ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・・・。
(本当にどうでも良いことを不定期に更新していきます)
(「どうでも良いことですが・・・」、「ほんまに、どうでも良いことですが・・・」、「ほんまに、ほんまに、どうでも良いことですが・・・」、が重くなり(内容はほんまに薄っぺらいのですが、ページが重くなったという理由だけで)、「ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・」、に移行させて頂きました。宜しくお願い致します)
平成28年11月14日(月)
10月の終り、九州に行ったついでに長崎に行って来ました。
長崎は今までに何度か行った土地ですが観光名所には全く関心がなく、ただ長崎の地を踏んで長崎の空気を吸って帰って来るという脆弱な行程ばかりでした。
考えてみれば、その前に祈祷という仕事があって、その後のへらへらになってしまった体を長崎に持って行くのですから、祈祷の前に考えていた、「平成2年の雲仙普賢岳の噴火の時、美容室のテレビを見ながらお客さんと、「大変やな・・・」、と話をしながらも、他人の不幸は蜜の味・・・という自分が少しでも居たのではないかと、この様な仕事を本格的にし始めてから恥ずかしくなって、「よし、雲仙普賢岳に行って手を合わせてこう・・・今の自分ならそれが出来るやろ・・・通じるやろ・・・」、とええ恰好して、祈祷を終えた後、佐賀大和から長崎自動車道を走って大村くらいまで来ると、「まてよ・・・、普賢岳は諫早から一般道やで・・・、まあ、今夜は長崎のホテルに泊まるとして・・・明日は長崎から国道251号線を通って、途中で島原街道を通って・・・遠いな・・・俺、67やで・・・そんなもんにうろうろ運転さすか・・・知らんとこやで・・・途中で故障したらどなするんや・・・古〜い車やのに・・・知らんで・・・・ほんまに・・・」、と何時もの様うにちょっと気持ちがぐらついて来て、「まあ、ホテルに着いてビールでも飲んでから決めよか・・・」、という事になって、ぐねぐね回ってやっとホテルに着きました。
そのホテルも、何時もの様にビジネスホテルにしたら良かったのですが、「多分、この祈祷の後は体が使い物にならんやろ・・・」、と思って食事付の小さな可愛い・・・ちょっと古い・・・まあ・・・間違ってもあんちゃん同士が絶対に泊まらないであろう雰囲気のホテルに予約を入れていました。
ホテルに着いて外観を見て・・・、「あっ」、と思いましたが、直ぐに、「まあ、それもええか」、という気になりました。
部屋に入って、妻はしんどいと言って寝転んでしまいましたが、 私はいくらしんどくても地神様のお酒を調達する責任が有りますので、雨が降り出した急な下り坂を、「俺・・・膝が悪いんやな・・・腰も悪いんやな・・・ちょっと今日はふらふらするんやな・・・こんなとこで滑ったらどなするんや・・・それにしても、ようこんな坂に家建てて住んどるな・・・ここらの人は・・・」、とぶつぶつ言いながら直ぐ下にあるファミリーマートに入ったのですが、中国人の旅行者ばかりで、それも若い子ばかりで、「何処の子も・・・若い子は面白ないんやな・・・これが中年になって来ると面白くなって来るんやがな・・・」、と思いながら地神様の日本酒と饅頭を持ってレジの所に行くとレジの男の子が透明の傘をバサバサ広げて、「どうもないです。穴は開いてません」、と中年のおばちゃんに説明していました。
少し聞き取れなかったのですが、おばちゃんの、「穴、開いてたら困○○○○・・・」、という言葉が聞こえて来ました。
この語尾の○○○○・・・が聞こえてたら、このおばちゃんが何処から来たのかが解明するのですが、旅行者だという事は察しがつきますが・・・近所のパート帰りにスーパーに寄った様な服装をされているのでいくら経験豊富な私でも解明出来ないままそのおばちゃんはファミリーマートを出て行かれました。
「そこまで言うか・・・関西でも居らんで・・・あんなおばちゃんは・・・」、とレジの子に言うと、「そう↑〜ですね↓・・・」、と笑っていました。
「それにしても、ここら、カステラと中華料理店の宣伝ばっかりやな・・・」、と思って港の方を見ると大きなビルが建っていました。
「こんなとこにビル建てたら海が見えへんやないか・・・」、と思ってよく見ると大きな客船が国際ターミナルに着いていました。
中国人の団体さんが乗って来た客船だという事で理解しました。
阪九フェリーやサンフラワーが大きいと思っていましたが・・・見ていると笑いが込み上げるだけでした。
ふと後ろを見ると、中年の大人しそうな婦人も・・・何か・・・含み笑いの様な表情で船を見ておられました。
「多分、この婦人も、私と同じ事を思って笑っておられたんやろな・・・大人しそうな人は自分と共通するからな・・・」、と理由(わけ)の解らん事を思ってホテルへ帰っていると、ファミリーマートで店員さんに傘をバサバサさせていた中年のおばちゃんが私のすぐ目の前を、私と同じ方向に歩いています。
「おい・・・、間違ても・・・このおばちゃん、同じホテルやないやろな・・・」、と思いながら歩いていると、ホテルに続く急な坂道の手前に階段があるのですが、おばちゃんはその階段を上って行きました。
「良かった・・・。疲れとるのにあのおばちゃんと同じホテルは・・・」、と思いながら急な上り坂を、「それにしても、塩谷や垂水(神戸市)なみやな・・・この坂・・・こんな坂道、毎日歩かされたら、性格、悪なるで・・・」、と疲れて訳も分からん事をぶつぶつ言いながらホテルに着くと、さっきの傘をバサバサ広げさせたおばちゃんが、体を斜めに、フロントに肘を置いて受付の子と親しそうに話をしています。
「あ・・・おばちゃん、常連ぶっとるな・・・、初心者はようやるな・・・あの恰好・・・親しそうに話しかけるな・・・初心者は・・・しかし、おばちゃんの上がって行ったあの階段・・・あの階段がこのホテルに繋がってるとしたら・・・ひょっとしたらあのおばちゃんはこのホテルの常連なのか・・・まあ・・・もう常連でも何でもええがな・・・」、と、もう疲れの限界をとっくに過ぎた頭で考えながら部屋に戻りました。
10月の終りにしては蒸し暑く、汗でシャツがべとべとになってしまう様な気候です。
妻に、さっきのおばちゃんの事を話そうと思いましたが、妻もしんどそうにしていますし、私にしてもそん事を話したら、この後の風呂で溺れるかも知れませんので(それ位大きな湯船でした)、黙って風呂に入りる事にました。
食事付の予約をしていましたので食堂へ行くとテーブルが決められていて、係りの人に案内されて座ったのですが、私の向かいに、何と、あの、傘をバサバサさせたおばちゃんが一人座ってテーブルに両肘をついて此方を見ていました。
「わあ・・・・・・・・、あのおばちゃんや・・・今夜はえらい事になりそうやな・・・しかし、このおばちゃん、肘つくのが癖かな・・・まあ・・・癖なら許したろ・・・しかし、おばちゃん、何で、一人で泊まってるんかな・・・何か事情でも有るんかな・・・まあ・・・私らを含めて、此処まで来るにはいろんな事が有ったからな・・・いろんな事を経験したからこそ、個性が出来て面白くなるんで・・・まあ、おばちゃんも、此処に一人、泊まらなあかん理由が有るんやろ・・・あのおばちゃん、許したろ」、という自分勝手な結論に達しました。
要するに、長崎であんな面白いおばちゃんに遭遇するとは思いませんでしたので、ついつい引き込まれてしまいましたが、今回の長崎は、あの雲仙普賢岳に行く事だけという決心で来ましたので、余計な事に引き込まれた自分が情けなくなりました。
一応、こんな雰囲気でした。
妻は、「疲れてしわくちゃやから、顔、ぼかして・・・」、と言いますのでぼかしました。
結局客は8組程で、おばちゃんを除いて全て二人連れでした。
おばちゃんがどの様な理由で一人で泊まっておられるのか・・・5〜6年程前、私もおばちゃんの立場に置かれた事を、この時思い出しました。
妻が入院中の時、祈祷先の近所にはビジネスホテルが無く、一人で浜名湖の観光ホテルに泊まった事がありました。
食事の時間になって大食堂へ行くと、家族連れ、夫婦、団体客、100人以上の方がうれっそ〜にわいわい言いながら食事をされていました。
一人者は私一人でした。
またその時、私が通されたテーブルは入り口のすぐ近くの浜名湖が見渡せる席で、客はドアを開けて入って来て、大概の人は浜名湖を見て、「わあ・・・」、と言うのですが、その浜名湖に目が行く前に私と目が合って、その次に浜名湖に目が行くという一等席に座らされた事が有ります。
その時、大概の方は、「この毛をくくったおっさん・・・何で一人・・・こんな観光ホテルに泊まってるんや?・・・一度にビール4本も注文して前に並べて・・・訳ありやな・・・」、と思われていたと思います。
私が髪の毛をくくっているのは、以前、毎日、人の頭をカットしていると自分の頭などどうでも良い様な気持ちになるのでそうしていただけで他に何の意味もないのですが・・・。
しかし・・・あの・・・浜名湖のホテルの体験は辛かった・・・。
高知県の東洋町の生見サーフビーチのシーズンオフのサーファー専用の4階建てのホテルに一人だけ、それも夜になると経営者が家に帰ってしまい、朝になっても来ないので淋しくフロントに鍵を置いて祈祷先に向かったホテルの体験よりも辛かった。
しかし、この、傘をバサバサさせていたおばちゃんは10数人の中での一人ですので、私の様な100人以上の中の一人の体験と比べたら、これは私の方が勝ったという事になります。
フリードリンクとおばちゃんとこの日の祈祷がきつかったので大分正常ではなくなっているのは自覚出来ました。
そして、食事が済んで部屋に戻りベッドに横になったのですが、ベッドが嫌に冷たく感じました。
・・・といって立ってみると蒸し暑く、横になると冷たい、何とも不思議な感じでした。
直ぐ横にグラバー園、カトリック大浦教会、大浦天主堂が在り、直ぐ下が長崎港の国際ターミナルですので、初めて長崎に来られた方は良い雰囲気を楽しめると思いますが、私はビールが入ると、、もう何も、何処でも同じですので早く寝る事にしました。
・・・と思ってベッドに横になると背中が嫌に冷たく感じます。
立つと背中が温かく感じます。
妻も・・・何か・・・ぐじゃぐじゃ言いながら・・・まだ眠くないのかテレビを見ています。
外の雨が激しくなって来ました。
最初、このホテルを見た時、気になるものを感じましたので、寝る前に、一応、携帯で写真を撮りました。(場所が分かると問題になりますので、ぼやかしています)
背中の冷たさを気にしながら寝たのですが、やはり夜中に何回も目が覚めました。
朝になって・・・それも朝食が済んで・・・「、さあ・・・普賢岳・・・どうする・・・一般道やで・・・一般の方は感じないけど私らに取っては重い土地やで・・・さあ・・・どうするこの先」、と気持ちがぐらついている時に・・・妻が・・・「夜中に金縛りに遭ったわ・・・。ちびまる子ちゃんの様な男の子が胸の上に乗って、苦しかったわ・・・。30分程で居なくなったけど・・・」、とさらっと言いました。
「何でその時、起こしてくれんかったんや」、と言ったのですが、「別に・・・何も・・・そんなもの・・・」、とさらっと言います。
このホテルに着いた時感じたもの・・・、ベッドが嫌に冷たかった事・・・この男の子が関係していたのかも知れません。
私達にしても・・・妻はもっと強烈なものを絶えず見ていますので、こんなものは、「別に・・・何も・・・そんなもの・・・」、で終わってしまうのでしょう。
・・・とそんな事が有って、結局、今回の長崎も、帰りのフェリーが出る新門司は、島原半島にを周れば距離的に無駄が出るので、西彼杵半島を周って佐世保に出て、新門司に着こうという何時もの様に脆弱な結果に終わってしまいました。
あの・・・ファミリーマートの店員さんに傘をバサバサさせていたおばちゃんと、ちびまる子ちゃんの男版が出なかったら、最初の目的地の雲仙普賢岳に行けたのですが・・・それが悔やまれます。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・。
注:ホテルの室内から撮った写真ですが、下の方に写っている黒いものは、黒いズボンと黒い靴下をはいた私の足です。
申し訳ないです。
平成28年10月6日(木)
久しぶりに大塚さん(
天狗について
)から連絡を頂きました。
今年の5月、お母さんが急死され長男の大塚さんは大変だっただろうと思います。
お母さんが亡くなられたあくる日に連絡を頂きましたが、お母さんが亡くなられた当日の時間の2時間ほど前(午後2時頃)、私は急に強烈な眠気に襲われてシャンプー椅子を倒して一時間ほど眠ってしまいました。
一時間ほど経って起きたのですが、まだ体は眠っている状態でした。
パソコンのスイッチを入れたのですがインターネットの接続は見事に切れてつながりませんでした。
「仏さんやな?・・・。来てるのかな?・・・今から来られるのかな?・・・」、と思いました。
夜、風呂に入ると、・・・大塚さんの家の・・・墓・・・以前に霊視した場面が出て来て・・・、「大塚さん・・・大丈夫かいな・・・」、と思ったところでした。
その明くる日に大塚さんから連絡を頂き、「あ・・・大塚さんのお母さんが来られていたのか・・・。何か言いたい事が有ったのかな・・・大塚さんのお母さん・・・」、と気がついた次第です。
既に亡くなられたお父さんが信仰家で、曼荼羅など、沢山のものがお祀りされていましたが、その様なものの対処など、私の知る限りの知識で助言させて頂きました。
しかし、大塚さんの、「天狗について」、の私達の霊視は・・・、もう、あの様な霊視は不可能だと思います。
