タイ日記Ⅲ

2006.2.9(63日目)

「コ・パンガン島へ」

朝起きるとバスの中にいた。白人連中に混じり、11時間長距離のバス移動は神経をすり減らした。その後、スラタニという場所からサムイ島を経てパンガン島に向かう船に乗り込む。ここからは3時間船に揺られることになる。やたら陽気なトロントから来た3人組に絡まれ、彼らが差し出したウォッカを一気飲みする。まったく、こんなところで日本人は、負けるわけにはいかないのだ。まぶしい太陽に、真っ青な海、陽気な外人たち。こんな激安?豪華クルージングがあるとは感激。パンガン島に着くと、客引きたちが押し寄せ島内にみんな吸い込まれていく。リゾートの客引きは信用ならないのでソンテウ(乗り合いトラック)50バーツにてハード・リンという地域に向かう。有り得ない傾斜角度の坂と、うねる道。目に映るのは、驚くほど欧米ナイズされた世界だ。トムクルーズみたいないでたちの男が上半身裸でビキニの女をバイクの後ろに乗せて走っている。バンガローやロッジではハンモックを揺らしながら本を読んだりしている。絵に描いたようなリゾートで笑いが出る。
ハードリン到着後、バンガローを探していると日本人に声をかけられた。彼の名はコドさん(仮)、バンガロー探しを手伝ってくれた。最終的には自分用に確保していた、立地条件最高のバンガローを譲ってくれた。山の斜面に突き出たバンガローは海に面しておりテラスには椅子、机、ハンモックが付いている。8畳ほどある部屋も清潔で、350バーツ(1000円位)!一息ついてから昼飯をコドさんと食いに行く。どうやら、彼はよろしくない葉っぱを買いに行くのだが、一人では寂しいので一緒に行こうと言う。宿探しを手伝ってくれたので断れない。タクシーの客寄せやハンモックでくつろいでいる男から情報を集めること1時間で、いったいどこで安全に買うことが出来るのかの情報が手に入ったらしい。

 

今日の夕日の綺麗だったこと

 

9日間お世話になるバンガロー

テラスでのくつろぎの一時

2006.2.10(64日目)

「パンガン島2日目」

今日も日本人の友達が増えた、。しかしどうやら、ここに集まってくる日本人は危ない人が多い。コドさんと新しい友人ヨッシー(仮)と昨日同様、情報収集に出かける。砂浜を歩き、少しアンダーグラウンドな区域に入っていく。海岸にはトップレスヨーロピアンがが・・・。目的の店に着くと、ヨッシーは「草」の香りがすると言って、一人の白人オッサンに声をかける。実際に購入の段になったので、さすがに私は、ほかの用事を作り、離れた。フルムーンパーティーの日が近づき、どこも爆音ミュージックでノリノリだ。そんな中で、今日はファイヤーダンスに酔いしれた。

 

 

2006.2.11(65日目)

「自然の中へ」

朝から、少し喧噪を離れて森の中に入っていった。タイでも一応、冬なのだが日中は35度を超え、夜もファンがないと眠れない。ヤモリ、サラマンダー、蝶・・・どこが冬なんだろう

 

2006.2.12(66日目)

「ジャングルパーティー」

今日のメインイベントは深夜のパーティーだ。日中は寝たり食ったり、ブラブラしていた。白人たちがラフすぎる格好で、もちろんノーヘルで乗っているバイクの姿がうらやましくなってきた。調べてみると125ccのバイクが200バーツ以下で借りれるらしい。フルムーンパーティーが終わったら借りてみよう。
夜10時、比較的大きいジャングルパーティーに行ってきた。こういったものには無知であるから、音楽のジャンルのことを言っているのか、ツタの絡まるジャングルで原住民っぽくダンスパーティーをするのか興味津々だった。ソンテウ(乗り合いトラック)に乗り向かう最中、日本人女性二人組がのってきた。俺のことを現地人だと思ったらしく、日本語を話すと胡散臭そうな目をされた。

