マスターの生徒たち - The Third Dacade(2025~)
はじめに重要!!
当塾が比較掲載しているのは、
成績の最低値と最高値ではありません。
生徒が、入塾前に受けた最後の北辰テスト
あるいは、入塾後に最初に受けた北辰テストの成績と、
下位層が抜け、最も好成績の出づらい3年生の最後に受けたの北辰テストの成績です。
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R.8 川越高校 進学
K君の受験を俯瞰的に見れば、私立高校が市場の趨勢を変えつつある今日にあっても、彼のように実直でトレンドに左右されない生徒を惹きつける川越高校の底の深さに、感嘆の息が漏れる。川越高校にいささかでも興味を抱く者がいれば、K君のような学生がいる、その一点だけで安心して身を委ねてよいとすら言える。同時に、そうした場所に立つには、合格の先まで見通したヴィジョンが不可欠でもある。
彼の3年強にわたる学習カルテを見返してみると、過度な負担がかからないようにするための配慮はほとんどない。かといって勉強漬けとも違い、そこに残っているのは、興味をどう引き出すかについての模索の跡である。
それは、直接的なものから間接的なものにまで及ぶ。中でも触れないわけにはいかないのが、早い段階からトップレベルの水準を求めたことだ。K君自身も、二年生のときに、ひとつ上の先輩たちが取り組む光景を見て、次元の違いを感じたと手紙に書いてくれている。
スピードを意識すれば理解がおざなりになり、理解に重心を置けばスピードで置いていかれる。二年生のK君は、どちらを立ててももう一方が崩れるようなジレンマを抱えていた。三年生になり、私との対話が増えるにつれて、そのときの経験が覿面に効いてきた。彼が、勉強が楽しくなったと言ったのは、自ら説明する過程で両輪のタイムラグが徐々に詰まり、余計なストレスが抜けていったからだろう。
一方で、志望校は総合的な判断から川越でほぼ固まっていた。面談は軽く二回ほど、私からは「川越東の特待生をクリアする」という条件を提示した。川越東の特待生入試で八割正答を目標に据え、早慶をはじめ出色の入試問題も課題のリストに加えた。数学では、一つの問題に対して複数の解法を示し、どれが美しく、どれが現実的かというやり取りをした。K君は、実に生き生きとしていた。私自身も、いったん勉強の外に出た(ように見える)ものが、もう一度意味を取り戻す瞬間が好きだ。
果たして、川越東の特待生(理数科)は、最大の敬意を払って乗り超えた。そして、総仕上げとしての公立入試だが、数学は(というか全教科)理解とスピードが噛み合い、英語は時間が余るとまで言うK君に、まかり間違っても全部解いてやろうなどと気負うなよと二、三度釘を刺した。
入試当日、K君は最初に来るだろうと思っていたが、その通りだった。合格発表の日も、やはり最初に現れた。私はまず、トップを目指そうねと言った。そして、頂いた手紙には私が想像していた以上に自分を客観視できていて驚いた。君が三年間で掴んだものは答案の外にあったんだね。
R.8 川越女子高校 進学
Nさんは、強い意志を貫ける点において、公立・私立という枠を超えて、どの学校からも迎え入れたいと思われる生徒だ。Nさんの軌跡をたどろうとすると、感情的に持ち上がってくるものはあるのだが、何から書き始めるべきか迷ってしまう。
アルコールのせいもあると思うが、一番は、この合格について、私が語り手としてどの位置に立つべきか、いまひとつ定まらないからだ。不用意に語ろうとすれば、彼女の人としての力の前に、自分の言葉の軽さに耐えられなくなる。だから、余計な解釈は抑え、流れに沿って記していくことにする。
夏期講習を前に「決めた、川女に行く!」と高らかに宣言したその日から、例外なく毎回、2,3時間の宿題を欠かさなかった。内容はすべておまかせだったので、塾が終わって次の日また塾に来るまでに、ぎりぎりできるかできないかの量を私が出していた。
しかし、器用ではないどころか、むしろどこか抜けている彼女は、飲み込みの早さではライバルに引けを取っていた。それでも彼女は、一木造の仏像を彫り進めるように、真摯に課題に向き合った。すると、できるようになったところと入れ替わるように、自分の足りない部分もまた隠しようなく露わになっていった。事実、宣言撤回の危機は何度も訪れた。それでも彼女は、自分の目指す形を彫り上げようとした。