それは霊視に対する私達の気力、体力が、もうあの様な長時間に渡り続かないからです。
あの霊視は良かった・・・と振り返ってみて思います。
ところで、大塚さん、日本中・・・世界中・・・手裏剣の伝授でうろうろされていますが、先日、関西で行った稽古会の帰りに伏見稲荷大社に寄られ、白狐社の写真を撮ったらこんなものが写りました、と写真を送られて来ました。
命婦専女神様の居られる?所に、見事な丸が見えます。
大塚さん、今月はカナダと南米のチリ、来月はチェコとルーマニアで
明府真影流手裏剣術
の稽古会を開かれる
予定です。
大塚さんの手裏剣術は最近の忍者ブームとは関係なく、正統な硬派ですので、これから先も順調な展開が見込まれる、という命婦専女神様からの
○(丸)
のお知らせと取ります。
前々からそうですが、大塚さんから連絡が有って、外国の「・・・へ行きました。・・・で稽古会をしました」、と連絡が有って現地の写真を送って来られて、それを聞いたり見たりする度にちょっと落ち込む事が有ります。
それは・・・笑われるかも知れませんが、私はこの歳まで、まだ一度も飛行機に乗った事がないのです。
飛行機は何十機と操縦した経験が有るのですが、あの不安定さは、それはびくびくもので、何時、思わぬ方向から風が吹いて来て機体が傾いたり沈んだりするか分からない恐怖を知っているだけに、とても飛行機なんかには乗れるかい、という気持ちが今でもあります。
まあ・・・私の場合はラジコン飛行機ですが・・・。
ほんまに・・・、ほんまに・・・、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・。
平成28年9月10日(日)
本当に申し訳ないです。
市丸さんがお嫁さんももらわずに、一生懸命に仕事の合間や夜中に作られている稲荷様の人形をうっかりして・・・。
「神楽鈴と帯が離れてまっせ・・・」、と市丸さんから連絡がありました。
稲荷様を箱から取り出す時に「ガサッ」と取り出したので、本来、神楽鈴と帯がくっついているところが外れた様です。
「ガサッ」、がダメだった様です。
「ふわ〜っ」、と取り出さなければならないところを、「ガサッ」、と取り出したからな・・・と思っていると、先日、その、「ふわ〜っ」、が落ちて来ました。
ラムネ玉くらいの大きさの、真っ白な・・・丁度、ヘチマで作った様な玉?をもう少しスカスカにした様なものが、ゆっくりと・・・その間、私が自分の目を指でこすって確認し直した位の時間が有りましたので・・・、3〜4秒くらいの時間をかけて上からゆっくりと落ちて来ました。
ある方から連絡が有った前夜ですので、それが関係する仏様の様にも思うのですが・・・確かに、その方の方の状況もひどいものがあるのですが・・・それは今のところ・・・ちょっと解りません。
何しか・・・年がら年中、こんな環境に居りますので・・・四足が足元を、「さぁーっ」、と走り抜けたり、「みしっみしっ」、と二階の階段を上がる音がしたり・・・、まあ・・・、「トントントン」、と、「ドンドンドン」、は家の猫が階段を上がったり下りたりする音ですがそれは横に置いて・・・、そんな訳で、「ガサッ」、なんかは全く気にしない様になってしまったのでしょう。
本当に申し訳ない。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・。
平成28年9月9日(金)
市丸さんの最近作です。
鈴といい・・・、王冠?といい・・・、王冠?の上の緑色の飾り?といい・・・、只の土産物の域を超えた様なお像です。
稲荷の舞いです。
細かく稲穂が描かれています。
鈴が細かく・・・手が込んでいます。
(注;市丸さんの指です)
稲荷の刀鍛冶です。
写真では分りませんが、紐の部分も立体的に造られています。
稲荷の鍛冶屋さんの顔の絆創膏・・・女の稲荷さんがお茶を運んできた時の喜びよう・・・。
「まあまあ・・・お茶でも飲んで一休みしてください・・・」、というところなのでしょう。
刀も忠実に造られていますが・・・
実際に近くで見ない限りはその繊細な部分は分らない
と思います。
いつもの事ですが・・・伏見稲荷大社に置かれたら・・・
直ぐに売り切れてしまう
と思います。
・・・しかし・・・市丸さんの造る
人形は可愛い
。
あの人の・・・何処に・・・こんな優しい表情のものが造れる才能が隠れているのだろうかな?と思います。
多分・・・本来・・・波風の無い・・・普通〜の家庭に生まれ育って・・・優し〜い両親や兄弟が居る環境で育っていれば、また違う表情の稲荷様になっていたかも知れません。
あの人(市丸さん)・・・優し〜い環境に縁が薄かったのか・・・優し〜いものに憧れて信じてしまうところがあって、稲荷様のお像を造る時も、今回の作品だけではなく、全ての稲荷様が優し〜い顔になってしまうのだと思います。
最近も・・・良い様に利用されてしんどい思いをされましたが、しかし、その後で製作された今回の稲荷様は、
今までの稲荷様の優し〜い表情よりももっと優し〜い表情をしている
と思います。
さあ・・・優し〜い奥さんが来てくれれば良いのですが・・・ええ歳して、この人(市丸さん)、理想を追うからな・・・。
理想の70%を嘉瀬川にでも捨てたらな・・・と思います。
ほんまに・・・、ほんまに・・・、ほんま・・・に、どうでも良いことでが・・・。
*注:多分、今回の稲荷様は製作に細かい部分が多く、沢山の数は造られないと思いますので、直ぐに伏見稲荷大社に行ってください。
*注:平成28年9月9日(金)現在、まだ伏見稲荷大社には置かれていないと思います。
店頭に置かれるのはもう少し先になると思います。
市丸さん・・・また、腕、上げた・・・。
平成28年9月8日(木)
私が5〜6歳?の頃、死んだ親父が40歳?位の時だと記憶しています。
死んだおふくろが、「お父ちゃんが帰ってこない・・・帰ってこない・・・」、と土間の所で心配していた光景を思い出します。
公務員だった親父は、日曜日になると朝から晩まで田んぼに行っていた事を覚えています。
全国的な区画整理事業の後、田舎の風景も一変して、今では全く当時の面影のない風景に変わってしまいました。
私の小さい頃は田んぼの横を流れる小川には沢山の魚が居て、夏にはホタルも飛び交って、平和な風景でした。
多分、秋?の夕暮れだったと記憶しています。
その日、親父が行っていた田んぼは、直ぐ横に小さな小川が流れていて、その小川の水は3〜400メートル上流に在るため池(龍ケ池)を源流として、その池に向かい、我が家の田んぼから段々畑の様な形で田んぼが上に続いていました。
勿論、田んぼは綺麗に区画整理される前の形ですので、昔からの各田んぼの持ち主の力関係も有り、それは不規則な形の田んぼが不規則なあぜ道の形を取り、龍ケ池に続いていました。
そして我が家の田んぼの一つ田んぼを置いて横には両荘中学が在りました。(今でも在ります)
その日親父は、もう薄暗くなって来たので家に帰ろうと思い帰り支度を始めていると、横の小川のあぜ道を中学生の女の子が泣きながら足早に龍ケ池の方に歩いて行くのを見たと言います。
親父は、「こんな時間に女の子が泣きながら・・・」、と思い、下を向いて直ぐに頭を上げると、その女の子は相当上の田んぼのあぜ道まで行っていたと言います。
親父は直ぐに、「泣いてる女の子・・・池に行って自殺する・・・」、と思ったと言います。
それから親父はその女の子を追いかけたと言います。
親父は龍ケ池まで行って探したと言います。
親父が家に帰って来た時は、もう真っ暗になっていました。
その話を帰って来てから一合の酒を飲みながらおふくろと話しているのを聞いていた自分を思い出します。
親父は何回もこの様な経験をしています。
「時代が良かったんやな・・・」、と思います。
騙す方も・・・、面白かった時代だと思います。
騙す方も・・・、人間が汚れてないので騙しやすかったと思います。
騙す方も・・・、もう今の人間には手出し出来ないだろうと思います。
騙す方が騙されるのを知っていますので・・・。
ところで昨日(9月7日(水))の夕方、家から直線で加古川の堤防まで500メートルほどを運動の為に往復しようと堤防まで行った帰り道、堤防下の村の中の道の用水路にしゃがんで水遊びをしている小学5〜6年生くらいの大柄の女の子の横を通ったのですが、その女の子がその後私にぴったりくっついて・・・私が横に行くとその子も私を追いかけて横について来る様な展開になりました。
一見して、ちょっと変わった子だとは解りましたが・・・他に人も居るのですが、もしこの女の子が、「このおじさん・・・変なんです」、と言われたら・・・。
本当に怖いものを感じました。
途中、加古川消防署の四つ角を女の子は私と違う方向に行ってくれましたので良かったのですが・・・。
用水路で・・・何故か・・・昔の我が家の田んぼの横を流れる小川を思い出しました。
田んぼの横を流れる小川を思い出したら、昔の親父の話を思い出しました。
ほんまに・・・ほんまに・・・ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・。
平成28年8月28日(日)
去年?か一昨年辺りくらいから・・・「女の人が怖いな・・・」、と感じ始めていました。
40代くらいから上の年齢の方に対してはさほど恐怖は感じないのですが、10代から20代、30代辺りの女の人が・・・「怖くなったな・・・」、と感じ初めていました。
要するに、「女」を前面に出して、今から勝負しようという年代の方に、「こわっ」と感じ初めていました。
一番怖く感じるのは、高校生の女の子が3〜4人、私服で真正面から来ようものなら、思わずベルデモールの商店街を快走する高級自転車を飛び降り、端に寄って下を向いて、彼女らが通りすぎるのを確認してから、「ああ・・・怖かった」と脅えている毎日です。
確かに、この年代の女の子が3〜4人寄って横に並んではしゃぎ始めればアクセルもハンドルも無い様な動きはするのですが、私の怖いのはどうやらそれではない様です。
大学生くらいの女の人の普段の行動範囲の状態・・・要するに通学やバイトの方を見てもさほど怖くは感じないのですが、この方らの普段とは違う行動・・・例えば、デイトとかの時のこの方を見た時、「こわっ」、と感じる時があります。
10代から20代辺りの年代の勤めに出ておられる方を見てもさほど怖さは感じないのですが、普段とはもう少しあらたまったところのこの方々を見た時、「こわっ」、と感じる時があります。
20代後半から30代中程の独身の女の方を見た時、日常でも、「こわっ」、と感じる時があります。
既婚の女の方を見ても怖く感じる事はありません。
偶に、既婚の方で一所懸命に頑張っておられる方を見て、「こわっ」、と感じる時もあります。
しかし、やはり、高校生の女の子が一番、「こわっ」、と感じます。
一人でいる時の高校生の女の子を見ても、「こわっ」、と感じる時があります。
何故かな?・・・、何故かな?・・・、何処が怖いのかな?・・・と考えていて、やっとその怖さの元が分りました。
多分・・・これだと思います。
ここ最近、
女の人の眉が太くなった
のが原因だと思います。
太い眉は迫力があります
。
さあ・・・今から
勝負しょうという方の眉は太いです
。
これがまだ5年前だと・・・、明石で美容室をしている時だったらいろんな年齢層のお客さんが来られるので即座に判明したのですが・・・もう自宅でする様になると・・・昔は若かった方ばかり・・・眉の無い方ばかりで・・・。
それと何故高校生が怖く感じるのかというと、化粧慣れしていないせいかやたらと厚化粧になるのだと思います。
しかしこの時代、これから人生を切り開いて行く女の方には、少し前の、あの細い、なよっとした眉では力不足だと思いますので、私の事は気にせずに、せいぜい太い眉で頑張って欲しいと思います。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・。
ところでちょっと前、妻と加古川駅の高架下に在る、「スーパーマルハチ」、で買い物をして、レジが済んで買い物籠からスーパーのレジ袋に入れていた時、私の買い物籠とレジ袋の間に買い物籠を押し入れて来た女の方が居られましたが・・・、「あら、邪魔しちゃったみたい・・・」、と言われていたが・・・、祈祷先でいろんなスーパーに入りますが、こんな事は経験した事はありません。
言葉からして元々は加古川の人ではないと思いますが、加古川も変わったな・・・と思います。
確かこの女(ひと)、ええ歳して、眉、太かった・・・。
確かに。
こんな女(ひと)は眉を細くして頑張らなくても良いと思うのですが・・・。
平成28年8月3日(水)
いや・・・ほんまに巳さんの執念、執着はすごいな・・・。
まあ・・・此処だけやないが・・・私らが説得してたら其処の巳さん・・・怒って地面が割れたな・・・、地面を割ったな・・・。
「お前らに説得されて気が鎮まるくらいなら・・・何にもこんなに怒ってないわい・・・」、という事やろな。
しかし此処はもう鎮まったと思ったけどな・・・。
もう大分長い事付き合いをさせて頂いてるが・・・、いや・・・商売はず〜っとええ状態なんやな・・・社長のお母さんも元気になられて・・・お父さんも若くなられて・・・しかし今回、社長の妹さんの鼻に急に出来物が出来て・・・2〜3、近所の病院に行って検査をしたら専門の病院を紹介されたらしいな・・・。
商売繁盛の祈祷がメイン?やと思たがな・・・祈祷の大分前から、何を聞いても何も教えてくれんのやな・・・地神さん。
こんなケースはきついんやな・・・今までの経験から、そう思ってたら・・・案の定、嫁さんの調子が崩れに崩れたな・・・。
