咲き誇りました。
正法寺には、古木の白梅が三本、若いしだれ梅が一本、境内の庭で根付いています。


1月下旬の開花から、ほぼ全ての芽が開き切りました。



梅は、厳しい寒さを耐え抜いて美しい花を咲かせます。

「雪に耐えて梅花麗し」(西郷隆盛)

人は困難や厳しい経験を積んでこそ、立派に成長するものだ。
西郷さんらしい、激励のメッセージです。

梅の花について、こんな禅語もあります。

「一枝の梅花、雪に和して芳し」(禅の言葉)

降り積もった雪と一枝の梅花が和して一つになって、なんともいえない芳しい香りを漂わせている。

西郷さんの句との違いは、「雪に耐える」のではなく、「雪に和す」という部分です。

ところで、梅の姿は、禅寺で修行をする雲水さんの姿にも重ねられることがあります。

雲水の修行は、寒さの中でもそのままに身を委ね、暑さの中でもそのままに身を任せ、苦しさにあらがうことなく、苦と共に生きていく、それこそ苦と「和す」姿です。

「和す」とは、あらがうことなく、共に生きること。

私は、自身が修行をさせていただいた僧堂に今でもたまに足を運ぶことがありますが、そこで出会う、何年も修行を重ねた雲水さんの姿からは、凜として清らかな雰囲気が漂うのを感じることがあります。
写真の梅花のように、厳しさの中でも、それに負けるわけでも勝つわけでもなく、その厳しさと一つになって生きていく様な姿こそが、雲水さんの美しさであるなあ、と・・。



涅槃会~お釈迦さまが死んだ日~

2月15日は、お釈迦さまがお亡くなりになった日です。
インドのクシナガラという所で、たくさんの弟子らに囲まれて亡くなりました。
死因は、食中毒。村人からもてなされたキノコ料理を食べて、お腹を壊して亡くなったのです。
その村人は鍛冶屋でした。インドでは、現在もですがバラモン教が考えたカースト制という身分制度が有り、鍛冶屋という職業は決して身分が高い方ではありませんでした。当時のカースト制は、おそらく今よりも、厳しいものであったでしょう。なので、お釈迦さまのような、貴族出身であり、又、世間的にも高貴に扱われている人間が、低い身分の者の供養を受けるというのは、カースト制に反するものでありました。しかしお釈迦さまは、このカースト制を古い観念として打ち破るようにして、仏教を開いた人です。鍛冶屋のような身分の人間の供養も、喜んで受けていました。まわりの弟子達から見れば、身分の低い者から与えられた料理を食べたせいで死んでしまうなんて。。という思いが少なからずあったはずです。しかし、お釈迦さまは「鍛冶屋が捧げてくれた供物は、この上ない功徳があった」と弟子達に言っています。このような言葉に、お釈迦様が思う、差別から平等への強い願いが感じられますね。


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