GIOVANNI MIRABASSI
更なる熟成を期待したい
PARKERがかつてのPARKERに戻るまで
"TERRA FURIOSA"
GIOVANNI MIRABASSI(p), GIANLUCA RENZI(b), LEON PARKER(ds)
2007年6月 スタジオ録音 (ATELIER SAWANO : AS073)

GIOVANNI MIRABASSIといえば、ヨーロッパにおける叙情的、耽美的ピアニストの代表格ということになるのだろう。僕にとって、このアルバムの眼目はLEON PARKER、その人である。MIRABASSIとは180度反対側の人というイメージがある。そのPARKERがどう機能したのか、興味はここにあった。水と油は混じることができたのか、できなかったのか?
LEON PARKERは少ないドラム・セットでも多彩なドラミングを叩き、その躍動するシンバリングに僕はほれ込んだ。かつて紹介したアルバムの中では、ちょっと古いが、JACKY TERRASSONとのトリオ・アルバム"LOVER MAN"(1993年録音:JAZZ批評 139.)や"JACKY TERRASSON"(1994年録音:JAZZ批評 107.)が印象に残る。
一方、ベーシストのGIANLUCA RENZIは初めて聞くベーシストだと思うけど、なかなかいいベーシストだ。

@"ALFONSINA Y EL MAR" 
先ず1曲目から"MIRABASSI WORLD"の再現だ。丹精で耽美的な演奏でこれを"MIRABASSI WORLD"と言わずして何と言おう。初聞きのRENNZIのベースは良く歌っていてこのトリオに良く溶け込んでいる。
A"#3" 
B"SIENNA'S SONG" 
C"LAST MINUTES (INTRO)" 
ベースのイントロ、50秒。
D"LAST MINUTES" 
ベースの心地良い定型パターンで仕切りなおす。もう、これだけで十分躍動している。そして、かつてのプレイを蘇らせるPARKERのスティック捌きがいいね。が、この程度のドラミングでは満足とまではいかない。
E"RADICAUX LIBRES" 
F"W. A. F" 
G"AMBA" 
後半部にPARKERのドラム・ソロが用意されているが、借りてきた猫のようで迫力不足。こんなはずじゃあなかったと思うのは僕だけではあるまい。
H"WORRY DOLL" 
I"WE HAVE THE BLUES MR. PRESIDENT" 
珍しくもブルースを演奏している。そういえば、2005年12月の"ATELIER SAWANO CONCERT 2005"でも"CARAVAN"をグルーヴィに演奏していたっけ。願わくば、こういうブルースではPARKERの威勢の良いドラミングを聴きたかったなあ。この面子で演奏するのはまだ日が浅いのだろうか?PARKERの遠慮がちなドラミングが気にかかった。

このアルバムはまさに"MIRABASSI WORLD"ともいう世界である。この耽美的ともいえる美しさこそMIRABASSIがMIRABASSIである所以である。しかし、これが本当にMIRABASSIが意図したことだったのだろうかという疑問が僕にはある。2007年の武蔵野市民文化会館であったソロ・コンサート(JAZZ批評 402.)などを聞くうちに、このアルバムでMIRABASSIが意図したものはその"MIRABASSI WORLD"からの脱却ではなかったかという疑問である。LEON PARKERの参加の意味はそこにあったのではなかったのか?"MIRABASSI WORLD"からの脱却こそこのアルバムのテーマではなかったか?そういう疑問符を持たざるを得ないのだ。
熟成度という点でこのグループはまだ満足できる高みに達していない。特に、期待したPARKERのプレイが終始、遠慮がちで本性を現していないと思う。僕はPARKERの、もうそれだけでワクワクゾクゾクするシンバリングを聴いてみたいと思っていたのだが、残念ながらのこのアルバムにそれはない。あくまでも控えめなPARKERのプレイなのだ。もしかして、ここ10年来あまりその名前を聞くことのなかったPARKERにはその人なりの問題でもあったのであろうか?往年のPARKERを知る人には若干の寂しさを感じさせる演奏だ。
できれば、このグループはこの面子でもうしばらく活動を継続して更なる熟成を期待したい。PARKERがかつてのPARKERに戻るまで。そして、そのことが"MIRABASSI WORLD"からの脱却という結果をもたらすに違いない。   (2008.02.03)



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独断的JAZZ批評 464.