八王子での祈祷の最中に、急に、「痛っ」、と嫁さんが言ったと思ったら段々脚の内出血が広がって来て、その為に病院に行ったが、歩かれんは・・・、舌は回らんわ・・・、喋られんは・・・、意識低下はひどいは・・・、看護師さんが、「奥さん・・・何時もと違うね?・・・」、と話しかけて来るは・・・、病院としても科を間違えとるんと違うか?・・・、という様な感じやったな・・・。
「いや・・・、ちょっと難儀なのが入ってまして・・・」、何か言われんしな・・・。
憑依の種類やが・・・仏さんにも感じるが・・・只の仏さんとはちょっと違うのが解ったな・・・。
まあ、一回、霊障?、霊症?、憑依?についても、詳しく書かなあかんなとは思とるんやが・・・。
・・・というのは、インターネットで見たら、まあ・・・人が怖がる様に怖がる様に書いてるのが多いな・・・ちゃうんやな・・・。
しかし此処は、その件についてはもう話がついとるはずで居ったが・・・巳さんの執念はきついな・・・。
まあ・・・嫁さん・・・祈祷の前夜から当日の朝にかけて体から汗が出て出て・・・、まあ・・・祈祷には間に合ったな・・・何とか・・・。
商売に関しては全く心配要らんのやが・・・此処は・・・、
「大阪、「○○自動車工業」
、の場合」、のとこやが・・・。
社長のお母さんのとうに亡くなったお兄さんが殺生した神霊の蛇がやっぱり出たな・・・。
・・・というのは、殺生したお兄さんの家は子供も居ないし・・・その奥さん・・・と言うても、もう80も中頃やろし・・・またこの人が、この領域からの知らせを受ける様な人ではないらしいから・・・やっぱり心優しい此処へ来るんやろな・・・困ったもんや、迷惑な話や。
お母さんのとこに来る知らせは、その娘さんの方に周って行くな・・・。
先ず最初に先祖供養をしたが、全く何も見えて来なかったし、体に入って来る様なお知らせは無かったな・・・。
一つ目の釜の前、「地神さん、祓うもの、出してください」、と言うと・・・、「ちょんちょんちょんと三本の線が出て来たわ・・・。真ん中が少し折れてるわ・・・」、と嫁さんが言ったな・・・。
(1)
「その、ちょんちょんちょんは、長い線か?」、と聞いたら、「そう」、と嫁さんが言ったな・・・。
先祖系統やないな・・・というのが解ったな・・・。
あ・・・これしかないな・・・と思ったんで、「あんた・・・、此処のお母さんのお兄さんが殺生した蛇か?。そうなら、ちょんちょんと線の端を動かしてみ?」、と言うと、「ちょっと動いたわ・・・」、と嫁さんが言ったんで、「ああ・・・やっぱりな・・・」、と思ったな・・・。
「あんた・・・まだ怒っとるんか・・・あの事を・・・。そうなら、端をちょんちょんと動かしてみ?」、と言うと、「動かしたわ・・・」、と嫁さんが言ったな・・・。
「そうか・・・まだ怒っとるんか・・・。あんた、それで社長の妹さんの鼻にそんな事をしたんか?。あかんがな・・・そんな事をしたら・・・」、とぐじゃぐじゃ意見しとったら・・・、「線が直角に折れ曲がったわ・・・」、と嫁さんが言ったな・・・。
(2)
直ぐに・・・、「目が出てるわ・・・その線の角の所に・・・」、と嫁さんが言ったな・・・。
(3)
「あんた・・・もう一回聞くが、あんたが妹さんの鼻に・・・をつくったんか?」、と聞いたら、「薄眼を閉じたわ・・・」、と嫁さんが言ったな・・・。
(4)
「そうか・・・あんたがしたんか・・・。しかしやが・・・こんなもん、この妹さんなんか何にも関係が無いやないか・・・」、とぶつぶつよったら(言ってたら)・・・、「何か?・・・、丸が三つ・・・頭?を下げてるわ・・・顔やわ・・・」、と嫁さんが言ったな・・・。
(5)
この蛇を殺生した人物やと直ぐに解ったな・・・。
それで直ぐに目の前に出ていたものが全て消えてしまったな・・・。
まあ・・・地神さんには、「地神さん・・・この殺された蛇、まだ殺した者の血のつながりが有るとこに恨みを向けて来るが・・・、地神さん・・・この釜で許してくれる様に巳さんには伝えてください」、と頼んだが・・・返事をしたかしなかったか・・・覚えてないんやな・・・私も・・・。
釜を焚いて・・・、「どや?」、と聞いた時、「釜が鳴ったらクルクルと巻いたものが釜の上に出て消えて行ったわ・・・」、と嫁さんが言ったが、後から確認したら、「そんな事言ってない」、と嫁さんも言うしで・・・、何か、私も嫁さんも疲れとるんやろな・・・。
いや・・・ほんまに・・・、
神霊の放つ執念は輩の放つそれとはけた違いにきつい
んやな・・・。
二つ目の釜に入る前に、初めてこの会社の伏見稲荷様と地神様のお姿が出たな・・・それまでに呼んでは見たが・・・姿は出なかったんやな・・・。
怒っている神霊の気持ちが鎮まるまでは、この会社の神霊も出んやろな・・・というのは解っていたんや・・・。
二つ目の釜は日頃の守護の御礼と、商売繁盛の祈願に使わせてもらったな・・・。
「稲荷大神秘文」、を上げてたら・・・、「一つの稲荷さんが踊り出したわ・・・」、と嫁さんが言ったな・・・。
(6)
踊る稲荷さん・・・偶に在るな・・・嬉しいんやろな・・・釜焚いたら綺麗なもんが力強く上に上がったな・・・。
しつこい程・・・会社の稲荷さんには、「○○自動車工業」、のこの先を聞いたが、ええ返事やったな・・・。
しつこい程・・・此処の方々にも、「神さん、、出とってやから、何か聞く事は無いですか?。有ったら神さんに聞きますので・・・」、とお伝えしたが・・・、「守ってもらっているのが分りますので、今のままで・・・それで良いです」、と言われるな・・・。
こんな事を言われたら、そら、神さんも嬉しいわな・・・。
此処だけやないが、神さんに守って頂いてるとこ(会社)は・・・、「何か分らないけど・・・終わってみたら、みたっと帳尻が合うんです・・・」、と言われるな・・・。
その会社の規模に合わせて帳尻を合わせるんやろな・・・、皆言うてやな・・・、「今月はどうしよう・・・と思っておいたら、終わってみたらみたっと合うんです・・・」、と言われるな・・・。
祈祷が終わって・・・さあ・・・この殺生された巳さんに対して、この家の方がどの様な事をすべきかを聞いてみたら・・・、「地神さんの前に「姫路おかき?」みたいなものが出てるわ・・・」、と嫁さんが言ったな・・・。
(7)
(嫁さんが「姫路おかき?」、と言ったが、全国何処にでもあると思います)
これに対して何やかやと聞いてみたが何にも言わんかったな・・・地神さん。
「まあ・・・地神さん・・・、この殺生された巳さんを此処で祀る訳にもいかんので、日にちを切って・・・一か月間、この家でお酒を置いて手を合わせてみます」、と言うと、「「水を供えてくれ」、と聞こえて来たわ・・・水・・・」、と嫁さんが言ったな・・・。
普通・・・殆ど・・・、「酒を供えてくれ・・・」、と言われる事が多いが・・・、「水を供えてくれ・・・」、とはな・・・神霊が・・・。
焼かれたんやろな・・・、しかし、水とはな・・・。
まあ・・・、妹さんの鼻の件も、何回も聞いてみたが、「心配する必要はない。大事には至らん」、という事ですので心配は要らんと思うな・・・。
しかし・・・妹さんの件も、事前にお知らせはこの家の方に有ったと思うが・・・、「たかはっさん、何時も忙しそうにしていたので・・・しょうもない事で連絡するのはどうかと遠慮していました・・・」、と言われたが・・・こんな方ほど、こまめに連絡をして来て欲しいんやな・・・ほんまは。
こんな方ほどな・・・。
稲荷さんが踊ってる以外の絵は、祈祷中に表白の用紙の裏に嫁さんがちょいちょいと書いたが、他の祈祷の絵・・・この頃、嫁さんもしんどいのか・・・忘れてしまっているのか・・・慣れてしまっているのか・・・余り書かんのやな・・・。
その内に全部忘れてしまうんやな・・・私も・・・。
あかんな・・・。
(一旦、上記までを登載して直ぐに気がついて下記を追記しました。申し訳ない)
あかんな・・・ほんまに・・・これ・・・、「ひとりごと・たまに・ふたりごと・・・3」、に登載しようと思ってそのつもりで書いていたが・・・、「ほんまに、ほんまに、ほんま・・・にどうでも良いことですが・・・」、に登載してしまったな・・・。
ほんまにあかんな・・・。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・。
この暑さやな・・・。
ちょっと休んだ方がええやろか?。
平成28年7月28日(木)
もうぼつぼつ出て来る頃かな・・・今年はちょっと遅いな・・・、と思っていたらついに出て来ました。
かりんの木やな・・・と思ってカーテンを開けると、やっぱり其処に居ました。
去年よりは少しだけ大きくなっている様に思いました。
去年は大きなシマヘビが出て来て、その数日後小さなシマヘビが出て来ましたが、多分、その蛇が少し成長して今年も姿を見せてくれました。
毎日、年がら年中蛇?は見ている?のですが、しかしこれとは少し違う蛇?ですので、実際の蛇は余り好きではありません。
「地神さん、かりんの木に蛇が居るの・・・解るやろ?」、と尋ねるとうなづきました。
「まあ・・・地神さん、居っても良いけど・・・余り急に目の前に出ん様に言ってください」、と伝えましたが、何も返事は有りませんでした。
去年の大きな蛇が出て来た時は、「居っても良いけど・・・余り目に入らんとこに居る様に言ってください」、と言うとうなづきました。
我が家の敷地の何処かに居るのでしょうが、それ以後、その姿は見た事が有りません。
つい先日、外から帰って来て地神さんのお社を見ると、向かって右側の榊の束が地神さんのお社の屋根の上にのっています。
カラスの仕業だという事が直ぐに分りました。
「地神さん・・・、カラスが来てたんやろ?。小さな蛇を狙って来てたんやろ?」、と聞くとうなづきました。
直ぐにお社の屋根にのった榊を取ろうと思ってお社の所に行くと、小さなシマヘビがお社の後ろに隠れていました。
まあ・・・余り気持ちの良いものではありませんが、以前、チビに買ってやったプラスチックの刀がお社の横に在りましたので、その先でチョイチョイと突いてやると、小さなシマヘビは大急ぎでお社のコンクリートブロックと土の間に出来たくぼみに入ってしまいました。
そんな事も有ろうかと思い、今年の2月頃、コンクリートブロックの穴をセメントでふさいだのですが、地面との境までは気が回りませんでした。
まあ・・・本物のチビ?は修行に出てもう帰って来ないだろうし、その代わり、生きてるチビが来てくれたと思ったらそれはそれで良しと自分に納得させました。
途端に、ああ・・・これは守ってやらなあかん、このままではカラスにやられてしまう・・・と思い、急いで近くのモリスまで行って鳥用のネットを買って来てお社の上にかけました。
「地神さん、カラスから蛇を守る為にネットをかけたで・・・」、と言ったのですが、知らん顔をしていました。
それ以後、小さなシマヘビが気になって呼んでみるのですが姿を現しません。
本物のチビ?とはえらい違いやな・・・、あれは呼んだら嬉しそうに直ぐに出て来たけどな・・・と思いながら、小さなシマヘビを呼んでいます。
生きてる蛇は?、難しいな・・・言う事きかんな・・・と思います。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・。
しかし・・・大相撲名古屋場所・・・濃かったな・・・と思いました。
相撲内容がどうこうではなく、桟敷席や土俵の近くに座る方々の濃かった事。
もう相撲内容など、どうでも良いこと、と思いました。
東京場所や大阪場所、九州場所なんか足元にも及ばない濃い方が多かった。
先ず着物姿の水商売の方の髪型・・・時代を思い出させる髪型・・・あれ、今のちゃらちゃらした美容師では出来てもあの型にはならんやろな・・・と感心して見ていました。
水商売の方々のお顔も・・・濃かった。
それと、これは全場所について言えるのですが、テレビの画面に映る場所に座って居る方の、自分に自信の有る表情、それをかもし出す雰囲気、どう観ても普通の勤め人が出す個性ではなく、何かを自分で成し遂げて、それにお金が付いて来てその方の今が在る、間違っても10年落ちの車を4年間のローンを組んで買う様な雰囲気の有る方は居られないだろうなと思いました。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・。
つい先日、八王子のホテルのフロントで、「これ全部書かないと駄目なのか。・・・で予約を取ってるのに書かないと駄目なのか。こんなホテル、見た事が無い」、とえらい剣幕で女の子に当っている中年のおっさんが居ました。
「何を怒っとるんやこのおっさんは?・・・」、と見ると、サラリーマンの方にしてはラフだし、経営者にしてはちょっと危ない会社かな・・・厳しいのかな・・・と観ました。
「このおっさん・・・偉そうに言うわりには知らんな・・・、余りホテルを利用してないな・・・」、と思いました。
「名前と住所と電話番号さえ書いたら、後はぐじゃぐじゃ言うホテルなんかないのに・・・」、と思いました。
私なんか、この日、次の日の祈祷の自殺した仏さんが入って来て、汗でベタベタやは・・・、10時間ほど運転してホテルの駐車場に車を止めて降りた瞬間、クラクラするは・・・、手と脚はブルブルするは・・・、急に目が見えなくなるは・・・で、そんな状態でフロントに行って、まさか、「自殺した方が体に入って来てるんで・・・」とは言えないし、モタモタしながら名前と住所を書いていると、「たかはっさん、よく泊まられているので会員になってください」、と言われるので思わず「ハイ」と言ったは良いが、その書類は沢山書く所が有って、一瞬だけ、横のおっさんの気持ちが分った様な気になってモタモタしてると、「私が書きます」、と若い女の子が言ってくれて全て書いてもらいました。
