貧困問題が、社会問題として認識されるようになった今現在も、女性の貧困はなかったことにされている。
派遣労働者の多くは女性である。昨年末より始まった怒濤のような派遣切りの嵐にあった女性は少なくない。しかし、マスコミが取材を集中させたのは、ホームレスとなった男性の派遣労働者。女性のホームレスは少ない。女性が路上生活を選択するのは並大抵なことではないからだ。多くは、暴力を振るった夫の元に帰るか、折り合いの悪い親元に帰るか。人によっては風俗店などに住み込みで働くという選択をする。路上にいないから、女性は派遣切りの被害にあっていても見えない。
賃金もそうだ。女性の賃金は男性の半分程度しかない。女性の労働は補助労働だから低賃金でも仕方がないといわれ、気遣い、気働きをいくらしていても、それは労働とは認められず賃金換算されてこなかった。専門職といわれている介護や看護や保育の賃金も、不当に低い。それは、ケアワークがこれまで女性が担わされてきた家事労働の延長線にあり、「支払う必要のない無償労働」とされてきたからである。女性の賃金がいくら低くても、夫がいれば、父親の元にいれば、それは見えず、その理不尽さはなかったことにされてきた。
しかし、いざシングルマザーになったときに、女性の貧困は顕在化する。世界一働き、世界一貧困なシングルマザーの国、日本。シングルマザーは、今も昔も、真っ先に首を切られてきた。そして、働き口を見つけられるのは一番最後。もちろん今も、多くのシングルマザーが派遣切りにあっているはず。しかし、表だって出てこない。それは、あまりにも、あまりにも当たり前すぎるから。当事者自身、「また首切られた」と「いつものように」がっくりきていて、なかなか次の就職口が見つからなくても、「いつものように」困っているのである。理不尽だといっても、離婚したあんたが悪いと、結局その理不尽さはなかったことにされていた。
見えないのは、見ようとしないから。
女性の貧困をしっかり見つめよう。そして、女性の労働について考えよう。女性の低賃金を解消する、同一価値労働同一賃金(ペイ・エクイティ)について考えよう。それは、男性も含めたすべての人の労働について考えることだから。