第4回(1996年)および第5回(1997年)発掘調査

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★第4回発掘調査:「金色院古絵図」や「都名所図会」等から文殊堂跡と推定できる場所から、2時期(平安時代および室町再興時)の遺構を検出。この時は規模等は不明。
 

★第5回発掘調査:平安時代の建物の規模が判明。(一間四面で南に孫庇を付設した構造であることが判明。
  一間四面堂とは?
これまで「伝承」とされてきた「寛子創建」および「白川別所金色院勧進状」が信憑性を持つようになる。

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◆←第5回発掘調査
  一間四面堂跡
  平面図は下図のとおりである。

 出典:
宇治市教育委員会「現地説明会資料」
 

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◆←平安期の一間四面堂の復元想定図

一間四面堂:一間四方の母屋の四面に庇がめぐる平面を持つ仏堂
出典:
宇治市教育委員会「現地説明会資料」

現存する堂でイメージすると例えば
2001/09/01撮影:
播磨鶴林寺太子堂1
播磨鶴林寺太子堂2  が想定される。
2004/09/18撮影;
播磨鶴林寺本堂太子堂
 同     太子堂1
 同     太子堂2
 同     太子堂3
2010/11/14撮影:
播磨鶴林寺太子堂11
播磨鶴林寺太子堂12
播磨鶴林寺太子堂13
播磨鶴林寺太子堂14

 

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◆←左図が平安創建時の平面図
現存する建物としては加古川の鶴林寺太子堂(平安時代後期・
国宝)に非常に似ているといわれる。
また内装については、創建の時をほぼ同じとする
奥州平泉中尊寺金色堂が想起される。

瓦は1点も出土せず、桧皮葺であったと推定される。

下図は室町再興時の平面図
再建にあたり、南にさらに構造物が付設され、南西部に閼伽棚が付設される。

出典:宇治市教育委員会「現地説明会資料」

 

◆↓文殊堂跡の現状(2000/3/11撮影 )
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文殊堂跡が今回の発掘地点である。

  金 色 院 遺 跡 概 要 図出典:宇治市教育委員会「現地説明会資料」

 

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