あのおっさんも、若いフロントの女の子に中年のおっさんの疲れたところを見せてたら優しく書いてもらえたのに・・・と思いました。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・。
平成28年7月5日(火)
明石の美容室を閉めて、直ぐ後、加古川の家の方で開業して、今年の7月で5年になります。
それを待っていたかの様にこの領域の仕事が想定外に忙しくなりました。
そして、少しは色気を出して、「小遣いくらいは何とかなるやろ・・・。
ビール(キリン淡麗グリーンラベル500ミリですが・・・
)代くらいは何とかなるやろ・・・」、と企んでいた本業の美容室の方は想定外に暇になりました。
「まあ・・・考えてみたら、おじいさんに近いおっさんの店には・・・お客さんは来んわな・・・」、と素直な気持ちであきらめて・・・久しぶりに妻の髪をカットしようと思ってハサミを持ったら、老眼鏡をかけないと手元が分らんは・・・、指は動かんわ・・・、その上、ハサミで掌や指を切りそうで・・・、それ以上にスタイルの構成が分らん様になってしまっている自分に気がついて・・・、「あ・・・これが頭で考える前にパッと出て来んとあかんのに・・・あかんな・・・歳やな・・・」、と素直に考えてしまいました。
私に取って、美容師という職業は決して好きでやって来た職業ではありませんので全く未練はないのですが、この肩書きを取られたら、「只のそこらのおっさん」、になってしまうのがちょっとさみしいので、一応看板だけは出しておこうかな・・・と迷っている今の状況です。
この迷っている、「おっさん」が・・・、少し前から気になっている事が有ります。
御存知?の様に、私はほぼ毎日、神奈川県の金森さんから伝授された方法でサドルを改良し、高級車並みの座り心地になった自転車で加古川駅周辺をウロウロしています。
そのウロウロしている、「おっさん」、が気になっている事が・・・どうもこの頃、自分の乗る自転車が真っ直ぐ前に進んでいないという事に気がつきました。
ハンドルが左右に動いている事に気がつきました。
勿論、自転車は少し蛇行ぎみに前に進んで行きます。
その、蛇行ぎみに進む自転車の横を若い方の乗る自転車が真っ直ぐに追い越して行きます。
その、蛇行ぎみに進む、「おっさん」、の運転する自転車を、大概の、「おばちゃん」、の乗る自転車も真っ直ぐに追い越して行きます。
偶に、ウロウロしている、「おっさん」、の乗る、少し蛇行ぎみに走る自転車が、「負けてたまるか・・・」、と真っ直ぐ走る、「おばちゃん」、の自転車に勝負を挑んで一応は勝ちますが、その後にどっと疲れが脚に来ます。
「やっぱり、何時もの乗り方が性に合ってるな・・・俺には」、と思いながら何時もの乗り方で加古川駅の方に向かっていますと、ウロウロしている、「おっさん」、と同じ様な、少しハンドルを左右に動かしながら自転車に乗っている方が居られます。
よく見ると、沢山居られます。
全てが男性です。
先ず、殆どが、ウロウロしている、「おっさん」、と同じ位の年齢か、少し上の年齢の方が多い様に思います。
ウロウロしている、「おっさん」、はまだ少しハンドルを左右に動かすだけですが、極端に大きく動かして乗っている方も居られます。
道を独り占めに、道幅一杯を蛇行している方も居られます。
よく見ると、皆さん、自由な身になった方と観ます。
要するに、社会的な肩書が無くなった方が多いと観ます。
社会的制約が軽くなった方と観ます。
社会的な肩書が無くなって身軽になられたのでその様な乗り方になったのかも知れません。
「おばちゃん」、は健康なら死ぬまで現役ですので、ウロウロしている、「おっさん」、の乗る自転車の様な進み方の方は見た事が有りません。
若い方で、ウロウロしている、「おっさん」、の乗る様な運転は余り見た事が有りません。
自転車に乗って着く先に大きな目標が有るのでしょう。
中学、高校生で、ウロウロしている、「おっさん」、の乗る様な乗り方をしているガキはドロップアウトした子やな・・・と観ます。
しかし、もう、ウロウロしている、「おっさん」、くらいになると、少し位の蛇行運転は良しです。
しかし、もし、ウロウロしている、「おっさん」、に美容師という肩書が無くなったら・・・、ひょっとしたら道幅一杯に蛇行運転をするかも知れませんので、もう少し肩書きは付けたままにしておこうと思っています。
問題は、ウロウロしている、「おっさん」、と同じ位の年齢の方が、それこそ一直線に自転車をこいでる姿を見る方が、「あの人・・・大丈夫かな・・・」、と思う時があります。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・。
しかし・・・この季節・・・
ビール(キリン淡麗グリーンラベル500ミリ)・・・うまいな・・
・。
どうでも良いことですが・・・。
平成28年5月2日(月)
妻が去年の9月に手首を複雑骨折して、その半年後、今年の4月7日に手首に入れていた金属を取り出す手術をしました。
午前中の手術で、妻は術後の痛みもなく普通にしていましたので、私はお腹が空いて・・・その前から空いていたのですが・・・病院(加古川H市民病院)の食堂に行きました。
この食堂は3回目で、注文を聞いてから仕込むらしく少し時間がかかるのは分っていたのですが、そこらのおばちゃんが料理をするので、変なプロがプロらしい味付けをして誤魔化す様な技術も魂胆も無さそうで、家で作った様な味で私は好きです。
元は企業病院だった事もあって教育が行き届いているのか、医師や看護師さん、職員、食堂のおばちゃんも、
35〜6回の入退院の経歴の持ち主専用のベテランの付き添い師?から観ると
、先ず経験した事のない程快適?な病院だと思います。
私は何を食べるかを決めていない時は、その時の気分にもよりますが、大体、「トンカツ定食」を注文する事に決めています。
「トンカツ定食」は、全国、大体、何処で(何処の病院で)食べても先ず当たり外れがないからです。
食堂に入ると、@の、中学生の女の子1人、他は大人3人の4人連れ、Aの中年の男の方、Bの67〜8歳位の女の方、一人が座られていました。
@の4人連れはもう食事が終わってワイワイ喋られていました。
「あ・・・この方らは見舞いに来られて、見舞った病人ももう直ぐ退院されるんやな・・・」、と観ました。
Aの中年の男の方は下を向いて何かを黙々と食べられていましたので余り興味?が持てませんでした。
Bの67〜8歳位の女の方はイライラしておられるのが一目で分りました。
Bの方のテーブルには、コップの水だけが置かれていますので、注文されたがまだ料理が来ていないと観ました。
「あ・・・この方は見舞いに来られて、見舞った病人は余り良い状態ではないな・・・、早く昼ご飯を食べて病室に戻りたいのかな・・・」、と観ました。
私は
黄色の線
で書いてある様に、最初、窓側に座って入り口の方を向いていたのですが、廊下を通る人と目が合いますのでCの位置に座り直しました。
直ぐに、「トンカツ定食」、を注文しました。
そして体を斜め左側に向けたり、首だけ左に回したりしながら売店の見難い位置に置いてあるテレビを見ていました。
当然、テレビだけを見ているつもりでも、左側の目はテレビに向いていますが、右側の目はどうしてもBのイライラしている女の方の方ばかりを向いてしまいます。
Bの女の方はテレビを見ずにキョロキョロ左右を見たり、両手をテーブルの上に置いたり、その手をもんだり?されています。
@の4人連れは沢山で来られている強みか、ワイワイと大きな声で喋って笑っています。
おまけに、中学生の女の子が売店の中に入ってウロウロし出しました。
それも影響しているのか、Bの女の方のイライラが増しているのが分ります。
そうこうしていると40代の女の方が来られてDの席に座られ、どんぶりものを注文されました。
直ぐに30代後半位の男の方が私の前に来られて、「前の席、空いていますか?」、と2席分の範囲を手で指して聞かれますので、「空いてますよ・・」、と言うと、「有難う御座います」、と言ってEの席に座られました。
「あ・・・直ぐにもう一人来られるのかな・・・」、と思いながら目はBの方の方ばかりに向いてしまいます。
Bの方のイライラが余計に激しくなって行くのが分ります。
Eの方はオムライス、サラダ付を注文されました。
その後直ぐに、「トンカツ定食」、が運ばれて来ました。
「Bの方・・・何を注文されたのかな・・・遅いな・・・」、と思ってBの方の方を見ると、Bの方と目が合ってしまいました。
そうこうする内に、どんぶりものがDの方の前に運ばれて来たのを横目で確認出来ました。
私はBの方のそれを見た時の表情を見てしまいました。
Eの方の前には、「サラダです・・・」、と小さな器が運ばれて来ました。
Eの方は直ぐにサラダだけを食べ終えました。
「お腹・・・空いてたんやろな・・・」、と思いました。
Bの方の前にはまだ何も運ばれて来ません。
そうこうする内にFの方、多分、夫婦と思われる方が入って来られて、男の方は、「うどん定食」、を頼まれました。
「うどん定食・・・そんな炭水化物ばっかり摂って・・・まあ・・・Mさん(土地の障り4)(やればやる程難しく、深くおおいかかるこの領域の難解さとその怪)(ある企業家・・その後)やないが、不動産の仕事が忙しいて・・・いろんな資格も取って、何を思ったのか炭水化物を一切取らんとスリムになっとるが・・・あれも考えものやな・・・程度もんやな・・・」、と思いながら・・・、しかしこの人は知らん人やから・・・「まあ良いか・・・」、と思いながら聞いていました。
それにしてBの方の注文したものが来ないのを心配しながら「トンカツ定食」を見ますと、「あれ・・・何か足らんが・・・まあ・・・此処のトンカツ定食はこの形やな・・・郷に入っては・・・・何とかやな・・・」、と思って、トンカツの上にウスターソースをかけて食べ始めました。
そうこうする内に、Fの方の「うどん定食」、が運ばれて来て食べているのをズーズーの音で確認しました。
「これ一体どうなっているんや・・・それにしても遅すぎるで・・・これ・・・大概の方は文句、言うで・・・しかし・・・」、と思いながら、「何か足らんな・・・足らんな・・・」、と心の中でブツブツ言いながらトンカツにウスターソースをかけて食べていました。
そうこうしていると、@の女子中学生が何かを注文しました。
直ぐに緑色のちゃちな飲み物が運ばれて来ましたが、「子供の注文した緑色のものなんか後でええがな・・・Bはどうなっとるんや・・・」と焦って来ました。
その後直ぐにBの方の所に、「野菜焼き肉定食です・・・」、とおばちゃんが、「お待たせしました・・・」、の言葉もなく運んで来ましたが、「こんなもん程・・・直ぐに作れるやろ・・・」、と腹が立って来ました。
Bの女の方はムス〜ッと座り直して、ムス〜ッとして食べておられましたが、よく見ると、汁物の蓋をとるのも忘れたのか、ご飯と焼き肉ばかりを食べておられました。
「多分、あの方は、もう2度とこの食堂には来ないやろな・・・気の毒に・・・・」、と思って、「しかし、何か足らんな・・・何か足らん・・・多分」、と思いながらトンカツにウスターソースをかけて食べていますと、「すみません・・・トンカツのたれ・・・忘れていました・・・すみません・・・」、言いながらおばちゃんが小皿に入れたトンカツのたれを持って来ました。
「もうほとんど食べ終わっとるがな・・・後二切れ・・・残っとるだけやが・・・」、と思いながら、その大事な二切れを小皿に入った正式なトンカツのたれにつけて食べました。
「とんかつ定食」、を食べ終わって、ぬるくなったお茶を飲みながらよくよく考えてみると・・・、「今日、この食堂で縁の有った11人の中での
閉めの落ちは・・・俺やった
な・・・」、と思うと、
何故か嬉しくなって
来ました。
良いものを見せてもらった・・・、
良い思いをさせてもらった
・・・、有り難いな?・・・と考えながらふと前を見ると、Eのオムライス、サラダ付の方の姿が見えません。
「あ・・・もう帰られたかな・・・しかし・・・前の席なら帰られるのが見えたはずやが・・・周囲に気を取られていたのかな?・・・と思いながら・・・結局、誰もお連れは来なかったな・・・ほな・・・何で・・・手で二人分の席を指したんかな?・・・」、と思いながらレジの所へ行って横を見ると、@の四人連れ、Aの男の方、Dのどんぶりものの女の方、Fのうど定食の二人連れはもう帰られたのか誰も居られませんでした。
狭い食堂の中は、Cの私とBの女の方だけになっていました。
狐には悪いのですが、狐に騙された様な感じがしました。
妻の手術が終わってやれやれと思ったその心の緩みに、この食堂で縁の有った方々が見せてくれたインパクトの強いドラマに負けてしまった様です。
Bの中年の女の方だけが・・・まだ・・・汁物の蓋をとらずにムスッとして野菜焼き肉定食を食べられていました。
Bの方のドラマはまだ続いています。
Bの方のこの先が・・・、何時、汁物の蓋をとられるのかが気になりましたが、私も何時までもこんな事をしておれませんので妻の病室に帰りました。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しかし・・・自
分の妻が入院して、ましてや手術の日に、こんなアホな事を頭で考える奴も居るんや
な・・・」、と思われる方が大半ではないかと思います。
そう思われる方の方が正解だと思います
。