会場に着いてみると、確かに周りに椰子の木が鬱蒼と生えている中に会場があった。しかしイメージしたジャングルとはほど遠い。客は2:00頃になりやっとある程度集まったが、どうもノリの悪いパーティーだ。200バーツのフィーを払っているだけに帰れずにいたが、全然楽しくなかった。売っている酒も明らかにぼったくり価格で飲む気にもならない。もう一人つまらなそうにしている人を発見してコミュニケーションをとってみた。ポーランド人の若者だったのだが、気前が良く酒やジュースをおごってくれた。どうやら彼は世界でプレーするDJらしく意外にも金持ちだと言うことが後でわかる。彼とハード・リンにタクシーで戻り、彼おすすめの場所で飲み直すことにした。すべて彼のおごりで飲みまくったのだが、先に勝手に酔いつぶれ、酒をおいたまま自分のホテルに帰ってしまった。最近余り良い酒を飲んでいないので、持ち帰り今日からの糧にすることに。

 

 

 

2006.2.13(67日目)

「読書の日」

今日は、砂浜に本を持って日向ぼっこをしに出かけてきた。それにしても白人たちのバカンスの過ごし方はスマートで見習うべき姿だ。時間の使い方を熟知している。時間に追われながら遊ぶ日本人は短い時間の中で精一杯遊ぼうといろいろな遊び道具を持ってきて正直見苦しい。幸運にも今回の旅は時間がたくさんとれるので見よう見まねでも彼らのスタイルを学びたいと思う。
今日読んだ本は、他のバックパッカーからもらった本で、チャールズ・ブコウスキー著「ありきたりの狂気の物語」というものだ。バックパッカーの伝統として読み終わった本を交換しながら旅の中でいろいろな本を読んでいくというのがあるらしい。持ち合わせがなかったのでタダでもらってしまったのだが、いかにも何人もの旅人の手あかがすり込まれている表紙は、それだけで感慨に耽れる物だった。内容はと言うと題名が示すとおりムチャな話だった。

2006.2.14(68日目)

「フルムーンパーティー」

昼間はぐっすりと眠った。なんと言っても今日は待ちに待ったフルムーンパーティーだ。20:00を回ったあたりから砂浜のあちこちでミュージックにあわせてファイヤーダンスが行われている。今日のパーティーは、残念だがカメラを持っていると壊れそうなので出直す。まずは謎のBarに行きマッシュルームシェイクとやらを飲む。するとどうだろうお酒を飲んだわけでもないのに酔った。その勢いでいくつかの会場を回る。バケツに入ったお酒が勝手に回ってきて、ただで飲み放題だ。白人たちの型のない適当なダンスを見習い、それなりに楽しんだ。

2006.2.15(69日目)

「祭りは終わり」

パーティーは朝日を拝んだあたりからやっと終息した。眠くなってきたので、そのまま海岸でゴザを敷いて眠ることにした。エンドレスで酒を飲んでいたせいで、さすがに自称ザルも頭の周りが悪くなり、炎天下の中で体を焼きすぎることになってしまった。体は真っ赤になり、少々やばいと思ったのでオイルマッサージをしてもらいに行く。日焼けしすぎだったのでアロエを塗り込んでもらった。
日焼けしてからと言うもの、ほぼ間違いなく地元民として見られる。店に行っても初めからやすい物を勧められ、破格の値段設定だ。お金を払う段で、外人だと知って驚かれる。普通にタイ語で話しかけてくるし、嬉しいような困った話だ。

2006.2.16(70日目)

「そろそろお別れかな」

今日は正午あたりまで寝ていた。日焼けのせいで相当からだが衰弱している。。夕食のために入った店の女将さんが着ていたフルムーンパーティーのTシャツがあまりにも気になり、どこで手にはいるかと聞いてみる。どうやら島の関係者に配られたスペシャルTシャツだと言うことだった。そこで作った店に問い合わせてもらったところ1枚だけ残っているので特別にもらうことが出来た。
この島での生活は、ものすごい暑さに加えて、贅沢がいっぱいあり財布の紐がゆるみがちになる。そろそろ潮時かもしれない。

