タイ日記Ⅱ

2005.12.23(15日目)

「ランクアップ」

昨日の夜、旅をランクアップさせるため違うゲストハウスに移ることにした。300バーツも払うのはバックパッカーとしてよくない。そこで150バーツ以内で探した。結局見つけたのは、貧乏人日本人御用達のMama'sゲストハウス。共同シャワーであるが、久々の HOTシャワー、部屋も狭いが心地よい。
王宮広場のあたりをうろついていると小さな仏像などをあしらったペンダント(プラ)を売る露店があり2時間ほど冷やかしているうちに、本気でほしくなるデザインのプラがあり200バーツで購入。店の人がいわく、アユタヤの仏像をイメージしているそうな。アユタヤ、どこかで聞いたことある町の名前、無性に行きたくなってきた。

 

 2005.12.23(16日目)

「一休」

世間ではクリスマスと正月というビックイベントを控えているそうな。自分もやはり普段とは違う特別な日にしたい。しかし、「これだけ遊び人の集まるカオサンロードで特別な日を狙った爆弾テロがあるのではないだろうか。」などと心配に。アユタヤペンダントを手にしつつ、静かなアユタヤでクリスマスを過ごそうと決心した。

→写真 陽気なジョーク。毎日おいしいトムヤムクンありがとう。

タイに到着してから、偶然の縁でお世話になった「旅の師匠」は日本へ。。たくさんの旅の技を教えてもらったのに加え、「指差しタイ語」の本を貸していただいた。カオサンロードの喧騒は、今では非常に煩わしいものになってきた

 

2005.12.24(17日目)

「アユタヤ」

朝7時発のディーゼル機関車に乗り込みアユタヤに向かった。移動にかかるお金は本当に安くて助かる。カオサンロードからバスでホアランポーン駅まで10バーツ、そこからアユタヤまで30バーツ、渡し舟3バーツ。結局すごい距離を移動したように感じても日本でのジュース一本分に満たない。
アユタヤに着くと、宿探しがめんどくさくて「地球の歩き方」に載っていたPSゲストハウスというのにチェックイン。早速レンタルサイクルで探索開始。ワット・プラハマサートで根っこに埋もれた仏の顔を拝みに行き、その神秘的な姿に心打たれた。アユタヤは昔、ビルマ軍に侵略された際に、仏像の首を刈るという屈辱的な方法で破壊したのだとか。それにしても首なしの仏像がこれだけあると圧巻で「廃頽の美」が好きな私にとって最高の思い出になった。

 

 

 2005.12.25(18日目)

「アユタヤ2日目」

アユタヤは、自転車を使えば一日出回れてしまうような狭い町だ。寺院ばかりでも面白くないので地元民の生活に触れてみようと、北へ自転車を走らせた。観光地を離れ民家に入っていくと外人が珍しいらしく、子供の手厚い歓迎を受ける。カメラを向けると興味心身に集まってくるたくさんの子供たち。身に着けているものを珍しがり見せてくれとせがむ。日本でほとんど子供との接点がない自分は、何か新鮮な気持ちになり、気がついたらゾロゾロと子供を引き連れて歩いていた。
写真は念願の像に乗ったときのもの。乗り心地はゆっくり大きく頭がゆすられる感じで酔った。カメラを向けると決めのポーズをとるよう仕込んである。

2005.12.26(19日目)

「シリアート病院」

とんでもない病院があると聞いた。その場所はカオサンロードからチャオプラヤ川を渡ったところにある。何の変哲もない大型病院なのだが、問題の展示室に入る。まずは、銃弾を受けた頭蓋骨が事件当時の写真付でいくつも展示されている。次の部屋では人体の各部、奇形で生まれてきた子供がホルマリン漬けにされ並んでいたり、寄生虫展示室では世界一巨大な金玉がホルマリンに漬かっている。 そして一番人気は凶悪犯の死体。 

 もちろんすべて驚くに値する物ばかりなのだが、お坊さんや女子高生が、顔覆ったり、騒いだりすることなく、淡々と見ている。

 