どこかに書いたが、こう見えて私は、言葉で人を導くタイプの人間ではない。生徒が自分で修正できるよう、仕組みを整えるタイプの人間である。また、何事にも真摯に向き合う彼女には、私の言葉が、良くも悪くも私の想像以上に重く響いてしまう気がした。理屈で進路の戦略を固めるより、彼女の純真さのほうを守りたかった。だから彼女と面談をしたのは、八月か九月に軽めのものを一度だけで、あとは二、三回、S先生に任せた。S先生と何を話したのか、私は知らない。ただ、20分ほど話したあと、「やっぱり川女行く!」とNさんがにこにこしながら教室に戻ってきたことだけは、よく覚えている。そして深い秋が過ぎ、張りつめた冬を越え、気づけば発表の朝を迎えていた。
2026/3/6/9:15 AM
数日前に『先生何時に塾いる?一番に電話するからね』と言っていたのに、発表からもう15分も過ぎている。
2026/3/6/9:25 AM
電話が鳴った。「ふぅ~、ふふ、先生受かった!受かる気満々だったから、発表見る前に(高校へ行く)電車乗ってて電話できなかった~」と。
彼女の純真さを前にすると、私はおもはず、「恥の多い生涯を送って来ました。」という人間失格の手記を拝借したくなる。その上彼女は、塾の最終日、母親の前で私のことを恩師・恩人とのたもうた。それがとどめだった。
R.8 大宮光陵高校 進学
当塾から大宮光陵へは11年振りだが、11年前のまた別のS君に負けず劣らず、3年間、片道2時間かけて通う覚悟は相当なものだ。
コンクール上位常連の大宮光陵の吹奏楽部に自分の未来を重ね、サックスの技術向上だけでなく、勉強も1mmも手を抜かなかった。受験生活では、埼玉県吹奏楽コンクール、西関東吹奏楽コンクールを控えた最後の夏でさえ、31日間夏期講習に通った。さらに、サックスの個人レッスン、個人でのコンクールと、予定は途切れることがなかった。
個人レッスン後に、駆け込むように塾へやってくるS君を見ると、塾は塾で、また別の期待が置かれているのだとわかって、ふと嬉しくなった。S君は、自然と応援したくなるような空気をまとっているのかもしれない。
西関東吹奏楽コンクールのときには、ライブ配信の予定を教えてくれたので、学年や学校に関係なく、塾の大型モニターに視線が集まった。「部長~!!」「Sのソロ来るよ」「Sかっけー」「金賞ぅぉわぇ!!」と空気が沸き立った。K君は、興奮と感動を同時に抱えながら、しみじみと泣きそうになっていた。
大きなコンクールが終わると、S君とは、吹奏楽に打ち込むためにも今が大事だということ、進学後学年10位以内にいること、指定校推薦のことなど、勉強のモチベーションや進学後について話すことが多くなった。成績的には、10位以内での合格が見える位置に着けており、私立高校は受けなくても平気かというS君の相談に、私も「うん、大丈夫」と、迷うことさえなかった。
その出来事が冬休み前のことであり、そのような場合、家でぬくぬくと正月を迎えるという選択に陥りそうなものだが、次長、いや課長、いや部長は違った。正月も三が日を含め、朝晩しっかり勉強に漬かった。
疑問点をその場で解消する所作に無駄がなくなり、オリジナルの間違いノートには信頼できるものだけが蓄積されていく。さらに、今この勉強を始めれば40分ほどで終えられると逆算できるようになる。そうした習慣が自律的に回り始めたのを認めたとき、私は、ああ別れが近いのだなと実感した。
塾のホワイトボードの隅には、S君がいつも書いていた浦和レッズの試合スケジュールが残っている。今それが更新されないのを寂しく感じるが、こつこつと築いた習慣は、もう別の場所で回っているだろう。
R.7 西武文理高校 進学(アカデミックマルチパス A特待)
入塾のきっかけは、お父様がふらっと立ち寄ってくださったことだった。古臭い言い回しだが、近所にタバコを買いに行く風というのがまさしく当てはまるような光景だった。時間にして5分も話したか、料金表とクセの強い通信が挟まれた薄いクリアファイルを素手で持って帰られた。いつも通りお名前を伺うこともなかった。
