日本大学マンドリンクラブOB会
戻る
戻る
直前のページへ
直前のページへ


創立の経緯

 【日本大学マンドリンクラブ創立の経緯】

                                    OB会 名誉会長 松橋

   今から半世紀ほど前、オール日大の文化系サークルが所属する文化団体
  連合会と、日本全国から集まった学生が組織する県人会の二つの組織を指
  導・統括する大学側事務局として「文化会」がありました。そこは文化会承認
  団体の役員連中の溜り場となっておりました。
   昭和34年(1959年)の夏休み明け、いつものようにたむろしていた我々
  の前に、国際経済研究会の杉浦工允君がマンドリンを抱えて現れました。
  彼は、たまたま学部・学科・クラスが同じだった書道研究会の松橋と俳句研
  究会の松島君の2名に「早・慶・明にマンドリンクラブがあり、日大にないのは
  おかしい。我々で創ろうではないか」と声をかけてきました。
   実は松橋は、中学・高校時代はブラスバンドに所属する一方、塾で書道を
  やっていたのですが、大学では書道一本で行こうと決めていましたので、「音
  楽とは縁を切ったので参加はしないが、各学部掲示の募集ポスターは何枚
  でも書いて協力はするよ」と答えました。
  (松島君は一旦は入部したのですが、その後俳句研の部長となり多忙のた
  め退部しました)
   同年10月、色々の学部から10人位のかたが法学部に集まりました。暫く
  して杉浦君が松橋のところに飛んできて「おい、松橋。楽譜読めるか?」 「読
  めるよ」 「楽譜を読める人間が一人もいないんだ。ちょっと来てくれよ」と言う
  事で、已む無く松橋も入部する事になりました。杉浦君が主将として部の運営
  を担当し、松橋は指揮者として演奏面の面倒を見ると言う体制でマンドリンク
  ラブを立ち上げました。
   練習は、毎週月曜から土曜までの6日間毎日、午後6時から9時過ぎまで行
  いました。
   そして、創立後すぐの同年11月、日大講堂(旧両国国技館で、両国講堂と
  称した)でのオール日大文化祭に出演しました。14名での初舞台でした。
   翌、昭和35年(1960年)春には、部員も40名以上となり、技術顧問の宮
  田俊一郎先生のご指導の下、練習を続けました。
   11月には神田の共立講堂において創立一周年記念演奏会を開催しました。
  指揮・宮田俊一郎先生、司会・茂木幹弘先生、ゲストには日大OBのシャンソ
  ン歌手 高英男さん、音羽ゆりかご会、中村淳子さんを迎えたこの記念演奏会
  は、2,000席を満席にする大成功を収めたのでした。

  [追記]
  戦前の1938年6月17日 日本大学医学部の前身となる専門部医学科でマ
  ンドリンクラブが設立されました。これが現在のマンドリンクラブの前身となり
  ます。しかも、ここで技術指導や指揮をされていたのは故宮田俊一郎先生の
  ご尊父 宮田信義先生でした。


 クラブ旗について

 クラブマークについて
 努力・ファイト・和

 ユニフォームについて
 テーマソングについて

 機関誌「鳳友」について
 記念誌について

 OB会について
 歴代のOB会 会長

表紙へ戻る 
全頁閲覧はここ 


戻る
戻る
直前のページへ
直前のページへ