ANTONIO FARAO
読後感というのに対して聴後感というのがあるとすれば、このアルバムには余韻が残らない
"WOMEN'S PERFUME"
ANTONIO FARAO(p), DOMINIQUE DI PIAZZA(e-b), ANDRE CECCARELLI(ds)
2006年9, 12月 スタジオ録音 (CAMJAZZ : OMCZ-1026)

丁度、1年前の1月にレビューを書いたANTONIO FARAOの"TAKES ON PASOLINI"はMIROSLAV VITOUS(b)とDANIEL HUMAIR(ds)という一癖、二癖もある役者を揃えて丁々発止のインタープレイを展開して大いに魅了されたものだった。次回もこのメンバーでと願ったが、それは叶わなかった。
今回のメンバーを見てANDRE CECCARELLI(ds)が参加しているならドラムスは文句なしに良いだろうと思った。で、ベースであるが、この人を僕は知らない。DOMINIQUE DI PIAZZAというの人は「知る人ぞ知る」エレキ・ベースシストらしい。ちょっと、待ってよ!エレキ・ベース?!アルバムを手にして初めてエレキ・ベースであることを知った。イタリアのピアノの名手とフランスのドラムスの名手が揃いながら、ベースがエレキとは!なんというミス・キャストかと思った。これはないでしょう。しかも、全編エレキである。なんということ!そもそもヨーロッパの音楽といえばアコースティックな楽器を連想させるし、長いクラッシクの伝統の積み重ねを考えればピアノ・トリオはアコースティック・ベースが当然と思っていただけに正直驚いた。
今回のアルバムも前回同様、何故か映画にテーマを求めている。ARMANDO TROVAJOLIという映画音楽の作曲家に捧げたものらしい。

@"TOTO SEXY" 
蓋を開けてみるとファラオのピアノがあたかもカンツォーネのように明るく煌いて聞こえる。ベースは当然のことながらエレキ・ベースの音色である。ウーン、もったいない。
A"LA VIA DEI BABBUINI" 
サクサクと刻まれていくCECCARELLIのブラッシュが小気味良い。少し牧歌的な匂いのする演奏だ。
B"PROFUMO DI DONNA" 
明るくカラッとしたピアノの音色に電気ベースの組み合わせは何故か色気を感じさせない。やはり無機質な匂いが強くなってしまう。陰影がないといったら良いのだろうか?色気に乏しいといったら良いのだろうか?
C"POSITIVE LIFE" 
軽い乗りの演奏には電気ベースが合っている?
D"TOTO SEXY" 
控えめなCECCARELLIのドラム・ソロで始まる。ボゴボゴベースが唸り(?)をあげる?
E"TRY TO CHANGE" 
このあたりまで聞いてくると、どの曲も似たような曲想で段々、皆同じように聞こえてくる。まだ、半分か!
F"IL PRETE SPOSATO" 
G"MY FATHER'S SONG U" 
H"FAUSTINA" 
I"IL VEDOVO" 
J"NOWISE" 
K"PAOLO IL CALDO" 

このアルバムにおけるCECCARELLIのドラミングは非常に控えめだ。かつてENRICO PIERANUNZIの"LIVE IN PARIS"(JAZZ批評 324.)で大暴れした姿とは対照的だ。

全体的に同じようなニュアンスの美しい曲が集まったので、1枚通して聴こうとすると途中で飽きる。そう、美旋律の罠に嵌った感じだ。そういう意味で、毒がなくてメリハリもない。さらに言えば、緊迫感とかスリリングな展開というのもない。悪いが、BGMだと割り切って聴けばそう腹も立たないだろう。読後感というのに対して聴後感というのがあるとすれば、このアルバムには余韻が残らない。
とまあ、散々なレビューであるが、裏を返せばそれほど期待したものとのギャップが大きかったということ。アルバム的には平均的なものだろう。
同じイタリアのピアニスト、STEFANO BOLLANIとか、このANTONIO FARAOは彼らのやりたい音楽をやりたいようにやらせたらとてつもないアルバムを作るのではないかと思っているので、こういう枠にはめた企画モノは残念でならない。事実、BOLLANIはSTUNT RECORDSで"MI RITORNI IN MENTE"と"GLEDA"(JAZZ批評 210. & 264.)という傑作を出している。   (2008.01.27)



独断的JAZZ批評 463.