マスターの生徒たち ~ the first decade ~

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H.26 坂戸高校
H.26 松山女子高校(特進)
H.25 大妻嵐山高校(理数アドバンス)
H.23 坂戸西高校
H.21 武蔵越生高校(進学選抜)
H.21 星野高校(文理特進)
H.19 坂戸高校
H.19 東京農業大学第三高校
H.18 **高校

H.26 坂戸高校 進学

北辰偏差値:55.2⇒59.4(最高値62.8)(3科)
      56.2⇒55.6(最高値62.1)(5科)

 Hさんに入試に対する不安を言われたとき、「私は今何を考えていると思う?それはね、高校に行ったときHさんを他の人よりどれだけ優位に立たせてあげられるかということ。余裕で受かるから大丈夫。」と私は言った。確かに私は大丈夫と言った。頭から布団をかぶってもその言葉がモンスターとなって襲ってくる。予想問題で70~80点取れていた子の口から自己採点で30~40点しか取れていないかもしれないと言われたとき、励ましの言葉も見つからなかった。塾でも再採点を行ったが、あとは彼女のマイナス思考が私に仕掛けたトラップであることを祈った。

 寝られなければ走る。それは昔から変わらない。朝まだき、ペットを散歩させる老人には、私は健康的な男に見えるだろう。が、違う。目的は健康などではない。ただ苦しさを紛らわせるためだけだ。Hさんはがんばった。40日以上ある夏期講習も、三が日さえ休みのない冬期講習も、交通機関が麻痺するほどの大雪の日も、毎日。考えようとしなくても、そんなことが頭の中に渦巻いていた。私の鬱屈した心情とは裏腹に、凛として清清しい朝だった。神社の境内には数え切れない絵馬がかけてあった。かつて、私は、修学旅行で「全員が受かる訳じゃないのに神頼みしたって何の意味もない、受かるか受からないかは自分が一番知っている」と、一人だけ絵馬を書かなかったことがある。塾を始めてからも神頼みはしたことがなかった。抵抗はあったが、今年は菅原道真公に土下座をしてきた。やっぱり少し力を貸してくださいと。

 受験前、生徒にこんな話をした。「私は生徒が受かっても大して感動しないんです。これだけじっくり見させてもらうと、受かるか受からないか他の人よりもよくわかるんです。宝くじって当たるか当たらないかわからないから当たるとうれしいでしょ。よく、合格者掲示板のところで塾の先生がよくがんばったなって一緒になって喜んでいるけど、私は受かってもあんまり喜んであげられないんです。ただ、木の陰からこっそり見て小さくガッツポーズはしてますけど。」と。そう言ったにもかかわらず、今年は、Hさんの仕掛けたトラップのおかげでだいぶ感動してしまった。本当ならこういう感動を私は味わうべきではない。

H25. 中3(4月)入塾

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H.26 松山女子高校(特進)進学

北辰偏差値:54.8⇒52.4(最高値57.7)(3科)
      56.7⇒52.1(最高値58.2)(5科)

 受験の天王山と言われる夏期講習、県内屈指のスイマーであるAさんは、合宿などもありハーフコースしか取れなかった。夏休み明けの北辰テストでは、私は下がると思っていたし、Aさんも下がると思っていた。案の定成績は下がった。11月の保護者会ではAさんのお母様は北辰の成績が上がらない不安を口にされた。私は「それはやる気がないからです。」と、失礼千万な言葉を返した。失礼と言うのも、夏休みが明けAさんは隣町からほぼ毎日通っていたからだ。支える親御さんのご尽力も相当なものだ。

 ある程度通った生徒ならわかるが、私の指導は厳しくない。一定以上のレベルに対する私の言う「やる気」とは文字通りの「気持ち」ではない。よく一流スポーツ選手の条件としてケガをしないことが挙げられるが、ケガをしないためにはウォーミングアップなどの事前準備を用意周到に行う必要がある。すなわち、実戦だけでなくあらゆる面で気を配り、手抜かりなく行わなければならない。私は、この「用意周到さ」を「やる気」ととらえている。Aさんは、問題や自分の解答を確認せず、くだらない間違いを指摘されることがたびたびあった。私はAさんに「こんな間違いを繰り返すなら勝手にしてください」くらいのことを言った。Aさんは12月の北辰で偏差値を10上げた。