しかし・・・病気でいえば・・・此処13〜4年の間に妻の入院を35〜6回、その内の半分は救急車を要請するなどの体験をして(させて頂いて)、入院日数は延べ1000日は優に超え、「もう駄目です」、と宣告された事も何回か経験して(経験させて頂いて)、病人という弱者が集まる場所を通して、大きな意味の弱者側の気持ちを妻の入院を通して勉強して(勉強させて頂いて)・・・それに対し、自分が何も出来ない事の無力を勉強して(勉強させられて)・・・。
しかし・・・能力でいえば・・・小さい時から・・・人と同じ事を、同じ様に、同じ程度に学んだ結果は絶対人より劣る結果に終わる事に気づいて(気づかされて)・・・それに対し、自分が人と同じ事を、同じ様に、同じ程度以上に学ぶ気持ちがない事の持ち主だと解って(解らされて)・・・。。
しかし・・・人生で言えば・・・不器用に真面目に頑張っておられる方ほど報いが少ないし・・・、おまけにこんな方の所に負が集まる事が多いのに気がついて(気がつかされて)・・・「ほんなら俺がちょとでもそんな人の為になるなら・・・やったるがい・・・
幸い、地神さんが居るし
・・・」、という気になって(ならされて)・・・、と言うて・・・「一生懸命にやっとるつもりやが・・・思う様に行かんな・・・」、という無力感ばっかり感じて(自分の無力を教えられて)・・・。
しかし・・・嫁さんが医者から、「もう駄目です」、と言われた時・・・、当座はしんどかったが、その後、何故か楽しい夢ばかり見る様になって・・・朝起きた一瞬だけが楽しくて・・・一瞬後はまたしんどくて・・・という様な経験をして(させられて)・・・まあ・・・しんどい時も・・・「何かおもろい(面白い)事がないかいな・・・」、という性格というか・・・生き方になった(ならされた)んやな・・・と思います。
まあ・・・他の方はもっと真面目な方ばかりですので私の考え方や生き方とは相入れないと思いますが・・・。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・・・・・・・。
平成28年4月1日(金)
例えば・・・、
朝起きて・・・柏手打って・・・「お早う御座います」、と言うと・・・神霊(地神様)が出て・・・お伺いしたい事が有れば・・・「こうこうで・・・」、とお伝えすれば・・・「こんなのが見えてる・・・出て来た・・・」、と嫁さんが答えて・・・「あ・・・そういう事な・・・」、と勉強させて頂いて・・・普通の方から観れば・・・「んなアホな・・・」、と思われる日常があって・・・「それが当然や・・・」、と思っている自分が在って・・・しかしこんなもん・・・「信じてくれる方は居るんかい?・・・」、と思う自分も在って・・・そんな時、動物の気持ちが解る・・・動物と話が出来る・・・という方がテレビに出ていて・・・「うんなアホな・・・ちょっとおかしいんと違うん・・・」、という自分が居て・・・「いや・・・待てよ・・・私も同じ様に思われとるやろな・・・尋常な人から観たら・・・」、という自分も在って・・・「しかし・・・動物は嘘つかんからな・・・こっちは下手したら、嘘、つかれるからな・・・」、と、ちょっと有利な位置に自分を置いて・・・「いや・・・そう言うても・・・10年近く居る猫が毎朝私の腕を叩きに来るが・・・何の為に叩きに来るのが未だに解らんな・・・」、と動物と話せる方を・・・「何と器用な人やな・・・」、と少し認めて・・・インターネットで調べたら、日本でもそんな方が居られるのを・・・「知らんかった・・・」、と感服したりして・・・暇やから・・・「草むしりでもしょう・・・」、と思って外に出たら・・・「たかはっさん・・・助けてください・・・」、と急に人が来たりして・・・「あっ・・・○○さん、(何時もお客さんなど居ないのに・・・)今、丁度お客さんが居なくて良かった・・・まあ・・・入ってください・・・」、とええ恰好して・・・「地神さん・・・これ、どないなっとるんや?・・・」、と聞いたら・・・「わあ・・・」、という意味のものを見せてくれて・・・「困ったな・・・どう説明したら良いんや?・・・」、と疲れてしまって・・・その後・・・「孫が・・・孫が・・・食欲がなく、便に血が混ざっているんです・・・龍神さんに聞いてください・・・」、とメールが来て・・・「はて・・・誰やろ?・・・苗字だけが書いてあるが・・・しかし、医者やないんやで・・・」、と思いながらパソコンで氏名を調べて・・・「しかし・・・手裏剣の大塚さんの天狗さんやないが・・・あの時期は、地神さんも強烈なものをはっきりと見せてくれて・・・そら・・・私らにしても、一時間や二時間、根つめて聞いてたから教えてくれたんやろが・・・この頃は、私も嫁さんも・・・ひょっとしたら地神さんも根性が薄れて来たんと違うか・・・」、と思ったりして・・・「いや・・・それは無い・・・そんな事は無い・・・そんな事は無い・・・初心に戻って・・・初心に戻って・・・」、と自分を奮い立たせて・・・「よっしゃ・・・」、と思って地神さんに聞いたら・・・「地神さん・・・知らん顔してるわ・・・」、という嫁さんの返事に・・・嫁さん?と地神さんにムカッとして・・・「そう言うと・・・糠に釘みたいな・・・砂に棒を立てたみたいな相談にガクッときて・・・まあ・・・そら・・・地神さんも知らん顔するわな・・・」、と納得して・・・その後、時計を見たら・・・「あ・・・もう5時やな・・・カピル(加古川駅前のヤマトヤシキの地下のスーパー)もヤマトヤシキも3割引やな・・・そうや・・・貰ったデパート券で何かビールに・・・勿論、キリン淡麗グリーンラベル500ミリに合う美味しいものでも買ってこう・・・」、と入間市のKさん伝授の高級サドルの自転車で出かけて・・・顔見知りの店員さんと目が合っても・・・変に知り合いになると何時も買わないといけない気持ちになるので知らん顔して買い物して・・・カピルを出て、電車から降りて来る人の顔を見て・・・「お・・・現役の顔やな・・・」、とちょっと押され気味に見て・・・「俺も・・・俺も・・・」、一応、美容室の看板だけは出しとるがお客さんが来ないのでちょっと緩んでる事は否めんが・・・「俺は・・・あんな人よりもっときりっとしてたがな・・・以前は・・・」、と自分を持ち上げて・・・持ち上げついでに上を見たら
・・・「駅前の桜・・・まだやな・・・もう三日やな・・・しかし・・・桜が満開になると・・・桜を見ただけでテンションの上がる奴・・・居るな・・・あんな奴・・・羨ましいな・・・ゾウリムシみたいな細胞やろな・・・」、と、この時間になると頭が少し変になるのを自覚して・・・しかし・・・殆どのシャッターが閉まってる商店街?・・・「何時も・・・年がら年中・・・桜、咲いと
るで・・・」、と思いながら・・・小門口の信号の角に去年の12月に開店した美容室・・・「見たところ・・・奥さんは美容師特有のものを持ってなさそうやし・・・素人やな・・・と勝手に判断して・・・まあ・・・主人も真面目そうに見えるし・・・外から見て・・・借り入れも有るやろし・・・親も負担されたんやろが・・・もうちょっとお客さん・・・欲しいな・・・頑張って欲しいな・・・」、と思いながら・・・商店街を通ってマルアイ(スーパー)に寄って・・・「カピルは菓子パンの種類が少ないので毎日マルアイに来とるな・・・」、とブツブツ言って・・・それから家に帰って・・・風呂に入って出たら・・・「さあ・・・私の時間です・・・」、と鰹節目当ての猫が待っていてくれて・・・「此奴・・・一体・・・何を考えてるんやろ?・・・」、と思いながら・・・キリン淡麗グリーンラベル500ミリを飲んで・・・「まあ・・・一応・・・今日も何も無しに・・・嫁さんもまあまあの顔しとるし・・・しかし・・・キリン淡麗グリーンラベル・・・味・・・俺に黙ってちょっと変えたな・・・夏用にしたな・・・何処をねろとるんやろ?・・・麗・・・過ぎとるで・・・終い目に、味、無くなるで・・・まあ・・・うまいからええか・・・今日も・・・お開きお開き・・・」、と、
例えば・・・、
こんな暮らししとるが・・・。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・・・・。
平成28年3月18日(金)
コーヒーはよく飲んでた方だったんです。
私の若い頃は喫茶店が大流行の時代でした。
田んぼの真ん中にも喫茶店が在って、それも、何時行っても満員の状態でした。
店の中にはジュークボックスが置いてあって、お客さんは自分の好みの曲をかけますので、演歌やその当時のポップス、ムード音楽?、ムード歌謡?など、店にマイクを置いたら、それはカラオケ喫茶の創めにつながる様な雰囲気でした。
此処に看板娘かちょっと男好きのする女の方でも居れば、朝から晩まで、超満員の喫茶店が各所に在って、そこを梯子(はしご)するものですから、一日にコーヒー7〜8杯飲んで、腹の中がボチャボチャの状態が多かったのを覚えています。
コーヒーとハイライトが定番でした。
それと名曲喫茶、純喫茶、ジャズ喫茶にもよく行ってコーヒーを飲んでいました。
勿論、喫茶店によって、行く友達は変わって行きました。
田んぼの真ん中に在った喫茶店は近所の幼馴染や中学校の友達とよく通ったものでした。
何故か、皆、「ホット」、を飲んでいました。
間違っても、「ミルクティー」、を飲む者は居ませんでした。
名曲喫茶、純喫茶は大阪に通学していた時に一人で入ってコーヒーを飲んでいました。
ジャズ喫茶は、少しの時期、神戸でウロウロしていた時代がありましたので、三宮辺りで一人で入ってコーヒーを飲んでいました。
水だしコーヒーやサイフォンコーヒー、いろんな方法で抽出されたコーヒーを飲みましたが、本当は、コーヒーは余り好きではありませんでした。
こく、香り、苦味、酸味など、こだわる方が居られますが、私の好きなコーヒーは、今は阪神大震災で街が様変わりして影も形も無くなりましたが、JR兵庫駅の少し上の塚本通りに面したビルの狭い階段の?階に在った狭い喫茶店の一杯60円のコーヒーが美味しかったというより、私好みの味だった事は覚えています。
その当時、バーテンダーをしていた友達が言うには、「このコーヒーは一回抽出したカスをもう一回使ったやつや・・・」、と言っていた事を覚えています。
しかし、それが美味しかったのですからしょうがありません。
それが、私に取って、「美味しい高級コーヒー」だったのですからしょうがありません。
長い間、自分で進んで喫茶店に入った事はありません。
偶に喫茶店に入ってコーヒーを飲みたい事がありますが、私の好みのコーヒーを出してくれる所はないのが分りますので入った事はありません。
私は・・・あの・・・でがらしの・・・あの・・・安っぽいコーヒーが大好きなんです。
喫茶店に入って、「安っぽいコーヒー、ありますか?」、なんか言えるはずがありません。
市販のドリップ式コーヒーの一番安価なものも沢山試しましたが、皆、私には高級過ぎました。
ところが、祈祷によっては一泊か二泊、ホテルを利用しないと行けない所がありますのでよく利用しますが、ホテルによってはドリップ式のコーヒーが部屋に用意されている所があります。
勿論、いろんなメーカーのドリップ式コーヒーがあると思いますが、去年、やっと、あの、「安っぽいコーヒー」に巡り会う事が出来ました。
神戸から大分に行くフェリー、「S○○○ー」、の部屋に置かれているコーヒーが、長年探していた、震災前、塚本通りに面したビルの?階の狭い喫茶店の一杯60円のコーヒーの味だったのです。
それと、八王子の駅前のKホテル、横浜市中区の氷川丸の前のN○○G○○○、此処に置かれているコーヒーも震災前・・・・狭い喫茶店・・・一杯60円のコーヒーの味だったのです。
懐かしい味でした。
しかし、ホテルに置かれている日本茶、あれはあかん。
どんな入れ方をしても美味しくありません。
コーヒーにうるさい方は沢山居られるのに日本茶に関しては寛容なのか・・・決して美味しいお茶に当ったことがありません。
私は毎朝仏壇にお茶をお供えしますので、お裾分けを頂く形で?、最低マグカッツプ3杯分位の日本茶を毎日飲んでいます。
幸い、静岡県の方やテニス関係の方からお茶を頂く機会が有りますが、しかしそれが無くなれば近所のマルアイの安いお茶を買って来て飲んでします。
「安っぽいコーヒー」、ではありませんが、「安っぽい日本茶」、を、「美味しい高級日本茶」、の味に入れるには少しのコツがあります。
先ず、お供え用の湯飲みを三つ、そして私用のマグカップを横一列に並べます。勿論、私用のマグカップは一番下手の左端になります。
先ず、急須に、「安っぽい日本茶」を多めに入れます。
そして少しぬるい目のお湯を入れ、普通よりは少し長く時間をおきます。
間違っても、お湯を入れると急須の中の葉がクルクル回って中で運動会をしている様な温度で入れると、「究極の安っぽい日本茶」、の味になってしまいます。
その後、普通よりは少し長く時間をおいた日本茶を、勿論、上手から下手のマグカップまで、少しずつ注いで行きます。
その順序を三回繰り返し、最後は一番下手の私のマグカップで終わるのですが、この後、位の高い上手の三つの湯飲み茶わんには黙って不敬を働く事になります。
解っていてそうするのですから不敬になります。
不敬に当たるものを独り占めするのですから毎日罪を犯している事になります。
本来なら、それを上手の湯飲み茶わんから下手のマグカップまで、四回目の動作に入れなければならないのですが、それをすると、「安っぽい日本茶」が「まあまあ美味しい日本茶」で終わってしまいます。
「美味しい高級日本茶」、にするには、あの、急須の中のお茶の葉の中に残された方?がもしも言葉を発するなら、「お茶の美味しさの解らん人には飲んで欲しくありません・・・・」、と言うかも知れない程大事なものなのです。
