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『親愛なる同志たちへ』(Дорогие товарищи!)['20] | |||||
監督 アンドレイ・コンチャロフスキー
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'86年に観た『マリアの恋人』でその名を記憶したコンチャロフスキーの監督作を観るのは、三十五年ぶりになる。ソ連崩壊まで約三十年間隠蔽され続けていたという'62年6月のノボチェルカッスク事件による蜂起市民虐殺の銃撃を行なったのは軍ではなく、実はKGBだったというような作品がKGB出身のプーチン政権下でよくぞ製作されたものだと驚いたが、今の奢れるプーチンからすると、むしろ脅しが効く好都合のほうを観て取ったのかもしれないとさえ思える衝撃だった。物価高騰や給与カットを引き起こすフルシチョフ体制よりは、強権ではあってもスターリン時代のほうが遥かに良かったとする共産党市政委員会メンバーのリューダ(ユリア・ビソツカヤ)を主人公に置いていることが奏功したのかもしれない。 だが重要なのは、元革命の闘士と思しきリューダの父が四十年前の弟の死について、リューダの従妹の手紙を読みつつ回想していた場面のほうだ。古今東西、軍隊や秘密警察が守ろうとするのは国家権力であって国民などではない。更に言えば、卓抜したドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』が鮮烈に炙り出していたように、守るのは国家権力ですらなく「上からの命令」でしかないということだ。 されば、彼らに強権を与えれば与えるほど、危うさは増してくるわけで、最後に奇跡的に舞い戻った娘スヴェッカを抱き締めながら、明日はきっとよくなると、娘以上に自分に言い聞かせるようにして説くシングルマザーのリューダの姿に、四十年近く前に観たっきりの『風が吹くとき』を想起した。'86年の同作が'08年に続き、二度目のリバイバル上映がされているのも単なる偶然ではないような気がする。 少々気になったのは「軍にだって、いい人はいる」と言っていたKGBの“いい人”ヴィクトル(アンドレイ・グセフ)の存在だった。なにゆえリューダにそこまで肩入れするのか不可解で、オープニングで登場していたリューダの不倫相手は市政委員会の同僚(ウラジスラフ・コマロフ)ではなくて、ヴィクトルだったのかとの疑念が湧くほどだった。 | |||||
by ヤマ '24. 8.22. 美術館ホール | |||||
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