 入試は多かれ少なかれ不安なものだ。楽観的な性格だと思っていたAさんから、もし判定が下がってしまったら怖いから入試直前の北辰は受けたくないと言われたとき、そのことを再認識した。私は正直、模試の結果などどうでもよかった。そう思えるほど日々の学習は充実いていた。ただ、入試までの一連の流れとして受けてくれたほうが、私はリズムをつかみやすかった。そして、私にゆだねて受けてくれたAさんに感謝している。

 『努力圏、合格の可能性30%』最後の北辰はAさんの危ぶんでいた結果となってしまった。私は結果を渡されたとき、何もコメントはしなかった。春休み、私はAさんに聞いた。「あのとき、先生はどう思ってると思った?」Aさんは答えた。「大丈夫だと思ってると思った。」よくわかってらっしゃる。努力圏、合格の可能性30%の生徒が特進クラスに合格したのだから他の受験生はたまったものではない。

H25. 中2(3月)入塾

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H.25 大妻嵐山高校(理数アドバンス) 進学

北辰偏差値:50.7⇒58.0(3科)
      46.7⇒54.5(5科)
      52⇒66(英語)

 ある日の夕方、お母様が買い物袋を提げたまま訪問してくださいました。お話を伺うと、町最大の某塾へ通っておられるとのこと。実は、私、営業トークが非常に苦手です(する気もないのですが)。だから、他の塾を体験されている方への説明はとても気が楽です。他の塾へ通われていたならなおさらです。体験で比べていただくだけですから。
 返事は明るく、反応の良いYさん。ノートは丁寧で、きちんと集中している。にもかかわらず、計算ミスが絶えない。それがYさんの最大の欠点でした。私が計算ミスのたぐいをどうやって直すかは、長くなるのでここでは割愛させていただきますが、夏期講習前の面談でお母様からケアレスミスに関する不安をお聞きしたときには、理由を説明した上ではっきりこう申し上げました。「今は直りません。でも、秋、遅くても12月にはぴたりと直りますから大丈夫です。」と。

 志望校選びにおいては、親御さんは出来れば公立と言うものの、本人は「公立で行きたい高校が見つからない」と悩んでいました。そんなこんなで私立の受験校も迷い、最初は違う私立の過去問をやっていました。しかし、年の暮れも押し迫ったころ、突然大妻嵐山一本で行くことを告げられました。そのとき本人には言いませんでしたが、私の中では当然のようにアドバンスクラスを想定していました。その後は、それまで続けていた私立の過去問と大妻の過去問とを並行して、とにかく制限時間内で満点を取れることを意識して行っていきました。以前は皮肉を込めてYさんクウォリティーと呼んでいた計算ミスも冬期講習のころには人が変わったようになくなり、いよいよ入試を迎えるに当たっては、本人に直接アドバンスの太鼓判を言い渡しました。

 後日、明るい笑顔で持ってきた合格証を見て私はびっくりしました。理数???そういえば、私はアドバンスとは言いましたが、文系理系についての意見は言っておらず、というより、これまでの英語の上昇を見て勝手に文系だと思い込んでいました。本人曰く、「理系のほうが将来選択の幅が広がるから」と。入試直前に自分の得意不得意ではなくそこまで考えられるほど達観していたことに心底感心しました。

H23. 中3(4月)入塾

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H.23 坂戸西高校 進学

北辰偏差値:49.8⇒51.2(3科)
      49.3⇒51.3(5科)

 良く言えばクール、別の見方をすれば無口とも言えるMくん。お母様が言うには、学校で体調が悪いことがあっても先生に言わず我慢してしまうのだそうです。小さい塾にもかかわらず、Mくんから2年間で「わかりません」と大っぴらに言われたことはほとんどなかったと記憶します。

