神岡鉱山

東洋一の鉱山として隆盛を誇った岐阜県吉城郡の神岡鉱山廃墟となった今、現代人に何を伝えようとしているのだろうか?

神岡鉱山写真

鉱山までの道のり

和佐保堆積場

神岡の市内から、山の村に向かう車道を途中で左に折れて、3~4キロほど上ってきたところでダムのようなものが現れます。
実は、ここは18745000立方メートルに及ぶ和佐保堆積場です。鉱物を取り除いた後の不要物が捨てられていたのです。使用目的を失った今も異様に白い湿地としてその姿を私たちに曝しています。

神岡市内より7km過ぎたあたりから、いよいよ廃墟らしき建物がぽつぽつと現れ始め、

全体

栃洞に到着

地図に示してある場所が栃洞の中心です。栃洞自体はかなり広いのですが、他は、ここで働いていた人たちの住居だった場所です。

     

 

 

 

神岡鉱山の概略(歴史)


岐阜県吉城郡(現在飛騨市)にある神岡神岡鉱山は、全国からエリートが送られ、持てる知識のすべてを採鉱につぎ込んだ場所である。 鉛、黒鉛,亜鉛,銅, 銀,金を産出し、昭和初期において全国の亜鉛の90%以上が神岡鉱山で産出されたものであったという。 鉱山全盛期に神岡鉱山労働者は4600人にのぼ り、栃洞小中学校は1100人もの子供でにぎわった。圧倒的なテレビの普及率、映画館にて最新映画が東京と同時に封切される。 誰もが、日本を引っ張って いく栃洞に大きな夢と希望を見た

団結 トロッコ
工場 坑内

 

養老年間

神岡に銅山があったとの記録が残っている

明応年間

和佐保銀山(後に栃洞)が開坑される。

永禄7年

江馬氏が東町城(現神岡城)を建設

天正

飛騨金山奉公茂住宗貞が和佐保銀山を管轄

延宝年間

和佐保銀山が開坑。以後200年ちかく産銅

文政2年

和佐保銀山が政府御手山となる
鉱山の悪水によると思われる農業被害の報告

安政2年

幕府が貨幣改鋳のため、高山で銀の精錬開始。

安政5年

和佐保に荒吹所が建設される 

慶応2年

幕府の衰退とともに鉱山産業にも陰りがみえる

明治5年

借金の担保を理由に三井組が鉱山の権利を取得を始める。

明治18年

日本鉱業会誌に「飛騨神岡の鉱山」が良鉱山と紹介される

明治20年10月

神岡の鉱山所有権はすべて三井組のものとなる

明治23年

煙害の住民運動
精錬所に鉱毒飛散除去室の設置

明治28年

栃洞坑、通洞開通
綿火薬使用

明治29年

栃洞に私立小学校創立される

明治30年

ペルトン水車原動巻上機、スライス堀、坑内照明といった、さまざまな新技術が取り入れられ採堀作業に目覚しい発展が見られる
一方で金本位制実施による銀価格低下で打撃を受ける

明治34年

片面扉付鉱車登場

明治37年

日露戦争で鉛価格が上昇

明治38年

通風機が坑口に設置される

明治39年

亜鉛鉱の精錬、国外輸出を開始

明治40年

採鉱跡充填空洞堀が始まる

明治45年

主要運搬抗道が完成
雷管を使った採鉱が始まる

大正10年

イタイイタイ病へとつながると思われる奇病の報告
坑内電車使用開始

大正14年

立坑260m~0m完成
照明に電灯を使用開始

昭和10年

栃洞選鉱工場完成

昭和11年

坑内、坑外に電気機関車が導入される

昭和12年

神岡鉱山国防婦人会初会

昭和15年

栃洞選鉱第二工場完成

昭和21年

神岡鉱山労働組合発足

昭和23年

神岡高等鉱山学校設立

昭和25年

神岡鉱業(株)発足

昭和25年

神岡町誕生

昭和27年

三井金属鉱業(株)に名称変更

昭和30年

富山新聞にて初めてイタイイタイ病の記事

昭和31年

神岡町にて全国鉱山所在地市町村連絡会議

昭和32年

イタイイタイ病原因の重金属説(荻野氏)

昭和34年

地圧計、ボーリング技術など最新の技術

昭和36年

イタイイタイ病カドミウム説(荻野、吉岡氏)

昭和37年

栃洞坑、下ノ本坑休山

昭和38年

神岡町危機突破大会

昭和42年

初のイタイイタイ病被害補償要求

昭和43年

厚生省によりイタイイタイ病が「公害病」と認定

昭和46年6月

イタイイタイ病第一次訴訟が富山地裁裁判所にて行われ、三井敗訴

昭和47年

泉平,南平診療所が廃止となる

昭和48年

第1次合理化、組織改編
緑化運動がはじまる

昭和52年3月

栃洞中学校閉校

昭和52年12月

栃洞保育園完成

昭和53年

第二次合理化 約500人が退職
特定不況地域に神岡が指定される
山田中学校、栃洞中学校が統合し神岡中学校となる

昭和54年

通洞,泉平の社宅を廃止,

昭和56年1月

56豪雪

昭和58年3月

町立栃洞小学校閉校

昭和59年7月

東大宇宙線研究所神岡地下観測所観測開始

昭和61年

三井金属鉱業(株)が神岡鉱業(株)に別会社化
3月栃洞保育園休園

昭和63年

社宅はすべて夕陽ヶ丘,旭ヶ丘へ移転

昭和62年

ニュートリノの観測に成功

平成4年11月

栃洞の前平地区が実質的に無人となる

平成11年

文化庁が産業遺産として調査開始

平成13年

鉱量の枯渇、岩盤状況、品質の悪化を理由に、鉛、鉛鉱石の採掘を中止。

平成15年12月

工房もそもそホームページ開設

平成15年2月

神岡町は飛騨市に統合

平成19年11月

神岡鉱山地下にデータバックアップ基地構想

 結末は余りにもあっけなく訪れた。外国為替の急激な変動、外国からの安価な鉱物の流入、昭和36年頃から、公害問題の控訴が相次ぎ、全国で多くの鉱山が閉鎖していく。
現在、神岡の鉱山は国内最大の非鉄金属企業として稼動中であるものの、合理化により以前のような活気は皆無である。鉱山に夢を託した者たちは栃洞に残り続ける理由など無かった・・・ そしてついに栃洞は平成4年を持って無人となった