2006.2.17(71日目)

「鉄馬」

昔、400ccのバイクで派手に事故ったことがある。それ以来もうバイクなんて乗る物かと思った。

こんな不安定な乗り物はない

しかし

だから格好いい・・・・
125ccのオフロードバイクを借りてしまった。おとなしくスクーターを借りればいいのに、クラッチ付きの5ギア式だ。もちろんノーヘル+短パンいっちょ。 はじめは事故のトラウマで古傷が疼いてふるえる足を押さえつけながらのツーリングとなったが、あまりの気持ちよさに忘れることが出来た。交通ルールもあってないような物だし、ヘルメットもないから自由そのものだ。

 そして長年の夢が叶った。昔、あるミュージシャンが海岸の波打ち際をアメリカンバイクで駆け抜けていくプロモーションビデオをみた。借り物バイクをいいことに思いっきり波打ち際を走り抜けた。結局一日でパンガン島を一周

2006.2.18(72日目)

「パンガン島最終日」

昨日の時点でバンコクへ戻るための船の予約を入れておいた。パンガン島での滞在よい休息になった。島自体もフルムーンパーティーをすぎたあたりから急に活気が無くなりほとんど人はいない。

 

ハンモックに揺られながら次の冒険を夢見る。

 

もう一度カンボジアに行きたい!

 

2006.2.19(73日目)

「バンコクへ」

お昼の12:00にパンガン島を経つ。肌の調子は最悪でヒリヒリして、もう太陽に当たることが出来ない。他の連中もそうだ。とにかくこの島で大いにはしゃいで力を使い尽くした感じだ。結局この島についてから使った金額というのは一日平均5000円近く使ってしまったことになる。少し遊びすぎたようだ。

2006.2.20(74日目)

「帰れない?」

朝5:30分にカオサンロードに到着する。時計一周分の時間バスに乗っていたことになる。カオサンは今日もひどい混み具合で満室ばかり、精神的にも体力的にも疲れお気に入りのゲストハウスのロビーの椅子にてチェックアウトする輩を待つことにした。2時間待ったところで受付の人が一室あいたことを伝えに来てくれた。シャワー・トイレ付きで190バーツ大満足です。
旅が終盤に入り、そろそろ帰宅のことを考えなくてはならない。今回は3ヶ月しか保険をかけていないのでそろそろリミットとなる。 前回、ネパールのチケットで世話になった代理店に出向く。 しかしここで衝撃が走る。あんたの持っているビーマン航空のチケットは8月まで予約で満席だ、どうする?と言っているではないか。どうするこうもない、俺はどうしたらいいのか聞いてみると、毎週金曜日に空港に出向きWaiting手続きをし、ドタキャンの客を待つしかないと言っている。当然キャンセル客がいなければそのままカオサンロードに引き返さなくてはならない。「激安航空券はそれを承知で買ったんだろう」とか言われるし、最悪だ。

 

2006.2.21(75日目)

「喫茶店」

今日は、なかなかおもしろい環境で日記を書いている。ピアノのおいてある、しゃれた内装の小さな喫茶店だ。キャンドルの光だけの店内で、ぴあの弾き語りが始まる。タイ語で、何を言っているのかさっぱりわからないが妙に心が和んできた。 タイ人の若者の飲み屋と化していて、ぺちゃくちゃ聞こえるのだが、意味のわからないその言葉はまるで音楽の一部のように頭の中にしみこんでくる。よく日本人同士でタイ語についての話題になるのだが、イントネーションが可愛いとは、まったく同感。
それにしても、2ヶ月以上をアジアで過ごしてきて、自分一人が外国人という今回のようなシチュエーションが心地よくなってきた。何にも属していない孤独、旅人という曖昧な立場は独特の浮遊感をもたらしてくれる。すべての責任を放棄して汽車に乗り込めばいいし、宿を変えるだけでもいいのだ。気分しだいで、今日初めてあった人に、違う「自分」を演じるのもできる。