2005.12.27(20日目)

「赤十字病院」

怪しいバンコクを肌で感じようと今日も病院に行く。本日の病院はルンビニ公園近くにあるバンコク赤十字病院だ。ここにはスネークファームと呼ばれる場所がある。どうやら毒蛇に長い間苦しめられた歴史のあるタイでは蛇の研究が盛んなようだ。それで、どうして病院でスネークショーまでしてしまうのかはよくわからない。餌のラットが足元を走り回っていたり、アナコンダを好きなだけ触れる環境は過剰に管理されている日本の動物園に対して怒りを感じてしまうほどだった。昨日の病院といい、どうやらタイの病院はアトラクション的な要素を含みたいらしい。
夜のカオサンロードを歩いていたら、先日バスの中で少し挨拶をしたシンガポール人のマーク君が話しかけてきた。どうやら彼のお母さんが京都に住んでいたことがあったり、自分も日本に大変興味があるのだとか。バーを点々とはしごしながら文化交流をした。深夜の2時ごろまでつたない英語に付き合ってくれてありがとうマーク

 

2005.12.28(21日目)

「昆虫テイスティング」

Mama's ゲストハウスには旅に擦れすぎて、死んだ魚のような目をしている人がいて、バリバリ行動したい自分にとって邪魔な存在だった。いつも部屋に居て何をしているのか謎な人、異臭を漂わす人。 というわけで、旅人の間で「カオサンの寺裏」と呼ばれている場所に引っ越すことにした。 サワディーホテル(シングル200バーツ)に荷物を落ち着け、今日も怪しいバンコクを探索。今日は実に興味深い食べ物を買ってきたのでティスティングする。完全に見た目は女、声は男の名物オカマ昆虫屋より 購入。奥が深い

サナギ:苦いだけでほとんど味がない。「プチッ、ジョワッ」という感触は気味が悪い。

芋虫:小さいながらサクサク、にわかに香ばしさが漂う。酒のつまみにもってこいだ。

コオロギ:一昔前自分の家で飼っていたアロアナに食わせていた。おいしくない、にがい。

オケラ:薄ら香ばしい。よくわからない味付だけど日本人には抵抗のない味だと思う。

バッタ(小):サクッとした瞬間草の香りがする。当たり前か

バッタ(大):イタイ、とげが口に刺さって味見どころじゃない。見た目は人を寄せ付けない。

サソリ:強烈な見た目にそぐわず、インパクトのない味。何故か、かに味噌みたいなのがでてきた

 

 

 2005.12.29(22日目)

「そろそろ潮時」

毎日カオサンロードを通っていて思う。自国のルールに納まりきらなかった者、はみ出した者がバックパック一つで集まってくる町。そういう奴らの要求に応えるように出来上がった町は夢の世界のようでつかみどころがない。ずっと住み着いてしまう旅人のことを沈没者と言うらしいが、気持ちがわからないでもない。旅が長くなるにつれて自分が何かから解き放たれていくような感じがする。廻りに対して何の責任も持つ必要はないし、食って寝るところさえ安く手に入ればこれ以上何を望むのか。そして毎日がお祭り騒ぎ、少し気が合った仲間を集めて宴会が始まる。金がなくてもどこからともなくおごってくれる奴が現れる。タイ人の若者と世界のならず者を絶妙なバランスで受け止める町、早く抜け出さないと危険な気がしてきた。そろそろ、次の国だ!