お茶を注ぎ終わったと勘違いした後少し辛抱強く待っていると、急須の先から、遠慮がちに、「ぽとぽとぽとぽと・・・」、と出て来るあれが?・・・、「安っぽい日本茶」、を、「美味しい高級日本茶」、にしてくれるのです。
その、「ぽとぽとぽとぽと・・・」、がどれだけ大事かというのを解っていながら、上手の三つの湯飲みには注がず、私のマグカップに入れてしまうのですから失礼な話だと思いながら、「美味しい高級日本茶」、を毎日楽しんでいます。
因みに、祈祷が終わって日本茶を出して頂く事があります。
気の利いた方は?、目の前の急須から注いで頂く事が有りますが、何故か最後の、「ぽとぽとぽとぽと・・・」、は妻で終わりになる事が多くあります。
偶に、私で、「ぽとぽとぽとぽと・・・」、を終わりに注いでくださる方が居られますが、「あ・・・この人は良い方だな・・・」、といつもそう思います。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・・・。
平成28年1月13日(水)
都会や街で生まれ育った方には解らない事が有ります。
私の様に加古川市の上荘町という田舎で生まれて二十歳過ぎまでその様な環境で育った者には越さなければならない山が在ります。
朝、東に在る隣の村と少し離れた山の間から日が昇って、夕方、西に在る山角山に日が沈むのを見ながら二十歳過ぎまで其処で育った者には、征服しなければならない山が在ります。
子供の頃、家の裏に出て山に向かって叫べば山彦が返って来る様な風景と環境でした。
四季によって、景色の匂い、風の匂い、草の匂い、土の匂いの違いを分る様になってしまった者にとっては征服して越えなければならない山が在ります。
在りました。
その山を、何の苦労もなしにひょいと飛び越してしまう者も沢山居ました。
その山を全く意識せずに、その山が在る事すら意識せずに、何の息苦しさも無く一気に飛び越してしまう者も沢山居ました。
その山を楽しく飛び越えてしまう者も沢山居ました。
殆どの者が飛び越して行きました。
私は苦労しました。
私には時間がかかりました。
兎に角、その山を越さなければ前に進めないのです。
去年の暮、K新聞の勧誘の方が家に来られました。
実は去年の10月の末までK新聞を取っていたのですが、本来の無精が祟って?、読み終えた新聞の束がたまってたまって、おまけに、普通の方の想像も出来ない程のビール(キリン淡麗グリーンラベル500ミリと350ミリ)の空き缶も溜まって溜まって、「爽健美茶」のペットボトルの空も溜まって溜まって、他にも、運動不足解消にと思って以前に買ったルームランナー、おまけに車のタイヤ4本等が家の玄関の上がり口にあって、全く玄関から出入り出来なくなって店のドアから出入りしている状況になっていました。
「新聞屋・・・、読み終わった新聞、持って帰ってくれるんなら続けて取るけど・・・・、一回、止めよ」、という決論を出して去年の10月一杯でK新聞を断りました。
ニュースなどはテレビやインターネットで何とか分りますが、近所のスーパーの売り出しの情報がとんと入って来ません。
これが一番困りました。
・・・・という理由で、再度、K新聞をとろうと思い新聞屋に電話をかけたら直ぐに勧誘の方が飛んで来たわけです。
また、この方がよく喋る。
「たかはっさん・・・、うろうろしょってんですか?」、と言うので、「うろうろしてますわ・・・」と答えて、「車でうろうろしてますのん?」、と聞くので、「車でうろうろしてますわ・・・」、と答えて、「私、何か、憑いてますか?、いや・・・絶対憑いてると思うわ・・・、親父やわ・・・、私、絶対ええ死に方、せんと思ってます。親父に迷惑かけて、親父を見捨てた様な形で好きな事をやって来たから・・・、親父、私を恨んどると思います。私は孤独死やと思てます・・・、誰にも看取られずに死んで行くと思います・・・まあ・・今はこうして新聞屋さんに世話になって住まわせてもらってますが・・・」、と言うてやから、「おたく、結婚してないの?」、と聞いたら、「独身です。一回も結婚してません」、と言うてやし、「昭和24年生まれです・・・」、と言われるので、「ほな、私と同じ歳やな・・・」、と答えたら、「8月生まれです」、と言われるので、「ほな、私の方が1か月上やな・・・」、と答えると、「まだ結婚する気有ります・・・まだ出来ます?」、と言うてやから、「この人、女、知らんな・・・男の・・66歳の・・金持ちなら・・まあ・・そんな事も有るやろけど、女の人はそんなに甘いないで・・・・」、と思ったけど、「しかし・・・、ええ時代やったですね・・・・」、と言われるので、「そやな・・、ええ時代に生まれ育ったと思うな・・・」、と答えると、「私、和歌山県の田舎の山の中で生まれて、中学3年の時に初めて大阪の天王寺でオート三輪が走ってるのを見て・・・わあ・・都会や・・・と感激しましたわ・・・」、と言われるので、「何ぼ何でも・・・そんなもんと一緒にされたらかなんな・・・と思ったけど・・・、この人、ほんまにど田舎の生まれの人やな・・・、俺なんか親父が神戸の加納町に行っていたんで、小さい時から神戸の街は良く知ってたで・・・和歌山の山の中とは一緒にせんといてえや・・・」、と思ったけど、「マツダのオート三輪、あったな・・」、と答えたら、「学校出て、東京へ行って好きな事しましたわ・・・」、と言われるので、「あっそう」、と答えたら、「私、いまだに和歌山の街、知らんのですわ・・・66にもなって、和歌山の街、知らんのですわ・・・、和歌山の街に用事ないしね・・・」、と言われるので、「あんた・・・、和歌山県で生まれて、和歌山の街、知らんの?。私ら、うろうろしてますから、よう知っとるで・・・」、と自慢したら、「あっ、私ばっかり喋って・・・ところで・・・・3年程・・・契約・・・を・・・・」、と言われるので、「1年や」、と答えると、「有難う御座いました」、言うて、帰って行かれました。
悪い方ではないと思いましたが・・・、66歳まで独身で・・・、帰られる時の軽4のアクセルのふかし方・・・、後姿など・・・・を観てたら・・・、何か・・・やっぱり・・・人間は結婚して歳を取った方が自然やなと思いました。
そら・・・、日々のお金の心配して・・・、今月、どなしょ?・・・・、子供が生まれたからしょうもない事考えんと働かなしょがないし・・・あれも欲しい・・これも欲しい・・・でもお金が無いし・・・調子、悪かっても美容師は日給月給で、給料は安いし・・・薬を買うお金も無い時があったし・・・、実家の畑の白菜ばっかり食べてた時もあったし・・・集金が来たら居留守を使うし・・・上を見んと・・・前も見んと・・・毎日仕事に行って・・・・主人が会社に行ってる子供の同級生の近所の家はすし屋の寿司やけど・・・小僧寿ししか食べられへんし・・・地域の役が回って来て寄合に行ったら、「なんや・・・たかはっさんとこアパートか」、と言われるし・・・、銀行に頭下げてお金を借りたら返さなしょうがないし・・・・ちょっと返済が遅れたら直ぐに電話がかかって来るし・・・ある日、家に帰ったらガスが止められてたし・・・一体、公共料金の催促状、督促状がどれだけ来るんやろと思って段ボールの箱に入れてたら直ぐに一杯になるし・・・、国民健康保険証は保険料を祓いに来てもらわんと出せませんので市役所まで来てくださいと毎年言われるし・・・ちょっと子供が大きくなったと思ったら、ある日、家出て2年程帰って来んし・・・その頃から嫁さんがグジャグジャになるし・・・で・・・、こんな経験した事の無い方だろうなと思いました。
しかし生まれ育った環境から観て、この人にも越えなければならない山が在ったはずですが・・・この人は何の意識も無く、楽しく山を越えて来たのかな・・とも思いました。
それとも、この人にはその山は無かったのかな・・とも思いました。
いや、この人はその山の存在を無視して、それを整理しないで此処まで来られた方なのかも・・・とも思いました。
この方もその山をちゃんと整理して、順序を踏んでそれを乗り越えて来られていたら、また、今の形とは違うものが在ったかも知れないな・・・とも思いました。
まあ・・・他人(ひと)の人生はどうでも良いのですが・・・・、この方と話をしていたら、私にとって越さなければならない山の事が有ったなと思い出した次第です。
私に取って越さなければならない山は・・・都会や街で生まれ育った方からは笑われるかも知れませんが・・・それは、「加古川の街」、でした。
上荘町小野のバス停で神姫バスに乗って、バスが米田町船頭のバス停を曲がって加古川橋を加古川駅に向かって進み始めると、其処に、私の越さねばならない「加古川の街」が展開されて行きました。
この、「加古川の街」こそ・・、この、「加古川の街」、を通過点にして初めて他の土地が開けて行く訳です。
しかし、この、「加古川の街」、は私にいろんな事を話しかけてきました。
「お前・・・何処か・・遠いとこに住もうとしてるやろ、他の土地は怖いぞ、加古川に居れ、何処にも行くな、加古川はええとこやぞ、何処へも行かずに此処で死ね、お前なんか何処へ行っても飛躍せんわ・・・あほ・・、此処に居れ、山が在って川が在って田んぼが在って、ええとこやぞ、出て行っても何もええ事ないぞ・・・、お前の友達はいろんなとこに住んで成功してるが、お前は無理や、此処から出て行くな・・・・・慎重になれ…慎重になれ・・臆病になれ・・・出て行くな・・・」・・・・・と。
この山を説得、整理して、飛び越して行くのに時間がかかりました。
いや・・まだ越していないかも知れません。
遠方に行って帰って来て、「加古川の街」、の空気を吸うと落ち着きます。
もう今年で67歳になりますので、もうこの山で遭難しても良いと思います。
もうとっくに遭難してるか・・・・・・・。
入間市のKさんの助言を元にサドルにひと工夫を入れた高級自転車で、ほぼ毎日、この辺をうろうろしています。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・・に、どうでも良いことですが・・・・・。
平成28年1月3日(日)
どうかしていたと思います。
少し変になっていたのかも知れません。
こんなはずがない・・・・、こんなはずがない・・・・、俺の正月が、こんなはずがない・・・・、こんな方向には行くはずがないと思っていました。
去年の12月20日に相談を休ませて頂いて・・・、相談を休ませて頂くと当然相談される方からの念は止まる訳で・・、私達の体、特に妻の体にはその様な念は作用しませんので体の調子は良くなって来ていました。
しかし、「こんなはずがない・・・」、という疑念はずっと私の頭の中には有りました。
「こんなはずがない・・・」、と思いながらも、少し変になっていたのかも知れません。
去年の12月22日、何を思ったのか・・・、頭が変になったのか・・・年末ジャンボを買おうと思ました。
テレビのコマーシャルでは締切が22日・・・、締切が22日・・・とうるさい程放送していましたので、ジャンボを買おうと思いました。
毎年、大概、年末は妻の調子が悪く、「まあ・・・大した事にならんと年越せたらええわ・・・」と、それだけを思って宝くじの事など頭にないのですが、今年は妻が機嫌良くしているので、何を思ったのか、頭が変になったのか・・・、年末ジャンボを買おうと思いました。
確か・・・、ヤマトヤシキに売り場が在ったはず・・と思い、いや・・・自転車で何時も通る道は験(げん)が悪いし変化がないと思い、全く違う道を遠回りしてヤマトヤシキの宝くじ売り場に行きました。
?家を出る前に、「地神さんには黙っとってや・・・・」、と妻に言って家を出ました?。
宝くじ売り場には大柄のお婆さんが一人だけ並んで宝くじを買っていたのですが、またそのお婆さんの宝くじの買い方のしつこい事・・・、連番とバラを買っていたのですが、店の方にお婆さんの好きな番号を伝えてそのくじを探させたり、バラは自分でくじを選んだりして、そうこうする内に後ろには行列が出来てしまいました。
「このおばん、この歳で宝くじ当てて・・・・・・・・・」、といろいろ思いましたが、「こんな人の後ろでは運が有る訳がない」、と思い、急遽、ニッケパークタウンの宝くじ売り場に変更しました。
せっかく何時も通る道ではなく違う道を通って此処まで来たのですから、ニッケパークタウンに行く道も当然ややこしい道を遠回りして行こうと思いました。
ヤマトヤシキからニッケパークタウンは直線距離にして300メートル弱ですが、その倍は遠回りして現地に着きました。
しかし・・・やはり其処にもお婆さんが一人、宝くじを買われていました。
・・・・う・・・ん・・・お年寄りがな・・・と思いました。
何か悲しい・・・自分に対しても空しい気持ちで宝くじを買って帰りました。
どうかしていたと思います。
それは、「ひょっとしたら・・・」、という気持ちではなく、現実、頻繁に、下手したら毎日、私の身の周りに起こる事が有るからです。
神奈川県の金森さんから伝授された自転車のサドルの改良で、お尻に優しいサドルのお蔭で毎日自転車に乗るのですが、自転車の鍵をかける時、3回に一回は車輪のスポークがカギに当ってかけなおす事が有るからです。
あの細いスポークが、よりによって・・・3回に一回は・・・カギに当る訳です。
この確率はひょっとしたら・・・・・・。
これは前々から思っていた事ですが、やはり、どうかしていたと思います。
宝くじを10枚買ってしまいました。
12月29日(火)も妻は機嫌良くしていました。
「そうや・・・ちょっとええ肉、買おう」、と思い、ヤマトヤシキの地下に在るカピルに行きました。
大売出しで、600グラム2900円の牛肉と、他に大分安い牛肉と豚肉を買いました。
どうかしてたと思います。
