【日本大学マンドリンクラブOB会について】
OB会 名誉会長 松橋
私は大学を卒業した後も、折に触れ宮田俊一郎先生のご自宅にお邪魔して、相
変わらずお世話になっておりました。宮田先生には、現役の学生諸君の技術指導
は勿論のこと、なんでもかんでもすべて任せっきりと言う状態でした。そのため現
役のことをお尋ねすると、何でもわかりました。また、私の知らないOBの個人情
報までいろいろ心配しておられました。宮田先生個人というより、ご一家全員で日
本大学マンドリンクラブを応援して下さいました。
T.OB会発足の経緯
私はそんな宮田俊一郎先生から、OB会について2つの大きな命を受けました。
1.昭和37(1962)年11月ごろ「至急OB会を作りなさい」
2.昭和49(1974)年OB会長を退くとき「名誉会長として残りなさい」
その理由はおよそ次のようなものでした。
1.OB会(当時は携帯電話・メール・ホームページ等 全くない時代)
@ 年々卒業者が多くなると同時に全国に散り始めた。
A 勤務先又は転勤先・転居先を連絡しないで行方不明者が出てきた。
B 現役からOBに忘れ物等の連絡したいときにできないことがある。
C OBから現役の合宿・演奏会の日程の問い合わせの電話が宮田先生のご
自宅に集中する。
D 今のうちに住所録・連絡網を作成する必要がある。
2.名誉会長(当時は先輩絶対の時代)
@ 創立者の一人であり、また長年OB会長として続けてきた。内外も人脈が
ある。
A 新会長が先輩から直接何か提案されると断りきれなくなるので、君が名誉
会長に残って睨みを利かせ、新会長がやりやすくなるような雰囲気を作り
なさい。
B 部として歴史が浅いので、内外の会議あったら一緒に出席しなさい。
OB会を作った経緯、そして名誉会長に就任した経緯は、宮田俊一郎先生から上
記のようなご指示を頂いた事がきっかけでした。
U.OB会会則
OB会を発足させるに当たり、会則が必要になりました。
既存の研究会OB会会則について2人の友人から会則を譲り受けましたが、その
内容はほぼ同様で、しかも「他の研究会のものもほぼ同じだよ」との事でした。そ
の2つのOB会会則を参考にして、日本大学マンドリンクラブOB会の会則を作成
いたしました。
参考OB会:日本大学応援団部OB会、日本大学書道研究会OB会
日本大学マンドリンクラブOB会 会則 初版(1963年)
V.OB会の苦闘
OB会は結成発足いたしましたが、会員の皆さんはまだ若く、仕事のこと、結婚
のこと等、社会人としての成長が急務で、なかなかOB会までは手が廻らず、役
員の皆さんは体制づくりと会費の集金の苦労は毎年続きました。
しかし、はるか遠くに「創立20周年記念演奏会」が見えてきたころから、やっと
OB会に関心が少し集まるようになり、少しづつ少しづつ順調に運営できるように
なってまいりました。
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