宇治・白川金色院遺跡

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 宇治白川は宇治旧市街の約2km南方 に位置し、そこは宇治川の西・宇治川に合流する白川が流れる盆地である。そしてここ白川は宅地開発から取り残され、山間の純農村の雰囲気を今に伝える。
 しかし、ここ白川にはかって煌びやかな金色院が建立されていたと伝えられる。そして白川金色院とは平安後期(康和4年/1102)関白藤原頼通の娘・四条宮寛子(後冷泉皇后)によって創設されたと伝承される寺院である。
浄妙寺・平等院ともに宇治における藤原摂関家遺跡として重要であるが、今でも金色院の大部は白川の蒼茫の中に眠る。

左の写真は宇治白川の現状であり、遺跡の南限近くから、遺跡中心部を、北に向かって撮影したものである。

なお、写真には写らないが、金色院旧境内地には、金色院鎮守白山権現社殿と神像、惣門、九重石塔、古い墓石群、すぐ北側の地蔵院には金色院に伝来した数体の仏像彫刻が残る。
 その後、白川金色院は「金色院御堂再興勧進状」(室町 中期)によれば、長禄4年(1460)盗火によって焼失、その後ただちに再興「白川16坊」と称される大寺院に発展したと云う。
しかし金色院は漸次衰微し、江戸中期までには、多くの坊が廃絶し、明治の廃仏稀釈で全ての坊が廃絶する。
 現在、金色院は廃寺であるが、仔細に見れば、現地及び現地付近には多くの遺構・遺物が残される。

現在白川などに残る遺構・遺物については「金色院の現状」を参照ください。

     
 

目次

 
金色院略年表 白川金色院略年表・関連資料
金色院の現況 金色院現状と現在に伝わる文化財
第1回発掘調査(1980年)第2回発掘調査(1994年) 第1回:弁天池と弁天島を検出、第2回:福泉坊跡発掘
第3回発掘調査(1995年) 室町再興時の坊跡検出(主殿造)・・・現地説明会に参加
第4回発掘調査(1996年)第5回発掘調査(1997年) 第4回:文殊堂跡検出(平安および室町時代の2時期の遺構)
第5回:文殊堂跡詳細発掘調査・・・現地説明会に参加
第6回発掘調査(1998年) 白山神社背後の山中で12世紀ころの経塚を発掘
第7回発掘調査(1999年) 寺域確定発掘調査・・・現地説明会に参加
宇治平等院鳳凰堂の彩色文様 参考:創建時の金色院の装飾を想像するために掲載
歴史講座「平安の祈り(白川金色院跡)」(2001年) 2001年3月2日開催の左記講座の要旨


◆参考文献

 「平成6年度 白川金色院跡」、宇治市教育委員会、平成11年3月13日
 「白川金色院跡 発掘調査成果」、宇治市教育委員会、平成8年11月23日
 「平成11年度白川金色院跡発掘調査の概要」、宇治市歴史資料館、2000/03/11
 宇治文庫1「宇治の仏たち」、宇治市歴史資料館、平成元年
 宇治文庫2「平安時代の宇治」、宇治市歴史資料館、平成2年
 宇治文庫6「宇治をめぐる人びと」、宇治市歴史資料館、平成7年
 宇治文庫7「発掘ものがたり宇治」、宇治市歴史資料館、平成8年
 「宇治の歴史と分化」、宇治市歴史資料館、昭和63年
 「都名所図会・全」新人物往来社刊都名所図会研究会、昭和42年)
 「新撰京都名所図会・巻6」、竹村俊則。白川書院、昭和40年
 「観光宇治・Vol 50」、宇治市観光協会、1995年春号


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