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| 『友情ある説得』(Friendly Persuasion)['56] 『L・B・ジョーンズの解放』(The Liberation of L.B. Jones)['70] | |||||
| 監督 ウィリアム・ワイラー
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| 今回の合評会の課題作には、ウィリアム・ワイラー監督による異色の社会派ドラマとも言うべき二作が並んだ。 先に観た『友情ある説得』は、内戦たる南北戦争まで経験していながら、尚も懲りないアメリカの好戦体質を炙り出している作品のように感じた。それと同時に、今ほどにはマクラナマの教訓「4.効率を最大限に高めよ」が浸透してはいない緩さというか大らかさがあって、古きアメリカをも感じさせてくれる。 なにせ七十年前の製作時点からさらに百年近く遡る1862年の南インディアナでの南北戦争を巡る人々の臨み方を描いた作品だったからでもある。点描系の油彩画のタイトルバックから始まって実写に移行した本作で最初に印象づけられるのは、讃美歌の高らかな合唱を行なうメソジスト教会とは対照的に、静かな祈りを捧げるクエーカー教徒たちの平和主義だったように思う。 集った人々を導く牧師が、ゲイリー・クーパー演じる裕福そうな農夫のジェス・バードウェルの妻イライザ(ドロシー・マクガイア)だったが、当時、女性牧師というのは珍しくもない存在だったのだろうか。クエーカー教徒も銃をとれと勧誘に来ていた北軍のハービー少佐に向ってイライザが毅然と言っていた「悪で悪に報いることのないように」との台詞は、今にも通じる大事なことだと強く感じた。 また、ジェスの息子ジョシュ(アンソニー・パーキンス)を姉妹三人掛かりで狙う寡婦四人家族の三姉妹の肉食ぶりが七十年前の作品としては、なかなか痛烈だった。バンジョーが“男の欲情を掻き立てる楽器”だと言っていたのは、音楽好きのジェスに、クエーカー教徒には似つかわしくないオルガンを売りつけた、“教授”と呼ばれる楽器屋の親父だったが、バンジョーのことをそのように言うのは初めて聞いた気がする。ジェスが相談もなくオルガンを買って帰ったことに憤慨したイライザが、寝所を共にすることを拒んで納屋に家出しながら、宥めに訪れたジェスと過ごした一夜の明ける時間経過に、十七年前に観た『休暇』['08]を思い出し、それを撮った屋外ショットの美しさに感心した。 トップクレジットは、ゲイリー・クーパーだったが、正義の名のもとに戦地に赴く決意を固めた息子に対して「それは神の正義とは違うわ」と諭しつつ、𠮟責は加えないイライザを演じていたドロシー・マクガイアこそが主演の作品だったように思う。 それにしても、友情ある説得というタイトルは、誰の誰に向けての説得のことだったのだろう。愉快で魅力的だったサム(ロバート・ミドルトン)とジェスの友情の間に何か起こるのかと思いきや、訪れたのは悲嘆のみだった。 翌日に観た十四年後の作品『L・B・ジョーンズの解放』は、ワイラー監督の遺作だとのこと。拳銃の入った箱を持って列車から飛び降りたら警官に見つかったものの箱から拳銃が飛び出していて放免されていた、ツイてない奴なのかツイている奴なのか、よく判らない男として登場するアバンタイトルのあと続けて、空腹だったとはいえ拳銃入りの箱を雑貨屋に置き忘れて店主から脅されたものの隙を見て素早く奪い返すという、ドジなのか機敏なのかよく判らない姿を見せていたソニー(ヤフェット・コットー)と、市の顧問弁護士を務めるオーマン・ヘッジパス(リー・J・コッブ)の若き甥夫婦が乗っている、町に向かう汽車から始まって、その三人が乗った町を出て行く汽車で終わる、なかなか奥行きのある大した映画だった。『十二人の怒れる男』['57]の3番陪審員が印象に残っているリー・J・コッブが、実に味わい深い演技を見せていたように思う。ソニーに限った話ではなく、人という存在の推し量り難さを描き出して見事な作品だ。 先ごろ観たばかりの『フォッグ・オブ・ウォー』に出てきたマクナマラの教訓「9.人は善をなさんとして悪をなす」が利いてくる展開になっていたような気がする。理想家肌の甥スティーヴ(リー・メジャース)が憧れた弁護士では最早なくなっている“大人の事情”に長けたオーマンが、葬儀屋L・B・ジョーンズ(ロスコー・リー・ブラウン)の若妻エマ(ローラ・ファラナ)の浮気相手である白人警官ウィリー(アンソニー・ザーブ)に工作を仕掛けなければ、ウィリーが殺人を犯すことも、ソニーが一旦は断念した復讐を改めて行うこともなかったはずの話になっていた。 