600グラム2900円の牛肉の横には、1200グラム2900円の牛肉があったのですが、600グラム2900円のすき焼き用牛肉は普段買わないしもふりの様な肉で、1200グラム2900円の肉は真っ赤で脂身がなく、口の中入れて噛むと弾力が強そうな、何時も○アイで買う、グラム300なん円かの・・・、当たりによっては偶に口の中で牛肉らしい味がする私にはぴったりの肉だと思ったのですが、何故か、600グラム2900円の牛肉を買ってしましました。
少し変になっていたのかも知れません。
小餅も・・・、最初、神様にお供えする分が有れば十分と考えて10個入りの袋をかごに入れていたのですが、店員さんが、「つきたての20個入りの方がお得ですよ・・・・」、と言うものですから20個入りを買ってしまいました。
この時点位から大分変になっていたのかも知れません。
花屋さんに行ったのですが、仏花が二束だけ残っていました。
一つの方は南天の実が全て落ちてしまっていて、明らかにもう一つの仏花と比べると花の種類が一つ少ない、多分花束を作る時に入れ忘れたのでしょう、昨日の残り物を売っているのが分りました。
普段なら買わないのですが、何故か、「残り物には福がある」、と変な色気が出てしまい、最後の二束を買いました。
何な・・・、おかしくなって来たな・・・と自分でも分りました。
12月30日(水)も妻は機嫌良くしていました。
その晩、妻が、「600グラム2900円の肉、焼く?」、と言うので、本当は余り欲しくは無かったのですが、「そうやな・・・」、と返事をしてしまいました。
脂っこいかな・・・、しかし・・・普段、300なんぼかの肉やしな・・・まあ・・・今年も終わりやし・・・嫁さんも機嫌ええし・・・ええか・・・・、と思って食べましたが、やっぱり途中で気分が悪くなって来ました。
油がきつくて・・・、普段、グラム300なん円かの肉を食べ慣れていますのでグラム500円の肉は私には無理が有るなと思いました。
しかし・・・妻が機嫌よくしているので、まあ・・・ええかと思いました。
12月31日(木)、妻は午前中からぼ〜っとしていましたが、午後3時前、熱を測ると39.3度ありました。
早速、31日でも開いている病院を探して連れて行きました。
午後3時過ぎに病院に行って終わったのが午後8時前でした。
「あ・・・・これや、これや・・・・」、と思いました。
「俺の・・・、何時もの正月はこれや・・・、これでええんや・・・これが俺の正月や・・・」、とある意味、安心?しました。
「あ・・・、これで来年も行けるやろ・・・・」、と安堵?しました。
「こんなはずがない・・・、こんなはずがない・・・、こんな安定した気持ちで正月が来る訳がない・・・、何か、怖いな・・・・」、と思っていましたが、妻の急な発熱で、「これでええんや・・・・、これが俺の形や・・・・」、と安心?しました。
お節はヤマトヤシキから届いていましたので元日の食事は心配無しですが、31日の夜の食事は普通の家庭では年越しそばだけで良いのでしょうが、我が家は私の酒の肴が当然必要になります。
そばの具のエビのてんぷらはカピルで買って来ていましたので素早く?年越しそばを作って、妻はそれを食べて寝てしまいました。
勿論、年越しそばは私が作りました。
当然です。
そして、さあ・・・大晦日・・・ビール(
キリン淡麗グリーンラベル500ミリ
)を飲みながら、何を食べようか?・・・という心配は全く有りませんでした。
私には・・あの・・、「
石巻蒲鉾の笹かまぼこ
」と「
株式会社・丸明のうなぎの蒲焼き
」が冷蔵庫にあります・。
この、「
石巻蒲鉾の笹かまぼこ
」と「
株式会社・丸明のうなぎの蒲焼き
」・・・これは美味しかったです。
平成28年1月1日(金)、
妻の熱は少し下がった様です。
仏壇の花を見ると、もう一つの束の方は、昨日や今日、美容室?に見習いで入った若い子がお客さんにする様なお辞儀をしていました。
1月1日の晩、宝くじの当選番号を新聞で調べましたが、よくこんなに当選番号と縁の無い、遠〜い番号を買ったものだとあきれ果ててしまいました。
今日も「
石巻蒲鉾の笹かまぼこ
」、を食べました。。
平成28年1月2日(土)、
妻の熱は殆ど下がった様です。
まだ600グラム2900円の肉を思い出すと気分が悪くなります。
仏壇の花を見ると、もう一つの束の方は、経験を積んだ美容師?がお客さんにする様に深々とお辞儀をしていました。
今日は「
株式会社・丸明のうなぎの蒲焼き
」を食べました。
平成28年1月3日(日)、
妻の熱は下がった様です。
もう牛肉はグラム300なん円かの肉以外は食べてはいけない事に決めました。
仏壇を見ると、もう一つの束の方は美容室の経営者?がする様な、腰から折れて頭がへその少し上くらいの位置にまで来る様なお辞儀をしていました。
もちを数えてみると、後10個、残っていました。
青カビが生えていました。
年末の宝くじに始まり・・、600グラム2900円の牛肉といい・・・、色気を出して買った仏花といい・・・、10個入りの餅を買ってたら良いものを20個入りを買った事といい・・・、まあ・・・こんなもんです。
しかし、「
石巻蒲鉾の笹かまぼこ
」と「
株式会社・丸明のうなぎの蒲焼き
」、は美味しかったです。
まあ・・・妻の熱も下がって良かった。
まあ・・・いつもの正月?で良かった?。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・・に、どうでも良いことですが・・・・。
平成27年12月27日(日)
正しい富士山でした。
正し↑〜い↓富士山でした。
入間市での祈祷の帰りに見た富士山は久しぶりに正しい富士山でした。
下り、東名高速道路の御殿場辺りでは雲に覆われて見えませんでしたが、富士インターチェンジの手前位から、その正し↑〜い↓富士山がしとやかに姿を現しました。
この山は見る人のその時の気持ちで受け取り方が違って来る様に思います。
何時の時かこの山を見てソフトクリームが食べたくなった事を思い出しました。
難解な祈祷がこの先に有る時、「あ・・・・雪が積もっとるわ・・・」、と只それだけを思って通り過ぎますが、今回の祈祷が正しく終わった帰りでしたので、「正しい富士山」が見えたのだと思います。
・・・・・と思っています。
今の時期・・・、正月にかけて・・・、いろんな目的で東名高速、新東名高速を通って移動される方が多いと思いますが、この先仕事や義務を控えて富士山を見て通る方、仕事や義務を終えて富士山を見て通る方、その方に取ってのそれぞれの富士山が在ると思います。
私なんか、関東での祈祷の時、行きは大体、浜松サービスエリアか静岡サービスエリアで昼食を取りますし、帰りは祈祷が終わって近所のコンビニでサンドイッチを食べるか、海老名サービスエリアで遅い昼食を取りますので、富士山が見える所まで来ると腹が一杯でぼ〜っとして、ぼ〜っと運転していますので、ぼ〜っとした富士山しか見ませんが、今回の「正しい富士山」は例外でした。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・に、どうでも良いことですが・・・・。
平成27年12月12日(土)
「脚が痛い痛いと言ってた時の方が落ち着いてたね」、と妻が言います。
「そうやな・・・」、と自分でも思います。
「いらいら、落ち着きがないわ」、と妻が言います。
「そうやな・・・」、と思います。
「きつい事言うやないか・・・、でもよう観とるな・・・」、と思います。
「人間的に、あの時の方が良かったんと違う・・・」、と妻が言います。
「要らんとこ、観とるな・・・・」、と思います。
自分でも、あの時の方が気が楽だったと思います。
自分自身の中で、「これは脚が悪いとでけんわ・・・、これもでけんわ・・・、あれもでけんわ・・・」、というものを頭で考えて排除して行ったら気が楽になった事を覚えています。
「まあ・・・悪いは悪なりに行かなしょうがないわな・・・」、と考えると、気が楽になった事を覚えています。
2年程前新潟に行った時、妻は疲れたと言ってホテルで横になっていたのですが、「そんもん、歩けるわい」、と思って新潟駅までびっこを引きながら歩いて行きました。
十九か二十歳の頃、無銭旅行で新潟駅のベンチで一泊した時の雰囲気が、その当時、決して明るくなく、どんよりとした気持ちの中で見たり感じたものを、今の自分を新潟駅に置いて、当時の自分が感じたものを確かめたかったのです。
しかし考えてみると、その当時私の観たもの、感じたものは、私の目線より下で観たもの、感じたものから成る新潟駅・・、新潟の印象で、その当時の私の精神状態から見た新潟駅を2年前の精神状態の私から観て相入れられるものは有りませんでした。
その当時の私は、「あれもでけんわ・・・、これもでけんわ・・・、全てでけんわ・・、ああ・・・あかんわ・・・」、という焦った精神状態で、下を観たままで上の展望は望めない状態だったのでしょう。
事実、その当時の新潟駅で覚えているのは、駅のベンチと暗い食堂の汚い木のテーブルでオムレツを食べた事と佐渡行きのバスの時刻表だけで、その場面も決して明るいものでは有りませんでした。
しかし2年前に足が悪くなって、「これもでけんわ・・・、あれもでけんわ・・・、まあ・・・良いか・・・、しょうがない・・・」、という欲の重りが軽くなった事でずいぶん楽になった気持ちで新潟駅に立てみれば、懐かしみは感じるが駅は建て替えられて当時の雰囲気は無く、只々駅の建物を見上げるだけでした。
そして在来線の電車を待つ乗客に混ざって、駅のベンチに座って、時刻表を見て、知らない人が見たら今から電車に乗って二駅か三駅先に在る家に帰るのだろうな・・・という顏をして、きっちり、新潟駅の雰囲気を味わってきました。
若い時の、「今から何でも出来る可能性が有る」、という希望と期待と良い意味での焦りの気持ちと、「今から何でも出来る可能性は有るが、何も出来ない」、と落胆と失望と焦りの気持ちと、この歳になって、「これもでけんわ・・・、あれもでけんわ・・・、無理やな・・・、しょうがない・・・」、というあきらめの気持ちと、「まあ・・・この歳までやって来たんやから・・・もうええんと違うか?・・、今からなんぼ頑張っても人生が変わるわけでも無し・・・・」、という自己弁護と責任回避とあきらめの気持ちを比率にかけると、確実に前者の方が精神的にも肉体的にも辛く、後者の方に居る私など、何時もビールを飲んで良い気持ちになれた時、個々によって形は違うが、自分が過って通って来た道を、今の若い方がもっと賢く懸命に頑張っている事に感心と感服の念をもって只々頭の下がる思いで観ています。
・・・・と賢そうな事を言いながら・・・・、ちょっと膝が良くなったら・・・妻が言う様に、「脚が痛い痛いと言ってた時の方が落ち着いてたね」、「人間的に、あの時の方が良かったんと違う・・・」、と指摘される事に、自分の根本的なものに原因があるのを認めずに、「それは・・・高橋家の先祖の血の問題と違うか・・・・」、と誤魔化している自分が居ます。
この病気は治らんな・・・・。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・・に、どうでも良いことですが・・・・・。
平成27年12月5日(土)
福岡から帰って来たら急に寒くなりました。
以前、釣りをしていた頃の、「釣り命」、の時は、北西の風が吹き始めるとカレイやアブラメの顔がちらつきわくわく興奮したものでした。
そしてこの時期、風呂に入って寒い思いをして体を洗っている時に思い出すのが、明石で美容室をしていた時のお客さんでSさんという方の事です。
Sさんとは明石の美容室を閉めてからはお会いしていませんが、今も健在なら85〜6歳になられていると思います。
上品な感じの方でした。
ご主人は定年になって直ぐに体調を崩し、10年間ほど入退院をくり繰り返しておられました。
家の増築をして直ぐに体調を壊されたと聞いています。
Sさんはご主人が入院されると病院に泊まり込んでおられました。
ご主人が亡くなられた後、Sさんは一人で家に住んで居られました。
一人息子さんも美容室のお客さんでしたので知っているのですが、結婚してから人が変わってしまったという話をSさんからはよく聞かされていました。
この方が今頃のある日、「冬の寒い日、お風呂に入って体を洗うのが苦痛で・・・」、という話しをされた事があります。
そこで私が、「Sさん・・・、体は毎日洗わなくても良いんですよ。五月みどりさんなんか一回も体を洗った事がないそうですよ。私なんか・・・、寒い時期、大事な所?だけを洗うだけですよ」、とお伝えしますと、「それで良いんですか?。気が楽になりました」、と嬉しそうに言われた事が有ります。
この方の頭を施術しながら世間話をする時、この方はその話しの中の人物の前に決まって、「○○大学出の・・・、○○会社の・・・」、という、それも二流ではなく一流の大学、会社の固有名詞が付かないといけない方でした。
確かに、今の時代から観ると全く違う評価になるのでしょうが、亡くなられた御主人とは海外生活が長かったし、息子さんも国立大学を卒業されたし、そしてそれに似合うお嫁さんが来られたらしいのですが、余り幸せそうには感じられませんでした。
この様な方に、「貴女の考え方の根本を変えられた方が良いと思うのですが・・・」、という様な事は言われませんし、もしお客さんにそんな事を言おうものなら美容室なんか直ぐに一巻の終わりになってしまいます。
この方にしても、体を洗う話は半分冗談に受け取られたと思いますが、一流の大学に行かなければならないとか、一流の会社に勤めなければならないとか、どんなケースにおいても、何々しなければならないとかという概念にとらわれている方は別ですが、とらわれる必要の無い概念を増やせばもっと楽に生きられる人が増えると思います。
