『劇場版 風よ あらしよ』['23]
『華の乱』['88]
『時雨の記』['98]
演出 柳川強
監督 深作欣二
監督 澤井信一郎

 偶々なのかもしれないが、ふた月ほど前に反戦川柳人 鶴彬の獄死を読んだばかりのところに半世紀ぶりに死刑台のメロディ』['71]を観たこともあって、最初に観た『劇場版 風よ あらしよ』では、花も嵐も踏み越えて生き延びることなく、アナキストの大杉栄(永山瑛太)と共に三十路前にて甘粕憲兵大尉(音尾琢真)に殺害されたという伊藤野枝(吉高由里子)の生き様を観ながら、なんだかアナキスト絡みの作品が続いているというか、今またアナキズムというものが関心を集め始めているのではないかという気がした。それくらい目先の権力“保守”にしか関心がないとしか思えないような政府に対する不信感が募ってきているということなのだろう。だから無政府主義という言葉に惹かれるわけだ。

 より核心的には、アナキズムそのものというよりも国家権力による弾圧への問題意識が喚起されてきているように感じる。正確には、本作で野枝が甘粕大尉に向けて連呼した“自分で考えることをしないで保身のために上の意向に尻尾を振って従う「犬」”のような官憲たちの存在とそれを許し、加担する勢力に対する問題意識なのだろう。そういう意味では、時宜に適った作品だとも思う。五年前に観た菊とギロチンや昨年観たばかりの福田村事件を想起せずにいられない。

 女性たる自己認識と自己決定に対する強い問題意識を感じさせることの多い村山由佳による原作小説は例によって未読だけれど、映画化作品において言行不一致でだらしのない男たちとして造形されていた大杉栄や辻潤(稲垣吾郎)が原作小説でどのように描出されているのか興味深い。大杉の妻(山田真歩)が吐き捨てていたただのスケベよと大杉による自由恋愛は男の側からの性的搾取だったとの反省の弁は原作小説にもきっとあるものに違いない。そういうなかで最初は大杉に加担して積極的に野枝を交えた恋愛関係に誘っていた神近市子(美波)にあったのが野枝に対するマウントへの自信でしかなかったことの馬脚の現われる場面が印象深い。

 自由恋愛もアナキズムと同様に、理念的には美しくも体現できる人間は滅多にいないとしたものなのだろう。大杉栄も伊藤野枝も若気による勢いに乗って果敢な挑戦を行ないつつ、体現には至っていなかったなかで、主義者という点では、渡辺政太郎(石橋蓮司)の地に足の着いた社会運動家としての人物造形が目を惹いた。その名も知らなかった人物だが、いかなる足跡を残しているのだろう。

 それにしても、共産主義だろうが無政府主義だろうが民本主義だろうが、政府に異議申し立てする輩を一括りにして「主義者」とした当時の言葉の乱暴さと核心の露呈ぶりには恐れ入る。


 二日後に観た『華の乱』は、『劇場版 風よ あらしよ』を観てきたばかりということもあって観賞したのだが、伊藤野枝(石田えり)はオープニングで示された主要キャスト八人の四番目に挙げられていながら、八人のなかで最も出番が少なかったような気がする。

 公開当時のチラシの裏面には、この八人に島村抱月を加えた九人の肩書と役名が挙がっていて目を惹いた。曰く不世出の恋愛歌人―与謝野晶子、歌壇《明星》の巨人―与謝野寛、《明星》同人の薄幸歌人―山川登美子、情熱のアナキスト―大杉栄、女性社会運動家―伊藤野枝、近代演劇の巨星―島村抱月、激情のスター女優―松井須磨子、波乱の愛を辿る女―波多野秋子、愛と苦悩の作家―有島武郎。

 いずれも実在した人物だが、女性は揃って倫なき理無ない有夫恋ないしは妻子ある男への恋に耽って身を焦がした挙句に、晶子(吉永小百合)以外はみな若くして命が途絶えていた。官憲に殺された野枝と病に倒れた登美子(中田喜子)は自殺ではないが、スペイン風邪に倒れた抱月(蟹江敬三)の後を追った須磨子(松坂慶子)や、有島(松田優作)と首吊り心中をした秋子(池上季実子)は、自ら生を絶っていた。

 そのなかにあって、次々と十人を超える子を産み育てた晶子のパワフルさが圧巻だった。僕がその子沢山ぶりを知ったのは、二十六年前に観た劇団青年座公演による『MOTHER 君わらひたまふことなかれだったように思うが、有島との恋は知らずにいた。本作では四十路と思しき晶子の見た淫夢のなかだけに終っていたが、実のところは、どうだったのだろう。有島とは肩までしか覗かせない濡れ場だったが、鉄幹(緒形拳)との場面では、拳の掌が乳首には届かぬ加減で僅かに胸元を覗かせる乳房を抑え込んでいて、晶子の詠んだ歌乳房おさえ 神秘のとびら そとけりぬ ここなる花の くれないぞ濃きが映し出されていたように思う。だが、吉永小百合の演じた晶子が最も魅力的だったのはカメラを構えた有島の前で矢庭にしゃっくりに見舞われた場面だった気がする。四十路女性の見せる若々しさを湛えた可愛らしさを現出させて御見事だった。

