生きる力につながる詩の創作指導 |
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はじめに
4年生という学年は、年齢的には一つの区切りとなる学年である。子ども達は、4年生で10才という年齢に達するのである。20才を大人になる年とすれば、4年生はちょうどその半分に達したことになる。私は、子ども達に、この1年間に、「自分の命が、多くの人に支えられ、大切にされてきたこと」や「友達の命も同じように大切なものであり、心と心をつなぎ合って生きていくことの大切さ」を学ばせていきたいと考えた。 私は、学級経営の方針を次のように書いている。
命の尊さ、この世に生まれてきた38名のそれぞれの命の尊さを、子供達もそして私自身も学び合っていくことを、今年○○小1年目の学級経営の柱にしたい。 4年生は10才になる学年である。この世に生をうけて10年。一つの区切りの年であるように思われる。この時期に命について考えてみることは、意味のあることだと考える。それが第1の理由である。 第2の理由は、そろそろ自分のことだけでなく、学級の友達やクラス全体の事にも目をむけるようになってほしいと思うからである。自分の命がそれぞれ深い愛情で支えられてきたことを知ることは、同時にこのクラスの友達が暖かい愛情で支えられて生きてきていることに気づくことでもある。 最近は、性的な情報が氾濫し、4年生でも正確でない情報に惑わされている。そういう中で性教育は大変重要な位置を占めるようになってきている。性教育は、命の教育である。命の尊さや人間のすばらしさを知ることが、性教育であると、私は考えている。それが3つめの理由である。 生きる喜びを味わうことは、山登りと同じである。どんな苦しい時でも、学級という仲間で助け合い、はいつくばって登っていく。そしてそれをやり遂げたところに喜びがある。苦しいことを乗り越えたところにある感動を知っているものは、仲間と助け合い生きることのすばらしさや生きることの意味を考えることができると私は考える。それが4番目の理由である。 |
この記録は、こうした学級経営の方針の中で取り組んだ「詩の表現の授業」をまとめたものである。詩を書くことで、自分や友達を見つめなおし、その命の尊さに気づき、またこれからの生活を共に助け合い強く生きていって欲しいという願いを持ちながら取り組んだささやかな実践の報告である。
1 私の願い
この単元でのねらいは、「詩の素材を見つけ出し、詩という特殊な表現方法で自分の気持ちを表現できるようにする」ことである。しかし、私の中には、詩の表現方法や技法にこだわりすぎて、形だけ整ったあまり内容のない詩を作り続けてきたことへの反省があった。「本物の感動がなければやっぱり詩にはならないのではないか。」「本当の表現力は、中味があって初めて育つのではないか。」 そういう思いがいつも心に引っかかっていた。 そして、この世に生まれて10年目を迎えた子ども達に、この10年を振り返り、心を動かされるということや生きるということを、4年生なりに正面から考えさせてみたかった。 知子は、父がこの4月から行方不明になっていた。彼女は私に、「先生、勉強なんて身には入らない。学校に行こうという気にならない。」と話してくれた。ともすれば休みがちになりそうな知子を、子供達は支えていた。孝夫は、幼稚園の時に、両親の離婚を経験していた。彼は、荒れていた。寛子も離婚を経験して、大阪から転校してきていた。武も洋平もそうであった。俊は、はやくに父をなくしていた。裕太の今の母は、義母である。直
美は、○○園で、二人の弟の面倒をみながらがんばっている。 子供達は、それぞれ重いつらい鎖を引きずりながら生きている。しかし、私は、この子ども達が時折くじけそうになりながらも、必死で悲しみに耐え、生きていることを知っている。それを語らせないで、綴らせないで本当の国語教育ができるのだろうか。この悲しみやつらさを乗り越え、強く生きていくためにも、もういちどじっくり自分を見つめさせたい。そして、このクラスの子供達なら、きっとそれを受け止め、支えていってくれるにちがいない。 そんな思いや願いもあって、私は、子供達と、「この10年間で、自分が最も心を激しく動かされたことを詩にする。」学習に取り組んだのである。(児童の名前は仮称です。)
2 学習指導案
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3 1時間目の指導(児童詩にふれる)
あまり児童詩にふれたことのない子供達に、たくさんのいい詩を読ませることによって、感覚的に詩の良さを味わわせたいと考えた。情景的な詩や技法の面白さの見られる詩や楽しい詩をさけ、子供の生活と深くかかわった内容の深い詩を選んで紹介した。それは、前述したように、子供達が自分を語ることが、表現を豊かなものにするだけでなく、自分を深く見つめさらに強く生きていこうとする力にもつながることになると考えたからである。 1時間の流れはおおよそ次のようなものである。
