山日記(第11回)

25年目の御巣鷹の尾根へ―――

日本航空123便の墜落から早や25年目の夏を迎えようとしています。
ようやく平成22年6月6日御巣鷹の尾根に立つことができました。

高崎市を出発し2時間半近く車を運転し、御巣鷹の尾根への登山口にたどり着きました。
同じ群馬県内ですが、埼玉県や長野県に近く高速が使えず予想以上に遠いところでした。
途中上野ダム(揚水式で有名)というのができていて、そこまでは道路も良く整備されトンネルも多く快適でしたが、その先は道路が狭く急勾配が続きます。

林道の最終地点は標高が1300メートルを超えたところで、冬は路面が凍結し通行禁止となります。舗装された駐車場があり、普通車が10台ほどと大型車が3台ほど止められます。
登山カードを記入し、たくさん準備してある杖を借りて歩き始めました。

180メートルの高低差を800メートルの距離で稼ぐため勾配は相当にきつく、遺族の方の労苦を感じます。
登り始めて30分ほどで墓標が現れます。それからはあちこちに墓標が乱立し、尾根にたどり着くと一面の墓標となります。

尾根は極端に狭くものすごい急勾配で切れ落ちています。斜度は30度ほどあるでしょうか、落ち始めたら途中立ち木に引っかからない限りとどまることはないでしょう。

尾根の角度が少しはゆるくなったと思うところに「昇魂の碑」が立ち、その先には遺族が備えたものを保管した小屋があり線香を上げられます。

千羽鶴もたくさんありました。また、小屋のそばには観音像と520名の犠牲者の氏名を刻んだ墓碑が設置されています。

そこを過ぎると今でも焼け焦げた立ち木が当時を物語ります。当時は尾根や谷間の一面がハゲ山のようでしたが自然の力は感心するばかりで、悲しいほどに新緑が覆っています。

帰りにふもとの「慰霊の園」に立ち寄り、そこでも線香を上げて帰宅の途につきました。

追記:帰宅してすぐに、読売新聞群馬版にこんな記事が載りました。
「御巣鷹の尾根で遺族の心を踏みにじるような行為がありました。」というものです。
さまざまな供物が尾根に散乱していたということでした。写真も掲載されました。

わざわざ苦労して山に登りそこで悪行三昧とは実に嘆かわしい。
その者たちの心にその行為がずっと残ることを祈ります。

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