 

 

2005.12.30(23日目)

「あと5日で脱出できる」

今日は、急いで旅行代理店へと行き、「ネパール行きのチケットをできるだけ早い便で!!」と頼んだ。3ヶ月のオープンチケットが4万円ぐらいで手に入り1月4日にネパールに行けることになった。


 そういえば、今日も詐欺に声をかけられた。まったくの偶然を装い話しかけてきた。シンガポールからの旅人だと言う彼は、「娘が来年日本に行くから日本のことを知りたい。家に娘もいるから、一緒にご飯でも食べようかと言う。」おいおい、お前は旅行者なのになぜタイに家があるんだよ。断ると、ほかの日本人を見つけて、そそくさと行ってしまった。結局こういう商売が成り立つほど日本人はカモにされまくっているんだ

 

 

 

 2005.12.31(24日目)

「新年カウントダウン・・・・」

今日は夜のお祭りのために12時ごろまで寝ていた。夕方から旅人達の母国の年越しの時間が来る度、歓声が上がる。そう、ここにいると何度もカウントダウンできるのだ。私も某和食亭でNHK「行く年来る年」を見ながら一足早い年越しをして、タイの正月カウントダウンを祝うため2時間後に王宮広場前に行くことになる。

何万人ぐらい集まっているのだろうものすごい数の人たちが特設ステージで繰り広げられる歌、踊り、スピーチなどを聞いている。しかし何と肝心のカウントダウンがないまま、誰か偉い人のスピーチの最中に時計は12時を回っていた。いったい何のために張り付いていたのかわからず、凶器の沙汰中カオサンロードへ引き返した。みんな泥酔しており、みんな友達な勢いで白人が声をかけてくる。このまま早朝5時ごろまで白人たちの馬鹿騒ぎだ
そしてなぜか、突然、早朝列車に乗り込みカンボジアへと、3日間の旅に出かける..カンボジア編

 

2006.1.3(27日目)

カンボジアから帰還

カンボジアから帰ってきた。明日のネパール行きに備え、国境から100バーツのVIPバスに乗り、バンコク南バスターミナルまで。VIPと言うだけありテレビ、便所がついていて5時間、300円ぐらい。それにしても、疲れた。ネパール行きを控えているにもかかわらず、突拍子もない思いつきでカンボジアに行ってしまったことを少し反省。
さて、いよいよ今回の旅のメインイベント「ネパール」への旅行が明日から始まる。今日は早く寝て明日に備えるぞ。ネパール編

2006.1.30(53日目)

「再び帰ってきました」

空港から一歩足を出すと。クラウン、ベンツなどが横付けされている。ネパールから帰り、やっと文明との再会を果たした気分になる。インド製TATAのマークの付いたオンボロ車も当分見ることは無いだろう。
カオサンに行くためA2バスに乗り込む。ネパールに比べて、なんと快適なことか。久々にサスペンション付きの車に乗った感じがする。しかし、この感動も即打ち破られた。なんとバスはミッショントラブルでサイアム付近で停車。払い戻しも、代替車も無い。怒るのに疲れた人から下車して徒歩で目的地を目指す。冬とはいえ日中30度を超える温度だ、徒歩はあきらめスカイトレイン→MRT→バスを乗り継ぎ無事にカオサンロードにつきチェックイン。タイマッサージを1時間30分 みっちりと受けネパールでの疲れを吹き飛ばす。久々のトムヤムクンは五臓六腑にしみた。

2006.1.31(54日目)

「快適」

ネパールより戻って2日目、午前中はフェイシャルマッサージを受け、午後からはDVDを買いあさる。夕方からはゲストハウス一階で上映している最新映画を2本見た。やはり、旅行者がうじゃうじゃいるカオサンロードは気楽に過ごせる。最低限の注意を怠らなければ危険は皆無である。 ただ、物価が上昇したことで負担に感じることは多くなった。もし、ネパールから直行で日本に帰っていたらあまりの物価の高さに鼻血がでるんじゃないかと思う。ネパールで出会った日本人が言っていたな「バンコクの文明具合が人間にとってちょうどいいんじゃないかな。日本は便利だけど物価高いし、せわしい。ネパールだとあまりに惨めすぎる。」全く同感だ。
今日は、ホテルがとれなくて困ってる3人組日本人を助けてやった。自分も旅なれてきたなぁ・・偉そうにw と思った瞬間。

 

2006.2.1(55日目)