@ 個人でそれぞれ読んでみる。
A 教師による音読
B 指名して音読
C さらに数回個人で読む。(音読)
D 好きな詩を選ぶ。
E どこが好きか話し合う。
F 好きな詩の、好きな表現や優れた表現、心に残った表現の所に線を引き発表。
G それぞれ読み味わう。
子供達にとって、大変新鮮だったようである。重い詩が多かったのだが、子供達は喜んで読んでいた。そしてその重さは、自分の詩の表現の伏線として子供達の心に刻まれていった。
4 2時間目の指導(感性を磨く)
二つの児童詩を取り上げ、詩に込められた内容を敷えんするという学習に取り組んでみた。分からない言葉や読めない字だけを説明し、後は自由に想像してもらった。そんなに的はずれな想像をした児童はいなかったので、結構面白い学習の方法だと思った。
5 3時間目の指導の失敗
いらない文を省いたり、文章をいれかえたりして、詩を作る勉強してみようと思った。自分が作文から詩を作る練習になると思ったのである。しかしなかなか作文を詩になおすことができなかった。まじめな子供達なので、悪戦苦闘していたのだが残念ながら、まともな詩はできあがらなかった。 原因は、次のような事だと考えられる。
@ 作文が長すぎて、どれを削っていけばいいか、なかなかつかみづらかった。
A 伝えたいことがいくつもあり、分かりにくい作文であった。
B 自分の思いではないものを絞り込むのは、想像して敷えんするよりも難しい。
しかし、例題になる文章をもっと短くして、一行か二行の短い詩にしてしまうのなら、もう少し、子供達も取り組めたのではないかと思う。作文のいらないものをはぶきながら詩にしていくという方法そのものは、そう間違った方法でもないようである。それは、子供達が次の時間から自分の作文を書き出し、詩になおすのを見てそう感じた。
5 4・5時間目の指導(作文を書く・作文を詩になおす)
「自分の心がはげしく動かされたできごとを書きなさい。」 「悲しくて悲しくてたまらなかったできごと、うれしくてうれしくてたまらなかったできごとを詩にしなさい。」 そう言って、子供達に作文を書いてもらった。作文でも詩でも、子供達はまず題材で頭を悩まし、何を書こうかでこまってしまうものだが、こう問いかけられた子供達は、すぐ何を書くかは決まったようだった。
子供たちの心の中を脈々と流れる熱い思いは、普段は深い海溝の中にかくされているが、悩みや喜びを積み重ねながら、その子供なりの自分の世界を確実に創ってきているのだと思う。「誕生」「死」「別れ」といった大きな出来事が、子供達の心を激しく動かしていないはずがないのである。子供の中にすでに題材はあるのである。 しかし、だれもが快くそれを表現できるわけではない。心が激しく動かされたものであればあるほど、表現しづらいものである。知子は、書くことを躊躇していた。彼女にとって心を一番激しく動かされたできごとは決まっている。私は、知子に、行方不明のお父さんの事を書いてみるように勧めた。
私は、何よりも彼女に強くなって欲しかった。現実を見つめ強く生きて欲しいと思った。そして、このクラスの子供達に彼女を支えられるほどの深い結び付きが欲しいと思った。今、自分の心を開き詩を書くことが、知子にとっての生きる力につながると思ったのである。
孝夫も俊も、そして寛子も一番つらかった出来事を文章にすることに取り組み始めた。もちろん、うれしかった出来事を書いている子供達もたくさんいる。それもまた子供達の心を捉えて離さない感動なのである。 作文を詩の形になおしていくときに注意することを、私は5つ提示した。
・日時や場面などの説明をしている文章はいらない。 ・「うれしい」「かなしい」といった感情を直接表す言葉は使わない。 ・必要でないと思ったら、主語でも省く。 ・言葉を選んで選んで選び抜いて使うこと。 ・ 一番伝えたい自分の思いや感動を大切にすること。 |
基本的には、子ども達は自分の考えで削っていったが、机間巡視しながら子どもに個別に接し始めると、なかなか難しい面があった。どこを削っていったらいいかを考えていくと、細かいところでは主観が入ってしまったり、子どもの考えとあわなかったりする場面が出てくるのである。詩であれ作文であれ、その作品が子どもの感情の表現であると考える時、どこまで指導していいのか悩んでしまった。ましてや、よりよい表現どころか悪い表現になるよう指導してしまったのではないかという思いがすることさえあった。だからこそ感覚を磨くということが、子どもにとっても教師にとっても重要になってくるのだが、創作指導の難しさの一つがここにある。
6 6時間目の指導
