『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』(The Holdovers)
監督 アレクサンダー・ペイン

 これはいつの時代なんだ?と思っていたら、『女王陛下の007』と来て、ベトナムで戦死した卒業生を葬送する式典が現われ、1970年が明示された。劇中に現れた小さな巨人の製作された年だ。僕が十二歳の時分、バートン校の卒業生たちのように、校風や伝統に対する自負を抱く卒業生を輩出する中高一貫教育の私学に入学した年とちょうど重なる。

 教師のハナム(ポール・ジアマッティ)にしても、生徒のアンガス(ドミニク・セッサ)にしても、いささか捻くれた人生のホールドオーバーズ【置いてけぼり】たちだったが、自己表出が少々不得手で偶々不運に見舞われれば、誰にだって訪れかねないものだという気がする。その二人を程よい距離感で見守る少々酒癖の悪い寄宿学校料理長のメアリー(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)の配置は効いていたが、彼女の妹を巡るエピソードや、ハナムをクリスマスパーティに誘ってくれるリディア(キャリー・プレストン)のエピソードは割愛して、120分を切る長さにしていれば、もっと引き締まった作品になるような気がした。

 だが、メアリーに気の利いた台詞でクリスマスプレゼントを渡す掃除夫のダニー(ナヒーム・ガルシア)の存在は味わい深く、とても効いていたように思う。喪失感に見舞われている失意にある人物を「置いてけぼり」感から救うのは、彼のような“きちんと見詰めてくれる人の存在”であることを巧みに提示していたような気がする。「置いてけぼりのホリディ」が訪れるまでは、ハナムの人生にもアンガスの人生にも、そのような人がいなかったということなのだろう。

 人にとっての最大の不運というのは、苦境に見舞われること以上に、苦境にあがいている格闘を温かい眼差しで見守ってくれる人を得られていない不運だと思う。ハナムとアンガスにおいてもそうだったように、その巡り合わせというものは、ほとんど運次第とでもいうように、決して互いが求め合ったり努めたりしたものではない点が、まさに人の生にありがちな偶事のように感じられた。だが、奇跡的にそういう巡り合わせを得ることになった際に、人にもたらされるものの温かな掛け替えのなさというものを描き出して、なかなかの作品だったように思う。

 アンガスにとって忘れられない恩師となり、その後の彼の人生を変えたと思しきハナム先生は、確かに失職したけれども、彼の人生にとっても失った職以上に得られたものの大きい格別の「置いてけぼりのホリディ」だったような気がする。きっかけは、手を焼いていたアンガスが処方されている薬が自分と同じもので、それを服用することで何とか心のバランスを保つ格闘というものに苦しんでいることにハナム先生が気づいたことだったように思う。まさにひょんなことからだ。

 ハナムのハーバード大学時代において、財力に物を言わせる不正によって割を喰らわされたときに、アンガスにとってのハナム先生との出会いのようなものがあれば、彼が経歴詐称教師ゆえの硬直さで以て厳格判定による富裕子弟の落第に執心したりすることはなかったに違いない。

 二十年前にサイドウェイを観た際には、どこか青春ジャック 止められるか、俺たちをで井上が零していたような“不合理な羨望”を覚え、これこそが人生の味わい深さのように描かれることに屈託を抱いたものだったが、今回はそのようなことなく観ることが出来て好かった。
by ヤマ

'24. 8. 9. キネマM



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