その日だったか、翌日だったか忘れたが、今度はお母様とAさんで体験に見られた。体験は成績に関わることを尋ねることもなく粛々と進める。私はAさんの挙動を見てすぐにその賢さを感じ取った。挙動というのは良くも悪くも隠そうと思っても隠せないものが出る。入塾にあたって希望やリクエストはなかったが、姿勢やペンの軌道などがぶれないことから、勉強の差は勉強以前の差であることが実践されているなと思った。
そのような土台の上で、阿吽のやり取りと微修正を繰り返しながら、学校だけでは吸収できない栄養素を補っていった。と言っても、先取りをするわけでもなく、数学はたし算・ひき算・かけ算・わり算・暗算を正確に、国語は漢字と慣用句、英語はabc…から始め、一般的な公立中学生と同じことを同じペースで進めた。ただ彼女が違うのは、そこに思考(国語)が伴っているという点においてであった。
中2になると、興味の延長線上で中学以上のことをやることはあったが、Aさんに関しては、興味を喚起することに夢中になり、家庭で築いた土台を必要以上に乱さないよう気を使った。中3になると、自ら最高峰の問題に興味を示すようになった。それも楽しそうだった。
Aさんの受験ロードを見ていて、家庭で培ったものを学校や塾で発揮し、学校や塾で得たものを家庭でさらに落とし込むという正の循環が浮かび上がった。最後まで自分で選び、自分で決め、最高の笑顔で次のステージに進めたことに感謝しつつ、これからも着実に一歩一歩。
R.7 川越高校 進学
スイマー3兄弟の最終兵器として満を持して当塾に送り込まれたK氏は、千原ジュニアがサバンナ八木を「山、川、空、八木」と評したのと同様、「山、川、空、Katy」であった。
学校・クラブチーム・塾を行ったり来たりのスケジュールに加え、生徒会長としての職責を負い、さらに技術・家庭科や音楽などの実技教科も手を抜かない。傍から見ても文句なしのオール5である。これまで完全オール5は何人かいたが、これらの生徒に共通しているのは、自信に満ち溢れているどころか、常に恐怖心をもっていることだ。
中間・期末の「納得」のいくレベルは人の数倍厳しく、K氏にとっては通過点に過ぎない川越高校も、何度大丈夫かと私に聞いてきたことか。一方で、切り替えも上手で、落ち込むときはとことん落ち込み、その後は見事な跳躍を見せる。
また、素直すぎるところがあって、夏期講習明けに書いてくれた感想には、「今年の夏休みは、ほとんどの時間を塾で過ごしました。きっと、日本中の受験生がこのような生活を送っていたと思います。」とあって、このような生活とは41日間朝から晩まで勉強漬けの講習のことだが、何の疑いもなく他の(塾生以外の)受験生もそういう生活を送っていると信じていたのである。
取り繕わず自然体な性格からムードメーカーで求心力に長けている君は、やはり川越高校が似合っていると思う。数学もピカイチだし。そんな山川君、あ間違っ、Katyの第2章に乞うご期待。
10年前、母親の上着の裾を掴みながらもじもじと落ち着かないでいた弟は
今や兄たちと同じように、夢への階段を登っている
R.7 松山女子高校 進学
合格発表の日、朝一番に、(きっと)家着のままで知らせに来てくれた。思えば、雨の日も風の日も、チャリ漕いで。
良いときだけでなく悪いときも真っ先にテストを見せてくれて、学校の課題のわからないところや、小テストがあるなどの情報は3年生の中でいつも最初に教えてくれた。それだけ「やらなきゃ」って気持ちが溢れていたのだろう。
あれもこれもやらなければならないことを両手にいっぱい抱え、掴んだらこぼれての繰り返し、もうムリぃぃぃってなったこともあったね。コップの水が溢れるか溢れないかギリギリのバランスで一日一日を乗り越えていたから、あの時、バランスを崩した時は、私もいろいろなことを考えた。でも、どこにそんな力が隠されていたんだろうと不思議なくらいまた力強く走り出した。
大変なのはSさんに限ったことではないが、その中でSさんは、壁を登らされているのではなく、自ら登っていく感覚を身につけたと私は思っている。調子の悪いときや自分の力だけではどうにもならないときにどうやって心のバランスを取って、気持ちを切り替えるかを家庭や学校や友人からSさん自身が学んでいったに違いない。
3年次には通知表を8も上げて、やっぱり見てる人は見てるんだなと感じられるときが一番うれしいんよ。いいかげんなのか真面目なのかよくわからない性格も、弱いんだか強いんだかわからない性格も、見てる人は見てるってことは全部長所なんよ。Stay
gold.