2006.2.22(76日目)

「一安心」

今日はビーマン航空本社にバスで行ってきた。一昨日の代理店の対応とはうって変わって、実にあっけなくチケットの予約を入れることが出来た。代理店が確保できる席が満席だったからなのだろうか、それとも別の方法を勧めて儲けるつもりだったのだろうか。それにしても腹が立つ。 そういえばネパールに飛ぶ際、一番安いところは今から3ヶ月間ずっと埋まっているから、少し高い他のほうを勧められた記憶がよみがえってきた。代理店なんてその名が示すとおり中間マージンで稼ぐ会社だ。今後、極力使わないことにしよう。
午後からは、明日からの旅の情報収集に励んだ。いくつかの日本人宿を回り情報交換ノートの情報を物色した。とにかく今、またカンボジアに行きたい。

 

 

2006.2.23(77日目)

「バンコク~カンボジア、シェムリアップ」

早朝4時に起きて5:55分発バンコクホアランポーン駅からカンボジアとの国境アランヤプラテート行きの列車に乗り込む。ふと、窓に流れる風景を見ながら、旅の課程で自分が変わったことに気が付いた。異国にいるという刺激が物足りなくなってきているのだ。すべてがシャッターチャンスに見えた来たばかりの頃の自分が懐かしい。感動が足りなくなったと言うべきか。ネパールの旅が刺激的すぎたのかもしれない。タイ国では旅の経過と共に、発展途上だけどやっぱり同じ人間の姿が見えてくる。ネパールでは違った。起床すると、石臼を回しているお母さん、山羊や牛の放牧、電気も水道もない。彼らと共に1週間すごした。そして最後は正直耐えられなくなった。すごす時間が長くなるほど、違う生き物を見ているような感覚になったものだ。さて、二度目のカンボジアは無事に終えることが出来るだろうか

 

 

2006.3.(日目

「ナンカ、考え事」

この旅も終わりに近づいた。旅を人生に置き換えた文章を、ある小説の中で読んだことがある。最初は誰かに守ってもらわなくては危うい「赤子の時間」。次に何もかもが新しくて驚きの連続、好奇心が人格形成に大きな役割を持つ時期。他の人間との関わり合いで自分のアイデンティティーを形成する時期「青年期」。新しい刺激が少なくなり倦怠を感じる時期。こうして長い旅を、何とか乗り越えた今、痛いほどその意味がわかる。流れる時間も旅人各一人ずつに相対的な長さを示す。そして旅(人生)が実際の長短に関わらず終わる頃には、寂しさを感じる。やはり短かったと・・・
旅にはこうでなければいけないという決まりはない。百人いれば百通りの旅がある。しかし、いつまでも初心を大事にする「旅人」でありたい。カンボジア編

 

 

2006.3.(日目

「デモで喰らう」

バンコク王宮前広場、ざっと見た感じ1万人ぐらい集まっていたと思う。現在タイのニュースのトップを飾るホットなアンチタクシン首相抗議活動拠点潜入をこの旅の締めくくりとすることに決めたのだ。集会場はバリケードに囲まれて、中に入るには数人の警察官のチェックの目を通る必要がある。 当然かばん等は中を調べられ、厚着をしている人はボディーチェックを受けている。 もし、検査に引っかかり警官と会話が始まってしまえば外人だとばれてしまう。一度カオサンのGHに戻り身軽になったところで再挑戦。 残念ながらカメラも持ち込まなかった。
できる限り愛国心あふれる尋常じゃない目を心がけ、無事会場内に潜入成功! まずは野党が出すお店で抗議用の旗(写真)を買う。  それを振り回しながら何か面白いことがないか徘徊する。すると、長い行列が・・・。衝撃、なんとデモ隊への配給飯ではないか!!ビニール袋に飲み物を汲み、これまたビニール袋に入れられたご飯を受け取る。イメージしていた暴徒化したような人は見られない。実に穏やかな集会には、訳がある。何年か前の大規模集会で警察隊が過激になりすぎた活動家を公開処刑したらしい。