『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』
監督・脚本 井上淳一

 六年前にテアトル新宿で観た前作『止められるか、俺たちを』の舞台は'60年代で、僕がまだ年端もいかない子供の時代だったが、本作は、'82年に木全純治(東出昌大)が若松孝二(井浦新)から、'83年開館のシネマスコーレの支配人にスカウトされるところから始まる物語だったものだから、'85年に自主上映活動に携わることになった僕には、とりわけ懐かしいものがあった。作中で地元の東映支配人だったかが外タレも東京の次は京都・大阪で、それから広島・福岡と素通りしていくと自嘲していた名古屋には僕も殆ど行ったことがない。今はなき名古屋シネマテークのほうなら一度訪ねたことがあって、五年前に亡くなった平野支配人ともお話したことがあるけれども、シネマスコーレには、まだ一度も行ったことがないままだ。

 それでも前作よりいろいろな意味で近しく感じられるものが多いばかりか、若松監督や木全支配人を描く以上に、作品タイトルに相応しく、映画に青春をジャックされた若者たちを描きつつ、二人の先達に対する敬愛に満ちているように感じられた。おかげでなんだかなぞった拵え物感を強く感じたのは、直前に国立近代美術館で、松本俊夫の『つぶれかかった右眼のために』['68]やゼロ次元の加藤好弘による『いなばの白うさぎ』['70]を観てきたばかりだったことが作用しているのかもしれないが、作り手の想いが作品に結実していない気がしたとのメモを残している前作とは違って味わい深く琴線に響いてくるところが多々あったような気がする。本作同様に誰でも一作は傑作が書ける。自分のことを書けばという新藤兼人の言葉を引用していた祭りの準備を彷彿させるところのある作品だったように思う。

 すると、同作を熱烈に愛好している高校時分の映画部長からありゃ、そんな名作やったかえ!ソフト化を待とう❣️残念。💦とのコメントを貰った。浜村純、桂木梨江、原田芳雄、ハナ肇らが居並ぶ地場ものの『祭りの準備』には及ばないとは思うが、井浦新の演じる若松監督もかなりの破格キャラで、当地で言うところのバブレもんだったのは前作とも同じだ。僕よりも映画に青春ジャックされていた気のする映画部長が観ると、また一味違う感想が寄せられそうで、楽しみだ。また、エンドロールの間に井上淳一の幻の初監督作とも言える『燃えろ青春の一年』そのものを流していたものだから、めっぽう忙しかった。映画部長が観る機会を得た際には、再見してそこのところを確かめてみたいと思う。

 新藤兼人の引用について『祭りの準備』での言い回しを彼に照会したところ新藤さんゆう偉いシナリオライターが雑誌に書いちょった。誰でも一本は傑作が書けるって。そらぁ、自分の周囲の世界を書くことぢゃと。と楯男(江藤潤)が浜辺を歩きながら涼子(竹下景子)に話す場面の動画を切り取って送ってきてくれた。出典が雑誌になっているということは、脚本を書いた中島丈博の記憶にあって台詞にしたものなのだろう。中島よりちょうど三十歳若い井上淳一においては『祭りの準備』からの孫引きだったのではないかという気がする。

 それにしても、女性・才能欠如・在日の三重苦を浪人生の井上(杉田雷麟)に漏らしていた年上大学生の金本法子(芋生悠)との関りは実際のエピソードだったのだろうか。妹の指紋押捺拒否宣言に動揺する法子の姿の背景には戦後在日五〇年史[在日]の捉えていた'80年代の韓宗碩による指紋押捺拒否から展開された運動があり、福田村事件にも脚本参加していた井上が、昨今の東京都の対応などを念頭に敢えて盛り込んだもののような気がしてならなかった。そして、法子が在日であるとは知らずに井上の漏らした言葉が、高校の文芸部にいた時分に僕が思った覚えのあるものと同じであることを気恥ずかしく思い出したりした。若松プロを逃げ出した井上が耽るコタツ麻雀の光景もまた懐かしかった。
by ヤマ

'24. 8. 1. キネマM



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>