だが、偏にオーマンのせいだというわけではない。エマが一旦は承諾していたジョーンズとの離婚を翻した欲を撤回していれば、或いは、エマが指摘していたとおりに小心者で殺人などできなかったはずウィリーが、追い込まれて常軌を外しているときに相棒のスタンリー・バンパスが煽らなければ、更には、ウィリーと切れるなら離婚は撤回してもいいと言っていたジョーンズが、ウィリーがエマとは終わりにすると言ったことによって離婚の撤回を受諾していれば、ソニーが殺人を犯すようなことにはならなかったはずなのだ。 だが、やすやすとそうは出来ない事情と経緯が関係者たちのなかで生じて来て、事態は工作を仕掛けたオーマンの想定を超えて行く。妊娠が判ったエマは離婚してシングルマザーになるわけにはいかなくなったのであろう。エマにもジョーンズにも“友情ある説得”などできないウィリーは追い詰められる。エマの改心なら許せても、寝取った当のウィリーからの強要にはジョーンズとて屈することができない。そして、ジョーンズのあまりに無惨な殺され方がソニーの熾火を燃え立たせていた。結局のところ、甥のスティーヴが言っていた“実績も影響力も得たオーマンならできるかもしれないと訴えていたこと”とは真逆の道を選ぶようになっているオマーンが共同経営者として呼び寄せ、後継者にしようとしていた甥から見限られていた。理想主義を馬鹿にして現実主義者になることは必ず現実側からしっぺ返しを食らう、という筋立てになっているところに、ワイラー最後の作品に足るだけの思いが宿っている気がして感慨深かった。 男五人が集まった合評会では、支持が三対二に分かれた。戦争の無惨を率直に描き出し、明快な主題を掲げつつユーモアにも目配せの利いた『友情ある説得』のほうが、人間描写の深さと人のままならなさを描いて、功成り名を遂げた大御所の作品とは思えぬ地味で野心的な映画造りをしていた『L・B・ジョーンズの解放』をわずかに上回った。僕は、やや冗漫さを感じもした二時間越えの『友情ある説得』よりも、無駄なシーンが一場面もなく102分の緊密な作品に仕上げていた『L・B・ジョーンズの解放』のほうを断然支持したのだが、『友情ある説得』もなかなかの作品だとは思う。両作とも初めて観たのだが、改めてワイラー監督の偉大さを知ったように感じた。 ペットの鵞鳥を捕獲しようとした南軍兵士を箒で打ちのめして止めさせたイライザが咄嗟に暴力を振るってしまったことに恥じ入り、二人の子供にジェスには言わないよう頼む様子が可笑しく、ドロシー・マクガイアが素敵だった。煩悩塗れのジェスは元からのクエーカー教徒ではなくて、そんなイライザに惚れ込んでクエーカー教徒になったのではないかと言うと、僕とともに『L・B・ジョーンズの解放』のほうに軍配を挙げたメンバーから大いなる支持を得た。 興味深かったのは、牧師のメンバーから教えられたクエーカー教徒の話で、女性牧師どころかそもそも牧師など配しないのがクエーカー教徒の習わしとのこと。牧師が説教を垂れたりしないのがクエーカー教徒の信仰で、静かに祈りを捧げ、内なる神の光に向き合うのだそうだ。讃美歌どころか、聖書朗読すら重視されないらしい。 原題の直訳である『友情ある説得』の意味についても話題になり、「説得」に違和感を覚えるという意見が多かったが、原題の“Friendly”にはクエーカー教のことを示す意味合いがあると聞いて氷解した。ニュアンス的には「友情ある説得」というよりも「敵視しない説諭」なのだろう。イライザのハービー少佐や息子のジョシュに臨む態度と物言い、収奪に乗り込んできた南軍兵士たちに抵抗するどころか歓待で応えることによって暴力を排除しつつ言うべきことは怖じずに明言するという、決して弱腰ではない“平和主義”のことだったようだ。 タイトルの持つそういう意味合いからすれば、『L・B・ジョーンズの解放』のほうの“Liberation”には、ややシニカルな哀しみの色合いが宿っていたように思う。それにしても、一大ムーヴメントとなった公民権運動を経た直後の時代に、意見交換のなかで話題にも上った『グリーンブック』['18]のような差別主義者の改心や善導を描くのではなく、忸怩たる己が過去を内に秘めながら改心よりはむしろ大勢の側に与するようになった弁護士の姿を描きつつ、決して糾弾には向かわない“Friendly Persuasion”で臨んでいた『L・B・ジョーンズの解放』は、まさにイライザの精神を体現しているような作品だったのだなと、今回もまた絶妙のカップリングに唸らされた。 | |||||
| by ヤマ '26. 3.14. DVD観賞 '26. 3.15. DVD観賞 | |||||
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