 物言わないMくんの、解答はもちろん視線やペンの走る速度などから、様々な情報をキャッチするために私は常にアンテナを張って観察する必要がありました。幸い塾講師である私はこういう仕事は得意中の得意です。「この程度のヒントを出せばできるだろう」とか、「次はあそこでペンが止まるな」とかを常に予測しています。Mくんに限らず、「わかりません」と言い出すことが苦手な子はいます。そんな子に対して、「どこがわからないの?ここ?」と問いただすのではなく、少なくとも成績を上げることに関しては、その子を徹底的に知ることが一番大切です。しかも、生徒に「この人は自分のことをちゃんと見てくれている」と思ってもらえなければダメです。

 生徒に力がついてきたなと感じ始めるのと、成績に反映されるのには時差があります。12月の模試での合格の可能性は20%、そのとき私がMくんに言った言葉は「受かる、しかも余裕で。」。案の定1月の模試では70%まで上がりました。しかし、学校の三者面談では、第一志望はおろか、1ランク下げても危ういと言われました。Mくんは、願書提出の前日になっても決め切れていませんでした。このときもMくんは不安そうな表情を浮かべるだけで「迷っています」の一言が言えません。私は、生徒に受験校を指示することはありませんが、受かるか受からないかは、はっきり言います。そのときMくんに言ったことは、「1ランク下げれば受かるし、下げなくても受かる。だから自分の行きたい方にしな。」。願書は第一志望に出しました。

 私は、安易に危険な賭けをさせたわけではありません。なぜならばMくんの家は母子家庭で「絶対公立」でした。お母さんとおじいちゃんが毎日のように送り迎えをして隣町から通ってくれました。下手をしたら一家の人生を変えてしまうかもしれません。倍率は決して低くありませんでした。無難な選択をすすめてもMくんは私を恨むようなことはしないでしょう。けれども、塾とは、お金を払って通ってくれていることに対する答えを、何らかの形で提示する所です。Mくんはクールな性格上、冷静沈着です。模試の成績はブレが少なく、本番の試験もMくんのペンがどのように走るか予測できたので、GOサインを出しました。

 私の予測通り本番で力を発揮できたMくんは第一志望に通うことになりました。その後、お母様からの話で高校ではギターに夢中だそうです。高校受験が様々なことに挑戦する自信となっていたらうれしいです。

H21. 中2(4月)入塾

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H.21 星野高校(文理特進) 進学

北辰偏差値:52.5⇒60.6(3科)
      52.3⇒57.4(最高値58.1)(5科)
      50⇒65(英語)

 訪問者に驚いたのはそこに立っていたのが1年前に体験を受けたあの子とそのお母様だったからです。通うことは決めていたが、練習の厳しいソフトテニス部とのこと。学校の成績は良く、通知表の特別活動の記録にはテニスからピアノ、硬筆展、書き初め展、美術展とタイトルがびっしり。まさに文武両道そして才色兼備な子という印象です。目標とする高校はテニスの強豪星野高校。文武両道のRさんにぴったりな高校です。

 星野高校1本のRさんは過去問を比較的早期に取り組み始めました。しかし、いくら学校の成績が良いRさんでも量と質の両方から攻めてくる星野高校の問題では話は別です。また、塾へ通いながらテニスの夜間練習にも通っていました。Rさんは週2コースだったので、ほとんど宿題を出さない私もこのときはけっこう出したと思います。

 数年後、Rさんから日本女子大学に通うことになったという知らせをもらいました。それを聞いて、星野高校女子部(文理特進)から女子大学へと進んだRさんはかつて私がいだいた印象と変わっていないなと感じました。

H20. 中2(3月)入塾

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H.21 武蔵越生高校(進学選抜) 進学

北辰偏差値:43.6⇒54.2(3科)
      47.2⇒54.3(5科)
      42⇒53(数学)
      36⇒49(英語)