神岡鉱山探索

 

エマルション系含水爆薬

キレイな薬品

 

よく読むと新桐ダイナマイトと・・・!?

実験器具


南平方面から栃洞を臨むことになります。まず目に飛び込んできたの高台にある比較的近代的様相の建物

 


昭和52年12月に建てられ昭和61年まで使われていた栃洞保育園である。周りには建物の瓦礫の山がある。周りと比べあまりに保存状態がいいので正直、気味悪さを隠さずにいられない。すでに鉱山の衰退期に完成して皮肉な運命をたどったのでしょう。

私がここを訪れた経緯を説明しよう。正直なところ「怖いもの見たさ」「廃墟への憧れ」だったのかもしれない。しかし、初めて訪れた日の夜、父親に栃洞に行ったことを告げると、思わぬ事実を知ることとなった。

 

 

栃洞入り口付近に立てられた小中学校記念碑である。
この中学校で祖父が校長先生をしていたということが発覚したのだ。何が私をここに引き寄せたのかそして、様々な思いが頭の中を巡った。 もっと少し早 く・・・この場所と出会いたかった、そして祖父から栃洞の話をたくさん聞かせてもらいたかった。 しかし今その願いは叶わない。

 

 

 

 

 

神岡周辺の地理学


神岡の周辺は飛騨変成岩と呼ばれ、片麻岩(黒雲母片麻岩、角閃石片麻岩)、伊西岩、変塩基性岩から成る。特に神岡周辺部で鉱山が発達した理由として、地質 的に鉱物に富んでいたことに加え、飛騨変成岩が頑丈であったため崩壊の心配が少なかったことがあげられる。

山名

所在地 母岩 鉱石鉱物 脈石鉱物

神岡円山

神岡町和佐保

石灰岩

銀、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱

灰鉄輝石、緑簾石、ザクロ石、緑泥石、透輝石

神岡漆山

神岡町東漆山

石灰岩

銀、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱

石英、方解石、灰鉄輝石、緑泥石、

神岡栃洞

神岡町和佐保

石灰岩、伊西岩

銀、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱、輝水鉛鉱

灰鉄輝石、緑簾石、緑泥石、陽起石、方解石、ザクロ石、透輝石

伊西

神岡町伊西

伊西岩

銀、方鉛鉱、閃亜鉛鉱

灰鉄輝石、透輝石

鹿間

神岡町鹿間

伊西岩

銀、方鉛鉱、閃亜鉛鉱

灰鉄輝石、透輝石

笈破

神岡町笈破

伊西岩

銀、方鉛鉱、閃亜鉛鉱

灰鉄輝石、透輝石

神岡茂住

神岡町東茂住

石灰岩

銀、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱

灰鉄輝石、透輝石、陽起石、ザクロ石、、緑簾石、緑泥石

佐古西

神岡町跡津川

石灰岩、伊西岩

銀、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱

灰鉄輝石、透輝石、石英、方解石

小洞沢

神岡町跡津川

石灰岩、伊西岩

銀、方鉛鉱

石英、方解石

栃迫

神岡町跡津川

伊西岩

銀、方鉛鉱、閃亜鉛鉱

石英、方解石

間歩谷

神岡町土

伊西岩

銀、方鉛鉱、閃亜鉛鉱

灰鉄輝石、石英、方解石

神岡坂東

神岡町土

伊西岩

銀、方鉛鉱、閃亜鉛鉱

石英、方解石

神岡跡津川

神岡町跡津川

角閃石片麻石

金、銀、方鉛鉱

石英、方解石

fig2.地理学

飛騨市が15日発表した神岡鉱山地下空間への「データセンター」(情報管理)誘致は、同市が目指す地底の首都機能構想「地底危機管理センター」(仮称)建 設プロジェクト実現への弾みとなる。約450億円が投入される第1期工事だけでも固定資産税は約8億円ともいわれ、人口減や過疎に悩む市にとっては大きな 朗報となった。
神岡鉱山廃坑跡には東京大のニュートリノ研究施設などがあり、同市は2年前、耐震性や堅牢(けんろう)性、隔離性に優れた日本一強固な岩盤に覆われている地底空間を利用する「地底危機管理センター」建設構想を発表した。
採掘権を持つ三井金属鉱業(本社・東京)や、都市開発事業を手がける森トラスト、プラネット社などとプロジェクト推進委員会を発足した。地震やテロなど、 非常時に対応する「危機管理」が国家的問題となる中、同市が国に先駆けて民間活力を主導にして立ち上げた「地底首都構想」として各界の注目を集めている。
データセンター誘致は、飛騨市が国の地域再生計画の認定を受けて取り組む企業誘致の一環。船坂勝美市長は「最大、最強のプロジェクトが動き出した。将来的 には政府機能、自治体機能も取り込んだ、情報の地下都市を目指したい。将来的には数千億円の投資から生み出される固定資産税や法人税が期待され、市民の豊 かな教育、福祉、文化振興に貢献することになる」と語った。