白川金色院の現状

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現在白川には、金色院鎮守の白山権現社と像・惣門・九重石塔・古い墓石群・すぐ北側の地蔵院に伝来する数体の仏像彫刻が残 る。
寺跡の大部は田畑・民家として(宇治では珍しく)開発の波にさらされることなく、よくその雰囲気を伝える。

白山権現社(棟札:久安2年<1146>創建、建治年間<1275-76>改修)
惣門(文久3 12 15年の扁額を持つ)
九重石塔(藤原寛子の供養塔とされる・重文)
地蔵院(下記の金色院伝来の古仏を受継ぐ。金色院梵鐘<建武2年(1335)の年紀>・大般若経<平安〜鎌倉>なども受継ぐ。浄土宗鎮西派寺院で金色院とは別系列の寺院とされる)

◆昭和30年後半の白川の図 :現在でも、ほとんどこの景観を残す。

出典:竹村俊則著「新撰京都名所図会・巻6」
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◆↓白山神社(旧金色院)惣門(江戸時代)<2000/3/11撮影>somon.jpg (25867 バイト)

◆↓四条皇太后寛子の供養塔とされる九重石塔
(鎌倉時代)2000/3/11撮影
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◆白山神社拝殿(鎌倉時代・重要文化財)現在は屋根の葺き替え中。出典:宇治文庫2「平安時代の宇治」heian1_.jpg (14589 バイト)

 

◆屋根葺き替の終わった白山神社拝殿(2000/5/28撮影)hsan1.jpg (27812 バイト)

 

◆白山神社拝殿の細部(2000/5/28撮影)hsan2.jpg (24011 バイト)

 

白川地蔵院伝来の諸仏(いずれも金色院伝来といわれる) 出典:宇治文庫1「宇治の仏たち」
ほとんどが重要文化財に指定される。

◆銅造阿弥陀三尊像(奈良前期) jizoin1.jpg (22192 バイト)

◆銅像阿しゅく如来立像(奈良)

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◆銅造釈迦如来坐像
(奈良〜平安前期)
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◆木造阿弥陀如来立像(平安時代後期)jizoin5.jpg (12710 バイト)

◆木造観音菩薩坐像(平安時代後期)jizoin4.jpg (21551 バイト)

◆板彫両界曼荼羅
  胎蔵界(上)
  金剛界(下)<平安時代後期>jizoin6.jpg (17355 バイト)


白川白山権現伝来仏

hakusan8.jpg (12486 バイト)◆木造十一面観音立像

白山神の本地仏として伝えられる。
(平安後期)

白山権現の本地は
十一面観音とされる。

hakusan9.jpg (21778 バイト)◆木造伊邪那美尊像

白山権現のご祭神として伝えられた神像と云う。


2015/07/24追加:
◆宇治田原町龍雲寺所蔵「大般若経」

「宇治市民大学」>宇治・南山城入門「南山城の大般若経をめぐって」田中淳一郎氏
2015/06/27講義資料から転載
 龍雲寺所蔵「大般若経」奥書:左図拡大図
この大般若経第188巻の奥書に「金色院辻房」の名称が見える。
 第188巻奥書
 嘉元三年乙巳(1305)十月、於金色院辻房書写畢、後見人
 如念佛
           (以下切断によって不明)

この奥書が金色院の初出という。

 ※金色院は康和4年(1102)四条宮寛子の創建されたものと説かれるも、その根拠は寛正4年(1463)の「白川別所金色院勧進状」に基ずくもので、寛子の同時代資料には見られないものである。
保元・平治の頃(1156/1159)の近江石山寺に残る経典では「白川別所」とあり、また藤原定家の「明月記」の元久元年の条にも「白川別所」とあるという。
つまり、創建当初には白川金色院は「金色院」というより、「白川別所」として認識されていたのである。
 ※曹洞宗宝光山龍雲寺:京都府宇治田原町大字南小字東所1
創建は不詳、正保元年(1644)僧・宗通によって再興される。現在は無住、禅定寺が管理する。
大般若経596巻(平安-鎌倉)が残る。大般若経は京都府立山城郷土資料館に寄託されるが、毎年9月10日には寺院に帰り、大般若経の轉読が行われるという。

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