 私立高校の個人面談が盛況を博す中3の2学期。Mさんは町最大の塾から町最小と言える当塾へ移って来ました。前の塾で何を話したかはあえて聞きませんでしたが、議論を重ねたことでしょう。そしてたった数回の体験で当塾に移ることを決め、見せていただいたのは第1志望「要検討」、合格の可能性「10%未満」の模試の成績表でした。Mさんはとても明るい性格で、イレギュラーな時期に入ったにもかかわらずすぐに塾に馴染めていました。Rさんとテニスつながりで顔見知りだったことも大きかったと思います。

 ところで、当塾はMさんのように他塾から移って来られたり、イレギュラーな時期に入塾されたりする方が他の塾さんに比べて圧倒的に多いと感じます。正直、「もっと早く知っていただけていたら(もっと可能性は広がったのに)…」と感じることも多々あるので、「駆け込み寺」的に思われることを素直には喜べません。もちろん、個人店ののれんをくぐるのに、ある種の好奇心や勇気を必要とすることは否定しません。しかし、子どもの人生を考えたらそんなためらいは百害あって一利なしです。

 さて、Mさんの希望ははっきりしていました。11月の個人面談でいわゆる○約を取ること。すなわち、次の模試で一発逆転の成績を上げることでした。まず、偏差値36の英語を体系的に学び直します。時間が1ヶ月しかなくてもこれだけは譲れません。数学は取るべき問題と捨てる問題の区別を叩き込みます。そして、勝負の第6回模試。見事過去最高成績を上げました。第7回、第8回は本人の意向で受けませんでしたが、Rさんと卒業まで塾に通い一緒に学び巣立っていきました。

H20. 中3(10月)入塾

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H.19 坂戸高校 進学

北辰偏差値:56.7⇒61.7(3科)
      53.0⇒62.2(5科)
      50⇒59(数学)
      51⇒59(社会)
      43⇒62(理科)

 4月1日、まさに年度のスタートの日に入塾したのがEさんでした。入塾時から共学の進学校に行きたいという思いは一貫していました。しかし、入塾直後の合格の可能性は10%。1年足らずで合格圏内に持っていかなければなりません。苦手科目は数学と社会と理科。5科目受験の県立ですから、半分以上が苦手科目ということになります。急がなければならないのは明らかですが、Eさんは運動部の中でも特に練習の厳しいソフトテニス部に所属していました。3年1学期の通知表で担任の先生からのコメントに「いよいよ夏休みですね。定期テストの結果を反省し、苦手教科の克服に努めましょう。」とあるように、本格的な受験モードは夏休みの夏期講習からとなってしまいました。実際Eさんの成績は夏いや秋までほとんど代わり映えせず、一番良いときでも合格の可能性は30%でした。しかし、明るく前向きなEさんは、現実を悲観することなくひたむきな努力を重ねていました。

 しかし、12月の模試の結果では合格の可能性20%(努力圏)。それでもEさんは志望校を変えませんでした。私はそれでよいと思っていました。自分の思っているように成績が伸びないと私立高校の甘い言葉に揺らぐ生徒は少なくありません。それはEさんには無縁でした。Eさんは冬期講習は朝10時からがんばりました。そして冬期講習が明け最後の模試で合格可能性90%(安全圏)をたたき出しました。もう私が何も言う必要はありません。Eさんのポジティブな思考に最高の裏づけが得られたわけですから。どんなときでも笑顔を絶やさないEさん。お母様と一緒に合格を報告しに来てくれたときも満面の笑みでした。

3年1回

3年8回

H18. 中3(4月)入塾

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H.19 東京農業大学第三高校 進学

北辰偏差値:45.3⇒63.4(3科)
      47.8⇒64.1(5科)

 入塾に当たってまずお母様から見せていただいたのが、1年3学期の北辰テストの結果でした。否が応でも注目するのは数学の成績でした。当時40点満点のテストで7点。他は最低2桁あるのに対し、数学の点数はなんとも物悲しくたたずんでいました。偏差値は36。1年生で北辰テストを受けるのは、高校受験に対しみずから進んで歩み寄る積極的なご家庭が多く、不安と同時に少なからずの期待を抱くものです。その中で目の当たりにした結果にYくんのお母様は焦っていたに違いありません。