6時間目は、詩独特の表現を少し勉強させてみようと思った。子供達は、ほとんど自分の詩を完成していたが、推敲の一つの段階として、詩的な表現と対比について知らせた。あまり技巧にこだわると、子供達の発想や思いが素直に伝わらないので、技巧は対比のみにとどめた。 「なみだ」は、『「ふああん」「ふああん」宿題せんならん』(理論社)の中にある児童詩である。「お父さんのボール」は、私が岡富小学校で受け持った児童の詩である。 授業では、子供達はそれぞれに想像を広げながら、けっこう核心にせまる言葉を書き出していた。特に「お父さんのボール」では、「冷たい」との対比に気づいた児童が多かった。いい詩は、子供達にも深い感動を与えるものである。そういう目が育っているということは、やはりうれしいことである。 こうした表現を参考にしながら、子供達は自分の詩に少しだけ工夫を加えた。しかし、ほとんど完成していたので、ほんの隠し味程度の変更をしたのみである。清書した後、数人の児童に発表してもらった。特に俊の詩「お父さんへの手紙」(NO26)は、子供達や参観者に感動を与えたようである。俊の詩は、「お父さんのボール」に通じるものがある
。しかし、俊は、しっかりと力強く自分の詩を読んだ。私は、次のような話を子供達にした。
俊君の詩ががすばらしいのは、俊君がお父さんの死を乗り越えているからです。お父さんがなくなったとき、俊君は小さくてあまりよく覚えていないそうだけれども、その後俊君がつらい思いをしてきたのは、みなさんが知っているとおりです。でも、俊君は、いつまでも「つらいよ、悲しいよ。」と言ってお父さんの死に負けているだけではありません。この詩を書く中で、俊君はお父さんの死をしっかり見つめ、その死に負けないでしっかり生きていこうとしています。『「がんばれ」とせいえんをおくってください』と言っている俊君に、先生も声援を送りたいと思います。そしてみなさんも声援を送ってあげてください。 俊君、これからもせいいっぱいがんばって生きていこうね。 |
俊君が、真っ赤な顔をしてせいいっぱい涙をこらえようとしていた顔が、とても印象深かった。この詩を書くに当たって、彼はお母さんとお兄さんと3人で、お父さんの思い出を久しぶりに語り合ったそうである。その光景が目に浮かぶようで目頭が熱くなる。
7 子ども達のこと
出産を迎えているお母さんがいた。裕太は、「もうすぐうまれる」という詩を書いた。その詩が完成したとき、妹が生まれた。洋平は、さびしい幼年時代を過ごしていた。彼は言葉をなくしていた。横浜から母の実家に帰ってきた彼を、祖母は、毎日克明な育児日記をつけながら育てた。1年生の時からいじめられていた洋平に、必死でかばいながら言葉を取り戻してきた。家庭訪問の時、祖母は1時間余りにわたってそんな話をしてくれた。洋平は、「おばあちゃんはおおわらい」という詩を書いた。
10才の子どもとは、こんなにもしっかり自分や自分の家族を見つめてられるものかと驚かされる。子どもは、私の予想をはるかに越え、私は感動させられ、学ばされることばかりであった。
私は、孝夫のお母さんと知子のお母さんに学校にきていただいた。そして、それぞれの詩を読んでいただいた。自分の子どもが、どんなに深い思いで事実を受け止め、それに耐えようとしているか、その詩は切々と訴えていた。お母さんは、それぞれ涙をぼたぼたと床に落としながら、しかし黙々と何回も自分の子どもの心の詩を読んでおられた。誰もいない教室の静けさの中で、お母さんの愛情にあふれた美しい涙が母と子の間に何か新しいつながりを創っていくような気がした。そして、言葉の持つ力のすばらしさにあらためて感動したのである。
子ども達の書いた詩は、その子どもにしか書けない詩である。その子だからこそ使える言葉である。本当の国語の力をつけることは、子どもの内に秘めた可能性を信じ、その力を引き出していくことから始まるのだと思う。
おわりに
誰でもできる作文指導とか、作文指導のテクニックとか、みんな知りたい。しかし、私は生きた作文指導は、毎日の子ども達との関わりの中で、一人一人の心の中にある可能性を捜し当て、それを引出し拓くこと抜きにはできないのだと思う。つらく骨の折れる仕事だが、それが教師の仕事なのだと思う。 学級文集は、二百ページを越す大がかりなものになってしまったが、そのあとがきで、あいこは、1年を次のように書いている。その文を最後に書いてこのレポートをしめくくりたい。
この1年間、楽しいこともあったけど、むねがつんとくるときもありました。1学期、2学期、3学期とすぐ1年が過ぎて行きました。1学期から3学期までむねがつんとくるようなことが同じようにあったけど、それも、一つの勉強かなと思いました。 詩を書くとき、先生は、「心の悩みを書いてください。」 こういいました。みんなちがった詩です。赤ちゃんが生まれたこと、お父さんたちのこと。読んでいてなみだがながれるほどじょうずです。こんな詩を書くのはとてもたいへんでした。作文を書いて、いらない文を切りおとして、とてもくろうしました。この詩はけっしてわすれられません。 |