『ヴィレッジ』
監督・脚本 藤井道人

 エンドロールの終わった後に敢えて現れた映像が、恵一(作間龍斗)が霞門村を出ていく姿だったことに唖然とした。村に残っているのは廃棄物だけと言わんばかりの目線に、脚本も担った監督の出身地は都会に違いないと思って、帰宅後、確かめてみたら、東京都渋谷区生まれとあって得心した。

 確かに都市の産業廃棄物を山村に押し付ける構図は、何も原発や核処理施設だけの話ではなく、身近なゴミ処理の問題にも目が向けられるべきだが、本作は、それ以上にあんた、ゴミだなと片山優(横浜流星)が言う、村長の大橋修作(古田新太)父子の外道ぶりと、強者に唯々諾々と流される人々の浅はかなどうしようもなさを敢えて村として描き、カネに縛られ虐げられる人々や、烙印を押される人々を添えて、田舎に限らず日本社会そのものがそういう弱者に皺を寄せる「村」であることを訴えていたのだろう。

 都会でメンタルを病んで退社し、居場所を失って帰郷した美咲(黒木華)に東京にも何もなかったと言わせていることからしても、その意図は判らぬでもないが、そのうえで、恵一に村を棄てさせるというのは、たとえ絶望感の表出だとしても、少なくとも何処に向かうのかを示さないと頂けないように感じられた。蛇足の極みだと思う。

 藤井監督作品は、これまでオー!ファーザー新聞記者ヤクザと家族 The Family『余命10年』しか観ていないが、場面演出的に強度志向が次第に高くなることによって、作品的には段々と失速してきた感があるように思う。

 その作品世界からは、元々『オー!ファーザー』の日誌にこの軽妙さとあり得なさのなかにある実感溢れる味わいがたまらないと綴ったように、ある種、象徴的なもの、あり得なさのなかの実感といったものに惹かれるところが強そうな気がしている。本作での、山村の神社裏の山の高い頂に設置された巨大なゴミ処理場のようなイメージが端的に示している部分だ。唖然とさせたいようなところがあるのだろう。それは巨匠とされる映画作家に割と珍しくはない性向だと思うが、当然ながら、ただ唖然とさせるだけでは駄目で、そのうえで納得させてくれなくてはいけない。
by ヤマ

'23. 5. 7. TOHOシネマズ9



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