 Yくんは塾を気に入ってくれたみたいだし、数学を上げるのはマスターの得意とするところなので(と言ってもこの年が開塾初年度ですが)、こころよくお引き受けしました。このときYくんが熊谷高校を受験することになろうとは誰が想像できたでしょう。Yくんを指導し始めて数ヶ月、私はYくんの特異なキャラクターに少々手を焼いていました。まず、じっとイスに座れない。授業と関係ない質問をする。独り言が多い。スーパーのレジ袋をかぶって授業を受けるなどなど。しかし無理に矯正せず、ある程度斜に構えて相手の世界に招き入れてもらえる関係になるまで我慢しました。姿勢が安定しないYくんのためにちゃぶ台を買い、勉強のハードルを下げました。まずは、成績を上げることよりもYくんが自然体で勉強できる環境を整えました。するとYくんは独特なこだわりを持ちながらも机に向える時間が増えてきました。とはいえ、「家ではゲームばかりしている」と、お母様の不安は相変わらずなものでした。

 2年の秋からは国語も必修にしました。すると他の科目の成績も上がり始めました。3年生になり、夏の高校見学では進学校を意識するまでになりました。3年11月の第6回北辰テストから第一志望を熊谷高校に固定しました。最終の第8回テストの偏差値は63.4(3科)、64.1(5科)でした。入塾時の偏差値は、45.3(3科)、47.8(5科)ですから本当に良くがんばったと思います。そしてYくんは第一志望の熊谷高校を受けました。結果は…残念でした。前述のようにちょっと変わり者のYくんの内申点は2年で28、3年で32と、熊谷高校を受ける子達と比べるとひどすぎました。もちろん、内申があっても安全な成績ではありませんでしたが。かくして農三に進んだYくん、その後も新たなステージで異才を発揮しているでしょう。

H.17 中2(5月)入塾

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H.18 **高校 進学

北辰偏差値:39.5⇒49.3(最高値51.7)(3科)
      40.9⇒48.4(5科)

 何も語らずとも、一見して物静かで内気な性格であることがわかるAさんでした。お母様からは学校に通えていないこと、いわゆる不登校であることを告げられました。そのとき私が考えたのはAさんを引き受けようかどうしようかということではなく、「すべてか…(学校の授業で教えることをすべてやらなくてはならないのか)」ということでした。お母様が塾に通えるかどうかを心配しておられるのは当然のことなので、まずは夏期講習を受けていただく運びとなりました。学習カルテを読み返してみると「(8月12日)方程式の続きを行い、その後、比例反比例に入りました。座標の読み方など本当に1からやらなければならないようです。」と書いてあります。夏期講習が終盤の8月24日には正式に入塾を決められ、いよいよ最後までこの塾でがんばることが決まりました。

 11月のカルテにはこう書いてあります。「夏期は基礎の繰り返しに力を注ぎましたが、ここ2か月は通常のカリキュラムの1年分くらいの量をこなしてきました。初めは慣れない環境に疲れていないかとか、短期間にたくさんのことをやって混乱しないかとか、とても心配でした。しかし、心配とは反対に塾に来る時間がだんだん多くなってきたことが私はとてもうれしいです。これまでAさんは、1つ1つのポイントをよく吸収しています。これからは入試問題にも取り組んでいくことになります。今まで学んだポイントを使って問題を解く経験を積んでいきましょう。」と。Aさんは話を聞くことやノートを取るという基本的なことをしっかり行える子だったので、思考をきちっと導いてやればあとは自ずとその才能を伸ばせる子でした。そして、Aさんのがんばりは実を結び第一志望に合格することができました。しかし、私が導けたのはAさんの才能のほんの一部でその後の人生で開花する部分のほうが大きいことは言うまでもありません。

H17. 中3(8月)入塾

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