 目を惹いたのは、書けなくなった自分を一新するために資産家の有島が、俱知安の狩太に保有する農場を共生農場として小作人たちの共同経営に付すべく移譲していた場面で、ビラ撒きとアジ演説ばかりの大杉栄などよりも余程に無政府主義の実践者として描き出されていたことだった。有島武郎の作品は、書棚に『或る女』『生れ出づる悩み 他三編』『惜しみなく愛は奪う 他一編』とありながら、いまだ一作も読んでいなかったので、俄然、興味が湧いてきた。


 それから三日ほどして今度は、吉永小百合が有夫恋に身を焦がす四十路の与謝野晶子ではなく、四十路になって妻子ある男への恋に耽る華道師範の堀川多江を演じる、ちょうど十年後の作『時雨の記』を観るという趣向を愉しんだ。めっぽう画面の綺麗な映画だと感じたのは、撮影が巧みなこともあろうが、鎌倉、京都という佇まいの美しい街を舞台にしていたからだろう。

 その佇まいの美しさに幻惑されて、画面に映る晩秋と重なる時期の人生の季節にある本作の“青春ならぬ白秋の恋”もまた美しきもののように感じられがちなのだろうが、観ながらこれは、多江に入れ込む壬生を演じたのが渡哲也であり、壬生が世界を股に掛けた大手建設会社の専務取締役にある男の一途さだから、その強引というよりも些か鼻持ちならぬ押し付けがましい恋を美しきものとして通用させているようにも感じられた。そのような恋愛劇を女性の側から提起している同名の原作小説を書いた中里恒子がいつの時代の作家で、何歳の時分の作品なのだろうと気に掛かり調べてみたら、明治四十二年生まれの女性が古希を前にして著わした作だった。

 先に観た『華の乱』も原作者は女性で、ノンフィクション作家の永畑道子が五十代に書いた二作品を基にしていたが、大正デモクラシーの時代を苛烈に生きた女性たちを描きつつも、永畑より三十年以上遅く生まれた村山由佳が、同じく五十代になって書いた『風よ あらしよ』の映画化作品に描かれていた女性像からすると、その自律性、主体性が随分と違う形で造形されていたように感じる。原作者の生まれ年の違い【中里1909、永畑1930、村山1964】によるものか、映画化作品の制作年の違い【時雨の記'98、華の乱'88、風よ あらしよ'22】によるのか一概には言えない気がするものの、最も新しい時代を舞台にした『時雨の記』が突出して古式ゆかしいのは、多分に原作者が明治生まれであることによる気がした。

 二十年前に葬儀の弔問客同士として出会って見初めて以来、忘れられないとの言葉で、再会を装ってか思い込んでか言い寄られ、美しい絵志野の徳利を一輪挿しにと贈られて心奪われた多江が壬生を泊めることに応じつつ約束して。さっきのようなことは絶対に駄目ですからねと念押ししたことを催促の言葉のように受け取っていいのか悪いのか測りつつ、隣の間に敷かれた夜具から声を掛け、先ずは眠れぬからと本を借りに行き、その按配を探りながら次には夜具を一つ間に強引に移動させて借りた本を開くといった手間暇をかけて運んでいく“大人の恋の作法”に思わず笑ってしまった。異人たちとの夏['88]での原田英雄(風間杜夫)の決して見ない、約束するを彼とは違って誰も守らなかったという藤野桂(名取裕子)の弁を想起したりした。

 原作小説は'77年の作品であって、昭和の終わりを告げる'88年を舞台にして、天皇崩御と程なくして逝ってしまった壬生と多江の僅か五ヶ月の恋を描くことはなかったはずのものを、'98年の平成の時代に十年遡って敢えて昭和を閉じた時点に時代設定を変えていたのも、映画の作り手たちが本作に喪われた古式を感じたからだろうと思わずにいられなかった。本作の映画化からさらに三十年近い時を経て、壬生を演じた渡哲也も壬生から後を託された親友を演じた林隆三も疾うに他界している今の時代には、美しく偲ばれるどころか顰蹙を買いかねない物語になっていて、壬生の妻(佐藤友美)が余りに蔑ろにされていると女性からの非難を呼びそうに思った。今世紀の映画市場のあまりに女性側に振れたマーケッティング状況を思うにつけ、前世紀は末になってもまだまだこういう映画が撮られ、女性もまた支持していたことを目の当たりにするような女性作家原作による作品があったのだなという感慨を覚えた。

 『華の乱』とのカップリングで観ると、同じく四十路を演じても十年若くてまさに四十路だった吉永小百合の好さが堪能できるように思うが、撮影に関しては、同じ木村大作ながらも、澤井作品らしく丁寧に撮られた画面の『時雨の記』のほうが綺麗だった気がする。同じ吉永小百合演じる四十路女の恋物語として、どちらの支持が高いのか訊いてみたくなるように思った。
by ヤマ

'24. 5.29. あたご劇場
'24. 6. 1. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画
'24. 6. 4. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画



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