第7回発掘調査(1999年) |
寺域の範囲(南限)を推定・確定するために、白川地区で10ヶ所・上明地区(白川地区の東南部の坊伝承地)3ヶ所の発掘調査を実施。 結果白川地区に展開する寺跡はおおむね南北500m、東西250mの及ぶ想像より広大なもので想定されるに至る。 現在判明している坊跡 |
◆白川地区10ヶ所のトレンチ配置図(出典:宇治市教育委員会「現地説明会資料」) 調査区Aのトレンチでは自然斜面を削平・埋め立て、坊舎を建立し、また埋め立て土内から炭・焦土ともの平安時代後期瓦や15世紀後半の土器が数多く出土する。 この結果「白川金色院勧進状」に伝える長禄4年(1460年)の焼失の信憑性はかなり高いものと判断されるに至る。 また調査区Bの調査結果、寺跡の南限地はトレンチ6,7の南、かつトレンチ8.9.10の北とすることが妥当と判断される結果となる。 総門から文殊堂にいたる東西の道路沿いの中心部から、現在棚田となってる田畑の一枚一枚がほぼ金色院の坊舎であったと推定される広大な寺院であった 様子が復原できる。
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◆↓調査区Aのトレンチ2の状況 |
◆↓出土した平安時代の軒丸瓦。 |