「電脳複製」

今日はバンコク電脳街に出かけてきた。ここでは、多くの店でプレーステーション2が分解されている。そして棚に並ぶプレステ2の本体価格は7000バーツから7800バーツの値段が付けられている。こちらの平均収入から換算すると日本人が8万円ぐらいの買い物をするのと変わらない感覚だと言う。
しかし、なんと、このプレステ2は違法コピーが読み込めるのだ。はじめの出費は大きいが、ソフトはタイトルにかかわらず50バーツ、約150円で楽しめてしまうカラクリだ。映像DVDのリージョンコードも解除されており世界中のDVDが読めるし、MP3の再生などにも対応するという万能具合。そして店先で分解していたのは、これらが可能になる改良チップを埋め込む作業だったのだ。どうして、客の見えるところで堂々と改造しているのかは疑問である。 今日の収穫は映画のDVD2枚。最新上映中映画はネットカフェで確認したところ問題なく動いた。悪いのは俺じゃない
→20センチ以上あるサラマンダーがカオサンロードを歩いていた。体の大きさからしてのろまな奴だと思って手を出すと、尻尾で手をはたかれた。毒がないことを祈る

2006.2.2(56日目)

「ミスターバックパッカー」

隣のゲストハウスの一階を埋め尽くしている「ぐうたら椅子」がどうも気になる。このぐうたら椅子は三角枕と言ってタイのお土産にもなっている物である。MY HOWSEと言うこのゲストハウスは以前からずっと気になって泊まりたいのだが、空室がない。大人気でいつも欧米人が寝そべりながら映画を見ている。 今日はどうにも我慢ができなくなり、だれかがチェックアウト待ちすること3時間、やっと泊まることができた。
チェックインまでの待ち時間に、とてつもない日本人と話した。70歳だというその老人、50年バックパッカーをしているのだとか。初めての渡航は、海外旅行と言う概念が無い頃のお話だ。留学受け入れ先を強引に作り、輸送貨物船で食器洗いとして乗り込み海外へと出かけたらしい。数え切れないほどの国を回ってきた彼の口から出る言葉は、すべて驚きに値した。

2006.2.3(57日目)

「ミスターバックパッカーⅡ」

今日は、昨日のミスターバックパッカーに旅の技をいろいろと伝授してもらった。後行くかもしれないマレーシアへは、寝台列車を勧められた。時間があるという彼はホアランポーンの駅まで一緒に行って切符の買い方まで丁寧に教えてもらい、さらに、サイアムでおすすめの店を教えてもらう。

2006.2.4(58日目)

「泥棒市場」

昼間はサイアムまで出かけ、伊勢丹を見て回ってくる。今宵ヤワラーの一角が土曜日夜に異様な熱気を見せるという話を聞いた。その名も「泥棒市場」(クロントム市場)だ。昔は本当に盗んできた物があふれる市場だったそう。
夜の9時頃にヤワラーに到着する。人の流れに任せ市場の中心へと行く。確かにおもしろい。本当に盗んできた物もなきにしもあらずと言った感じを受ける。しかし、私が警察官だったとしても、どこから盗んできたのか聞く前に「お前はどうしてこれが売れると思ったんだ?」と聞きたくなるよう物ばかりだ。しかも、並べ方がものすごい。レトロなレコードと一緒に草刈り機の円盤を一緒に箱に入れている。これは極端なようだが、人を馬鹿にしたような並べ方はどこでも見られる。ロレックス、オメガ、Gshok・・・確かに巧妙な偽物だが、まじめそうな顔して、ルーペでマジマジと品定めするほどのものではないだろ・・・
今日は泥棒市場で収穫があった。今回の旅の2日目で大事な万年筆を詐欺師に渡してしまった。そこで代わりを探していたのだが重厚そうな万年質を見つけたのだ。当然のように値札が付いていないので、交渉に入る。一昨日会ったミスターバックパッカーは「言い値の10分の1から交渉し始めろ」と言っていた。あまりその品に執着心がないことを装うため他の品の値段を2~3つ聞いた後、さりげなく本命万年質の値段を聞く。450バーツだという 一気に肩の力が抜ける。日本円にしてみたら1500円ぐらいだ。どっしりした質感、ポンプ式の凝った作りだったので、4000円程分まで見積もっていた。最近いつもそうだが、基本的なタイ語を発音良く言えるようになったのと、顔が東南アジア系なこともプラスされ、相手は口数少ない自国民だと思っている。結局、売っているおじいさんのへの慈悲心から、半額からの交渉スタートで、250バーツでゲット。交渉終了後、日本人だと告げると苦笑いしていたのが印象的だった

