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『反戦川柳人 鶴彬の獄死』を読んで | |||||
佐高信 著 <集英社新書>
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昨秋('23.10.28.)観賞した「松元ヒロ ソロライブ」で触発された書籍の二冊目を読んだ。 二十九歳で獄死した鶴彬の名には覚えがあって、若い時分に読んだ『佐高信の斬人斬書』によると思っていたのだが、ほぼ三十年ぶりに開いて目次を追ったら鶴彬(本名 喜多一二)の名前は無論のこと、本書に登場した人物では、最後に触れられた斎藤茂吉以外は誰も見当たらず、いささか驚いた。鶴彬の凄絶な生涯については、ざっくりとは知っていたから、本書を読んで興味深かったのは、鶴彬その人よりも彼に惹かれ認め、世に出そうとした人々のほうだった。とりわけ「一 鶴彬を後世に遺そうとした三人」の最初に言及された「1 一叩人こと命尾小太郎の執念」(P14~P33)が感慨深かった。なかなか強烈な<修身にない孝行で淫売婦><タマ除けを産めよ殖やせよ勲章やろう>もここ(P20)に収められていた。 目を惹いたのは、同じ「一」の「3 伝達者、坂本幸四郎」の段で「知る人ぞ知る鶴なのである」(P81)として対談集『戦争と日本人 テロリズムの子どもたち』のなかで東大教授の加藤陽子が鶴彬について語っている部分の引用だった。「私より先に鶴に言及したのである」(P79)との加藤教授の挙げた<玉の井に模範女工のなれの果><みな肺で死ぬる女工の募集札><都会から帰る女工と見れば痛む>とともに「「故郷の農村もひどいが、工場はもっとひどかった」という言葉が本当なのか、「工女さんたちは、貯金も出来たし、町に活動写真も観に行けた」というところを拾うのが正しいのか。それによって工女が本当に「哀史」だったのか否か、見方ががらりと変わりますでしょう。」(P81)という言葉を採録してあった。菅政権時代に学術会議の会員任命を拒否された歴史学者の面目躍如たるものを感じた。 また、真下飛泉の作った「戦友」の歌詞が、僕に覚えのなかった八番から十四番まで掲載(P116~P117)されていて感慨深かった。そして、作家の柳広司が描いているという「軍隊内での鶴彬」(P172~P174)を読みながら、先ごろ観たばかりの青年劇場公演『星をかすめる風』に描かれていた、日本の敗戦直前に獄死した詩人の尹東柱【ユン・ドンジュ】のことを想ったりした。 大逆事件で処刑された幸徳秋水は本県の出身者だが、そのことを知る以前の十代時分から何故か僕はアナキズムに共感があって、バクーニンもクロポトキンも読まないままに大学時分にそのことを表明すると驚かれたものだったが、僕の思うアナキズムは正に本書に記されている「無政府主義(アナキズム)は相互扶助を原理とし、ゆえに政府は要らないという思想」(P183)だった。 | |||||
by ヤマ '24. 4. 6. 集英社新書 | |||||
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