仕事にしても、今現在の時点で考えて勉強し、資格を得ても、これから10年から20年先に必要の無くなる職種、仕事が沢山あります。
何々しなければならないという固定観念を捨てて、自分に合った生き方をされて、それでどうにか生きて行けたら一番幸せだと思います。
私なんか・・・、この歳で・・・、固定観念なんか・・・、経済観念なんか・・・、一番欠けているのが責任、道徳観念で・・・、見事に欠けていますが、どうにか此処まで来れましたので、そんなものが無くても生きられるという見本の様なものです。
少し話が外れますが・・・、ずれますが・・・、大分外れると思いますが・・・、病気をすると・・、体調を崩すと・・、「ビール(
キリン淡麗グリーンラベル500ミリ
)が足りんな・・・。もっと飲んだら治るやろ」と思って何時もより多く飲んでいます。
またこれが・・・・、寒い冬も・・、暑い夏も・・、秋も・・、いや・・春・・5月頃が一番美味い。
偶に美味しくない時もありますが、無理をして飲みます。
大概これで固定観念を崩して此処まで来ましたが・・・・いや・・・・、観念?しながら来たのかも知れませんが・・・、これはこれで良いと思っています。
余り周囲の環境、決められた物事にとらわれない方が賢明だと思います。
そして、どうしても周囲の環境、決められた物事に押しつぶされそうになった時は一時的にその環境から出たら良いと思います。
小学から中学に行く場合、私の場合、二つの地区の小学校二校の6年生が中学校に合流するのですが、実は私は中学になるまで歯を磨いた事がありませんでした。(余分ですが、顔を石鹸で洗うという事を教えてくれたのは美容学校で一緒になった妻でした)
当然・・・今も・・・虫歯だらけですが、その時は歯を磨けば虫歯が治ると思い、夜寝る前に歯磨き粉を虫歯の中に詰めて朝起きて見たものでした。
そんな程度の頭でした。
しかし、スポーツをやらせば、中、長距離を除いて、先ず負ける者は居ませんでした。
身長は学年で一番で、兎に角よく食べていました。
お腹が空いて空いて苦労をしました。
お腹が空くと当然腹が鳴ります。
それも一時間目の授業時からでも鳴るわけです。
シ〜ンとしている教室に私の腹の鳴る音が隅から隅まで聞こえるわけです。
気になると余計に腹が鳴ります。
今なら何が鳴ろうと起ころうと全く気にしませんが、当時は冷汗が出たものでした。
多分、原因は、他校からの女の子の存在だったと、今から思えばそう思います。
今から思えば自意識過剰だったのでしょう。
中学三年間は苦労?をしました。
高校受験になり、先生は加古川市内の公立高校を受験する様に言われるのですが、その前に私学の男子校(今は共学になっています)を受かっていましたので、全く公立高校に行く気は有りませんでした。
勿論、その当時の私がそんな事を主張出来るわけもなく、公立高校の受験に臨みました。
高校の受験会場には沢山の受験生が集まって各教室に別れて試験を受けましたが、数学の試験の時、「これを真面目に書いたら多分合格する・・・。この高校は元は女学校で今でも女子の比率が高い・・・。そんな環境に入ったらこれは地獄や・・・」、と思い、数学の回答を白紙に近い状態で出しました。
発表があって直ぐに中学の担任が家に飛んで来ました。
「そんなはずがない・・・」、と母親に説明していた担任の、今でもその情景を覚えています。
「あ・・・・楽になる・・・これから楽になる・・・姫路駅デパートの映画館で毎日映画を観て帰ってこう・・・」、と思いました。
まあ・・・楽しかった事、高校三年間は勉強などした事がありませんでした。
入学時、600人中10何番が卒業時には500何番かになっていました。
男子高に入ってからお腹なかは鳴りません、鳴っても何にも気にしません。
幸い受かる大学が有りましたので大学には行きましたが、当時は、また私が行った大学は学生運動が盛んで、ノンポリに近い私でもそれ相応な考えを持っていた事を覚えています。
その内大学生活にも白けて来て、大学には行かず梅田や難波で時間を過ごす事が多くなって来ました。
ある日の帰り、梅田から快速に乗って発車の時間を待っていますと、7〜8人?の水商売風でもないがそれに近い雰囲気、化粧の女の集団が、「先生、先生」、と呼び合って話をしています。
「んん?・・何の集団や?・・・」、と思いながらそれとなしに話を聞いていますと、それは美容師さんが講習を受けて帰って来られているのだと分りました。
その時、「これも・・ええな・・・。美容師になろう」、と即決しました。
勿論、頭の悪い私でも、ある程度の将来は見通せます。
その当時、先ず男性美容師は居ないに近い状況でした。
「当分・・・行けるやろ」、と思いました。
それと学歴と関係ない世界に入りたかったのを覚えています。
「これで中卒の子と同じや」、と思いました。
それ以後、自分の好きな事だけして今に至っています。
どうでも良い、小〜さ〜い事は気にせんと、人と競争せんと、只、ビールだけはこだわって生きて来ました。
そのこだわりの・・・、今は・・・
キリン淡麗グリーンラベル500ミリ
ですが・・・・・。
それとこの頃、近所のドラッグストアの「アルカ」の土曜、日曜のポイント5倍デーにはこだわっています。
今日も、もう、午後7時になりますので、こんなん打っとかんと、早く行かな、閉まってしまいます。
これは私に取って小〜さ〜い事ではありませんので、今から行って来ます。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・・・に、どうでも良いことですが・・・・。
平成27年11月22日(日)
先日、大阪での祈祷の帰りに西宮の名塩サービスエリアに寄りました。
普段、このサービスエリアの男用のトイレの床は何時もびちゃびちゃですので、先ず寄らないでもう少し先の淡河(おうご)まで行って用を足すのですが、妻がトイレに行くというので私も誘われて入ってしまいました。
運悪く、その日も直前まで雨が降っていましたので、余計に床はびちゃびちゃの状態でした。
足元がびちゃびちゃに濡れていない便器の所を探すと、運よく三つほど綺麗な?所がありましたのでその真ん中に陣取って用を足しながら、「もっと上手にしたらんかい・・・。下手な奴ばっかりやな・・・」、と思いながら自分の足元を見て、その次に右側の便器の足元を見て、その次に左側の便器の足元を見て、そして自分の便器の足元を見たら・・・びちゃびちゃびになっていました。
「ああ・・・・、前立腺やな・・・。もう十何年も前からやな・・・。男の性(さが)やな・・・。悲しいな・・・・」、と少し落ち込んでトイレを出ました。
トイレを出て、妻が出て来るのを待ったのですが、祈祷で寄らせて頂いた所の方はお分かりでしょうが、妻のトイレは、先ず、常人の10〜20倍の時間がかかります。
妻が出て来るのを付近の人の顔を見ながら辛抱強く待っていますと、妻は、いかにも早くトイレを済せたかの様な顔で出て来て、「何か食べよう」、と言います。
私は此処では食べたくなかったのですが、余りに妻が言うので、気が進まないまま、「官兵衛」に入りました。
此処は以前、平成26年11月24日(月)「ほ・・、ほ・・、ど・・」、にも書きましたが、今回も余り良い気がしないまま、入りました。
店内は満員でしたので名前と人数を書いて椅子に座って順番を待っていました。
私達の何組か後で60代の女の二人連れが入って来られて、「金払ってまで待って、こんなとこで食べんでも良いわ・・・」、」とえらい剣幕で出ていかれました。
「あのおばはん、修行が足らんな・・・。あんな人ほど、ええ歳して、ケチャップライスに、スパゲティーやエビフライ、コロッケやごじゃごじゃしたもんが乗ってるサービスランチを食べるんやろ・・・。ええ歳しとるもんが食べるもんやないで・・・・。しかし、俺らも黙って順番を待とるというのは、歳取ったな・・・」、と思いながら待っていました。
順番が来て席に通されたのですが、其処は約1年前に来た時に通された横の席でした。
「これやな・・・、あんまり気が進まんと思ったら・・・これやな・・・」、と思いました。
店の方が注文を取りに来たのですが、気が進まないまま入ったので何も決めていませんでした。
そしてその注文を取りに来た人を見た途端、「カツカレーにしよう」、と決めてしまいました。
妻も直ぐにカツカレーに決めました。
妻が、「丁度やね・・・」、というくらいタイミング良くカツカレーに似合う女の方でした。
硬そうでぼっちゃり?、お尻もぼっちゃり硬そうで?、背は小さく、顔は白くなく、インド系の丸顔の日本語がペラペラの方でした。
「ぴったりやな・・・」、と思いました。
しかし・・・、このカツカレーは何か引っかかるな・・・、何か余り良い気はしないな・・・と思ってはっと気がつきました。
この前来た時の・・・、あんまり賢くなさそうな女の子が大きなピンクの財布を男の子の小さな財布の上にドンと置いて、男の子の財布が可哀そうなめにあったそのテーブルでした。
おまけに、その余り賢くなさそうな女の子が座っていた席に今私が座っています。
その上、その余り賢くなさそうな女の子が食べていたのが、「カツカレー」、だったのです。
一瞬、この前、あんな事をブログに書いたのが悪かったんかな・・・と思いました。
早く食べて、早く出ようと思いました。
まあ・・・味はそんなにまずくはなかったのでインド系の女の子を魚にカツカレーを食べていますと、一瞬、「消防車が入って来た・・・」、と思いました。
それも、「しゃがしゃがの消防車が入って来た・・・」、と思いました。
丁度、バリバリのセロハン袋にゴキブリを5〜6匹入れて、縦に10回、横に8回程振り回した後のゴキブリの慌てようを音に録った様な、そんな消防車が来たと思いました。
「あああ・・・・、ややこしいのが来たな・・・・」、と思ったら、私の右のテーブルに案内されて来ました。
歳の頃なら・・・50代前半の女の二人連れです。
「ああ・・・前が消防の先頭車で、後ろは消防のタンク車やな・・・。ああ・・・前がしゃがしゃがやな・・・・」、と思いました。
運悪く、そのしゃがしゃがの消防車が私の斜め前に座りました。
後から着いて来たタンク車は私の横に座りました。
しゃがしゃがの消防車の方は「カレーうどん」、を注文して、横のタンク車の方は「カツ・・・」、何とかというのを注文されていましたが、斜め前の消防車の方に目と耳が行ってしまって何を注文されたかは聞こえませんでした。
「こんなしゃがしゃがの人が・・・、カレーうどんをどんな食べ方で食べるんやろ?」、と考えながらカツカレーを食べていますと、しゃがしゃがの人がしゃがしゃがの大きな声で誰かと話し始めました。
また、その話し相手の声もしゃがしゃがの機械音で、それも大きな音で聞こえてきます。
そ・・・っと見ると、大きめのタブレットを前に立てて、誰かと身振り手振りで嬉しそうに喋っています。
どうやら、消防車の方は最初からタブレットを相手に話しながら店に入って来た様です。
人で一杯の店内で・・・、タブレットを立てて、うれっそうに、大きな声で・・・「ああ・・・、此奴は初心者やな。タブレットが嬉しいんやな・・・・。スカイプが珍しいんやな・・・。しかし、こんなとこで大声出してするもんでもないで・・・。田舎もんやな・・・・」、と思いながらじ・・・っと聞いていると、「・・・けん、・・・・けん」、と何処かで聞いた様な言葉が聞こえて来ます。
「この人ら…佐賀けんか?・・・・・。それなら許したるけど・・・」、と思いました。
直ぐにカレーうどんが運ばれて来たのですが、もう一人の方の、「カツ・・何とか」、は中々運ばれて来ません。
消防車の方はカレーうどんを食べ慣れているのか、私が期待していた食べ方ではなく、全く期待外れの食べ方で直ぐに食べ終わりました。
食べ終わってまた直ぐに誰かと話し始めるつもりなのか、バックの中から古いガラ系の携帯電話を持ち出して電話をかけています。
今度は小さな声で話しをし始めました。
「この人、珍しいものを持たせたら、興奮するタイプやな・・・」、と理解しました。
その後、急いでいるのか二人とも出て行かれましたが、タンク車の方の方は半分以上食べ残されていました。
タンク車の方の食べ残されたのを見たのですが、大分荒い食べ方でメニュー名は判明しませんでしたが、カツカレーよりは高価なものと思われました。
その後、どうしても判明させておきたい事があって私達も直ぐに店の外に出ました。
さっきの二人連れの、「・・・けん、・・・けん」、が気になって気になって・・・。
さっきの方が何処から来たのかが知りたかった訳です。
雨の中、傘も差さずに待っていると、さっきの方の乗る車が来ました。
ナンバーは・・・・・、「山口・・・・」、となっています。
山口県の人を知っていますが、「・・・けん、・・・・けん」、とは言わんで・・と思いましたが・・・そんな、「けん」、だけで判明するものでもないのは常識で・・・・・・。
実は、この日の祈祷が質の悪いもので、
コンロの湯が沸騰しないという達の悪いもの
でしたので・・・。
あの・・、イワタニから出ている最強の4.1キロのコンロでも中々沸騰しなかったものでしたので・・・。
青の色を取って姿を見せるものでしたので・・・・・・。
祈祷が終わって名塩まで来たら、私の頭も・・・・・・、どうでも良いことになってしまっていたのでしょう。。
ほんまに、ほんまに、ほんま・・・・に、どうでも良いことですが・・・・・。
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どうでも良いことですが・・・
はんまに、どうでも良いことですが・・・
ほんまに、ほんまに、どうでも良いことですが・・・