 

 

 

 

 2006.2.5(59日目)

「マンゴーライス」

今日は朝10時まで眠っていた。ネパールでのアンナプルナサーキットの疲れが確実にとれるまではこの町の流れに身を任せよう。今日もミスターバックパッカーと一緒に行動し、サイアムの方まで足を伸ばす。今日はマンゴーライスを食べようと言う。この伝統的らしい食べ物は、餅米ご飯を冷やした上にマンゴーを適当な大きさに切った物をのせ、さらにココナッツミルクをかけるという食べ物。聞いた感じ、あまりおいしそうではない。 彼曰く「だまされたと思って食べてみろ」  断れるわけがない。少し高めで70バーツのマンゴーライスを食べてみる。何故かうまい、うますぎる。ミスターバックパッカーは「言わんこっちゃない」と微笑みを浮かべていた。夕飯も彼に連れられて中華街の海鮮食堂で珍しい物をたんまり食べた。

2006.2.6(60日目)

万年筆

今日はサイアムの伊勢丹に万年質を買いに行ってきた。泥棒市場で買った物で日記を書こうにもどうも自分になじむ予感がしなかったからだ。少し奮発して旅の日記を楽しく書ける手助けになればと思ったからだ。しかもブランド品が日本と比べて安価で手に入るこの機会を逃すわけにはいかない。ウォーターマンの物をゲット
今日も他の白人バックパッカーに混じってロビーに寝そべり映画を見た。戦争映画だったが、どうやらストーリー重視の作品で、内容が全然わからず終わってしまった。こうやって耳に入れているだけでも少しは英語の能力があがるだろうか?2本目の映画の上映が始まった頃、すさまじい腹痛が襲ってきた。こんな腹痛は生まれて初めてだ。便所とベットを行き交いながら思い当たる節を探すが、最近冒険的な食べ物ばかり食っているから、すべてが怪しい。今日は早く寝よう

2006.2.7(61日目)

なんか腹がやばい!!

最悪の夜だった。トイレに行った回数は数え切れない。うかつに屁をかまそうものなら実が出てくる始末だ。たぶん俗に言うアメーバ赤痢だなこれは。食欲がわかないが、昼になって体が動くようになりカオトム(タイ風おかゆ)を屋台に食べに行った。途中またもやミスターバックパッカーに会って、彼から抗生物質をもらった。これには大感謝。夕方までには治った。
いざ治ってみると、ものすごくのどが渇いている。今日は久々にお気に入りのシェイク屋に行ってみることにする。ここでは屋台の前にありとあらゆる南国フルーツが並び、その中から好きな奴を選び店員にミキサーしてもらうのだ。そして、そこに自前のウイスキーを入れる。今、ちょうどマンゴスチン&ドラゴンフルーツシェイクを飲み終わり、パッションフルーツとバナナをミックスしてもらった。贅沢なひと時

 

2006.2.8(62日目)

「次の旅へ」

そろそろ、アンナプルナトレッキングの疲れが癒えてきたので、次は何をしようか考え始めることにした。手頃なところで、マレーシア、ビルマなどが考えられる。そしてふと、山に行ったんだから次は海を存分に味わいたいと考える。そして、ゲストハウスの人とどこに行くのがいいか議論していると、一週間以内にコ・パンガン島で世界三大パーティーの内の一つが行われることがわかった。値段はVIPバス→船のジョイントチケットで1500円程度ときた。思い立ったら 即行動!今晩10:00バンコクを発つことにした。

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