美術館夏の定期上映会 “MUな映画”

海底軍艦['63] 監督 本多猪四郎
『卑弥呼』['74] 監督 篠田正浩
『悪魔のシスター』['72]
 (Sisters
監督 ブライアン・デ・パルマ
『遊星からの物体X』['82]
 (The Thing
監督 ジョン・カーペンター

 初日に観た『卑弥呼』は、岩下志麻が卑弥呼を演じた篠田作品をスクリーンで観賞できると大いに楽しみにして足を運んだものだが、退色著しく残念至極だった。'70年代のプリミティヴィズム趣味とアヴァンギャルド趣味が融合した感じのある、あのころ映画なのだから、チラシに掲載されているような色彩が重要な作品なのに、まるで赤いモノクロ映画のようになってしまっていては美術館での上映作品として、相応しくない気がしてならなかった。

 美術館のホームページには※時間の経過により色褪せ等映像の状態が悪い箇所がありますので、あらかじめご了承ください。とあるもののチラシには記載がなく、そもそも「箇所」などという代物ではなくて全編通しての退色だったから、この赤いモノクロ色調が本作の篠田スタイルだと勘違いして観賞した者が少なからずいるような気がしてならない。今は亡き田辺浩三氏の小夏の映画会ではよく見られた出来事だが、好事家の個人的な自主上映会と公的機関、しかも美術館での上映となると話は自ずと違ってくる。この状態で上映するのなら、少なくとも上映前にアナウンスは入れるべきだ。でないと、作り手たちにも失礼千万な上映になってしまうと憤慨した。物語的なものが主軸を負っている作品ならまだしもなのだが、カンヌでパルムドールにもノミネートされたとの触れ込みを記載している本作のような作品なれば、尚のこと、そのあたりのフォローアップは必須だと思う。

 それはそれとして、姿の見えぬ男神とまぐわう巫女(岩下志麻)の神事で幕開けた本作において、妙に印象深かった“卑弥呼が機を織る労働に従事している姿”は、何だったのだろう。富岡多恵子との共同脚本によって込められていたものを感受できなかったことには、このような上映の仕方に対する僕の蟠りが作用していた気がしなくもない。神事から始まり、いくつもの古墳の空撮で終える本作を本来の色彩で観てみたいものだ。異母弟タケヒコ(草刈正雄)と交わった後に、悋気から入れ墨刑に処して美しい顔を台無しにして追放した卑弥呼が悔恨していた彼の入れ墨や、土方巽と暗黒舞踏派のパフォーマンスを本来の色彩で観直してみたいと思った。


 翌日観た『悪魔のシスター』は、同時期の作品ながらデジタルリマスター版での上映だったので申し分なかった。いわゆるシャム双生児を題材にした作品で、そのミステリアスなアイデンティティを描いて、実にスリリングに見せる秀作だったが、今どきなら、障碍者を描いて不穏当などというポリティカル・コレクトネスからの糾弾に晒されそうな気もしてくる作品だったように思う。何とも窮屈な時代になったものだと改めて思う。二十五歳の娘なら、仕事よりも大事なことがあると、女性記者グレース(ジェニファー・ソルト)が母親(メアリー・ダヴェンポート)から真顔で言われる時代の作品だ。

 オープニングの胎児画像で双子が提示されていたから、ダニエル(マーゴット・キダー)の太腿に残る大きく無惨な傷跡が結合分離手術によることの察しはついたものの、ドミニクの邪悪な自我とダニエルの善良な自我とに分かれる形でバランスを取っていたものが結合分離によって破綻し、ダニエルが自己崩壊を起こして精神を病むといった設定は、決して双生児一般に対して敷衍しているものではなかったように思うけれども、昨今だと問題視する向きが現われそうな気がしてならなかった。

 それにしても、ソファーの背凭れの裏地に丸く滲んでいた血痕と思しきものは、結局誰の目にも留まらなかったのだろうか。最後に現れた電信柱の上で仰け反った形で凭れる私立探偵の姿は、きっと死体に違いないと思ったら、しっかり双眼鏡で覗いていて、やられたと思った。覗きに始まり、覗きで終わる映画だったわけだ。

 残りのラインナップ海底軍艦『遊星からの物体X』については、既に観たことのある作品なので、今回の観賞は見送った。


公式サイト高知県立美術館

by ヤマ

'24. 8.24,25. 美術館ホール



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