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〒849-0922 佐賀県佐賀市高木瀬東3−9−12
正法寺は、肥前、最古の豪族である高木氏の菩提寺です。
今から700年程前、現在大和町春日の高城護国禅寺と共に、
佐賀の同宗寺院を二分する勢力を持っていたと言われています。
1299年、深海明弘和尚を開山とし、豪族高木氏の子孫である、妙明尼を開基として創建された。以来、豪族高木氏の菩提寺として、歴史を重ねてきた。
高木氏とは、藤原累代の豪族であり、藤原道隆公の末裔である。その
高木氏
高木一族は、その優秀な血筋で、明治以降も様々な名だたる人物を世に残してきた。
高木豹三郎・・佐賀の乱、西南の役に参戦した。
高木背水・・豹三郎の息子で、明治天皇の肖像画を描いた洋画家である。佐賀市の徴古館に史料が残されている。(彼の姉は、広津柳浪と結婚し、松川裁判で有名な広津和郎はその子である)
高木秀臣・・明治の初期に、東京控訴院検事総長を務めた。
剛勇萬人の勇士として知られた高木鑑房であったが、龍造寺隆信の手下に惜しくも討ち取られることとなる。そのときの光景は、目を疑うような驚くべきものであったとの伝説がある。
『――― 鑑房は身を落ち着けていた前田家定の館で、従者に足を洗わせていた。
しかしこの時、家定はすでに龍造寺家に寝返っており、刻々と高木鑑房の暗殺を狙っていたのだった。
そして、「今こそ」と家定は、後ろから忍び寄り、足を洗っていて無防備だった鑑房の首を素早く打ち落とした・・
驚くべき光景に場は凍りつくが、前田の家来数十人が槍や長刀を四方から刺し抜いて、どうにか押し伏せたのだった――――』
この話は、鑑房のその勇士たるを示す伝説として、『北肥戦誌』に残されている。
高木鑑房
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