日本大学マンドリンクラブOB会
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機関誌鳳友

【機関誌「鳳友」】
現在、日本大学マンドリンクラブOB会の機関紙として発行されている「鳳友」で
すが、これまでの道のりには幾つかの機関紙が発行されて来ました。
機関誌『鳳友』は、クラブマークの鳳凰から名付けられたものです。
第1回発行は、昭和46(1971)年11月10日です。
この時の編集者として、今井、氏家、杉浦、太田の8期の皆さんの名前が記載さ
れています。

新しい機関誌として、その前まであったガリ版刷りの機関誌”マンクラタイムス”か
らきれいな紙で印刷されたすばらしい本に生まれ変わっています。

内容をここで全て、ご紹介出来ないのが残念ですが、巻頭に宮田俊一郎先生の
お言葉がありましたのでご紹介します。


                      日本大学マンドリンクラブOB会
                         名誉会長 宮田俊一郎

 一時休刊していた日大マンクラOB会の機関誌が再刊される由、大変嬉しい
ことです。学生時代の四年間苦しいこと楽しいことを共にし、同じかまの飯を食
った連中は、卒業です、さようならではいかにも残念です。
お互いの元気な便り、消息を知りたいと、いつまでも定演のこと、合宿のこと等
と共に想い出して居ります。そして、良き友いや我が子のように思えて(少しオー
バーかな)忘れたこととてなく、この数年間、マンクラタイムスの休刊によりいささ
か、がっかりしていた次第です。
 OB・OGの皆さんの努力により復刊。お互いの消息、現役の動向 等々交換で
きることは大変嬉しいことです。
 日大マンドリンクラブも学園紛争以来部員の減少、技術の低下、部室の問題、
練習場の問題 等々、種々な問題が山積し、ここ数年来、苦しい毎年ではありま
すが、先づはOB・OG諸氏の一致団結、皆さんの日大マンクラOB会と共にある
日大マンドリンクラブをお忘れなく、色々な面でのご協力を紙上を借りてお願い
致す次第です。

鳳友 第1号より

貴重な「鳳友」第1号

=気のむくままに=
「日大マンクラと私」

                          1971年(昭和46)11月
                                宮田俊一郎

 日大マンドリンクラブは第12回定演を目前に控え連日の称省に余念のない今
日此の頃、次期13期の執行部の連中の動きもまた活発になり、第12期の4年
生諸君の活躍も余すところ幾日と秒読みに入りました。

 私が日大マンドリンクラブに出掛けるようになったのが昭和34年晩秋、私が
34才、部員達が19〜20才位ですから現在の第1・2期のOB諸氏と現役組の関
係位でした。昔は兄貴のようなつもりでやっていられたのが、この頃では私が
46才、部員はいつまでたっても、19〜20位故、最近ではお父さん、その内には
おぢいちゃん、 あ 嫌んなっちゃった 
OB・OGの皆さんは4年間で惜まれつつ卒業され、私だけ残っていつものの、
なんだか私1人だけ年をとっている見たいです。

現役部員の方々とは年の差もあり、また以前のように、酒も余りのめなくなり、
いつまでたっても馬鹿正直の真面目人間では、だんだんOB・OGのみなさん部
員の連中も話しづらくなるんぢゃないかといささか心配です。
でも気は至って若いですから心配なく、また気兼なく相談して下さい。
ユーヅーが気かないようでも話しはわかるつもり、現在まで現在まで仲介人を
13組もやって居り、その中10組は日大の方々のをやらせて貰って居ります。み
んな喜んで貰えて私も幸せもんですよ。
今までの定演合宿みんな覚えていますよ、みんな懐かしいですね。
 定演何回やっても、その度毎に感謝し良いものですね、12期定演張切って頑
張りますよ。
OB・OGの皆さん出掛けて下さいね。

【機関誌「マンクラタイムス」】
「鳳友」の前に発行されていた「マンクラタイムス」の1〜4号です。


創刊号
1966年(昭和41)11月


第2号
1967年(昭和42) 春
編集責任者:太田(8)


第3号
1967年(昭和42) 11月
編集責任者:太田(8)


第4号
1968年(昭和43) 5月
編集責任者:三崎(9)

 マンクラタイムス 2号 編集後記より

 昭和42(1967)年 春の発行
 編集責任者:8期 太田

 演奏会、準備の傍ら最後の追い込みの練習の傍、わたしはガリを切った。夜
11時頃から夜中の3時・4時迄、シーンと静まりかえった ここ川崎の邸宅(?)
の私の部屋では、ただ聞こえる音はガリガリと ガリを切る音だけ・・・・毎日の
寝不足の為、私の身もガリガリ・・・・
 左手におおきなバックをもち、小脇にヤスリ板をはさんで、右手にギターをもっ
た毎日部室通いであった。・・・・である けれども、OB 方々の原稿の集まりの
悪さには呆れてものも言えない・・・・
 しかし、これから2〜3年先、5年先、いや 10年、20年先の いつか安定し
た、充実したOB会が出来る夢をみながら、私達部員一 同、 いかなる苦道を
ものり越える気構えです。

 最後に、手やワイシャツ、そして鼻の頭まで謄写インクをつけながら、嫌な顔も
せず印刷してくれた2年生達ありがとう ・・心から言葉を述べたい・・・ 

【機関誌「弦想」】
「鳳友」の前に発行されていた「マンクラタイムス」、さらにその前に発行されて
いた「弦想」です。これが日本大学マンドリンクラブ機関紙の最初だったと思わ
れます。
この第1号は1963年(昭和38)3月に発行されました。
『弦想』という名前は、発行時に名前を部員に募集し、5期 山田さんが3年生
の時に考えたものが、採用されました。"幻想"と楽器の"弦"を掛けたもので
す。その後、第6号の1968年(昭和43)まで確認出来ています。
ある時期まで「マンクラタイムス」と重複して発行されていたようですが、1971
年から現在の「鳳友」に変わりました。


第1号
1963年(昭和38)5月10日
     発行責任者: 大沼(3)
     編集委員: 岩井(5)


第2号
1964年(昭和39)
   発行責任者: 岩井(5)
   編集委員: 荻間(6)、高橋(6)、
          成瀬(6)、田嶋(6)


第3号
1965年(昭和40)
   発行責任者: 後藤(6)
   編集委員: 佐藤(7)、工東(7)、
          太田(7)、森川(7)、
          松岡(7)、市川(7)
   第3号から先をお持ちの方
   はいらっしゃいませんか?
   ご連絡下さい。

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