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『彼女の人生は間違いじゃない』['17] | |||||
監督 廣木隆一 | |||||
2011年の被災当時には、自分の仕事のうえでも強い影響を受けたものの、直截的な被災とは身近なところでは縁もなく、本作の舞台となった被災後五年の時点では既に、時事情報としてしか知ることのないものになっていたような気がする。もとより他者の人生について正解とか間違いとか評する物差しなど持ち合わせないし、そもそも人生というのは、そういう対象ではない気がするけれども、隅から隅まで「理不尽」に包まれているような物語を観ながら、登場人物たちの心情に対してはそれぞれに納得感があるように僕は感じた。被災当事者たちから観てのそれはどうだったのだろう。 ただ、描かれた事象そのものについては、除染すればいいことなのに、汚染されているから骨が移せないということによる空墓の公設共同墓地などということが実際にあるのだろうかとの疑念が湧いたり、福島や新潟からのウィークエンド出稼ぎデリヘル嬢などという存在が、特殊事例ではなく普通にあったりすることなのだろうかとの思いが湧いたりした。 本名みゆきで源氏名ユキというのはなさそうな気がしつつも、みゆきを演じた瀧内公美が、一年ほど前に観た『由宇子の天秤』同様に、抑制の効いた演技で豊かなニュアンスをよく伝えていたように思う。 東京から来た女子大生がスナックでバイトをしながら卒論ネタに被災についての聴き取りをすることに応じながら、悪酔いせずにはいられない屈託を抱えていた市役所広報課職員の新田(柄本時生)が、被災地に所縁のある女性カメラマン(蓮佛美沙子)が「大切な記憶」を留めるための写真を撮ることには、深くコミットする姿が描かれていた。 みゆきが「なかったことにはできない」と言っていたのは、自身のデリヘル嬢歴のことだったけれども、映画としては、そのことに留まらない意味合いを提示している台詞のように感じた。ただ、藪から棒の衝撃に「平気だよ」と言いながら臨戦態勢を失ってしまった元彼の山本健太(篠原篤)にとっては、ある意味で、理不尽とも思える不意打ちだったのではなかろうかという気がしなくもなく、もしその不意打ちにもかかわらず臨戦態勢を維持していたとしたら、果たしてみゆきは「ホテルに行って前のように出来たらまた付き合う」と言ったとおりに復縁したのだろうかとの思いがよぎらずにはいられなかった。もっとも、さればこそ「情けないよね、こんな形でしか自分の気持ち、確かめられないなんて」とみゆきは涙し、「ごめんね」と謝っていたのだろう。是非もないことだと思う。 この元彼の前で流した涙によるカタルシスが、単に彼との関係だけではなくて、もろもろに係る“自分の気持ち”をみゆきに確かめさせる効用をもたらしたように僕は感じた。そういう意味では、元彼の置き土産的功績とも言えるような気がする。みゆきにとって大きな意味を持つ存在だったスカウトマン兼ドライバーの三浦(高良健吾)がもう潮時だと言って“きゅんきゅんマーメイド”を辞めたことや父親の修がようやくトラクターに乗り始めることができるようになったことも加わって、デリヘル嬢を止める踏ん切りを得て、みゆきはユキでなくなることが出来たように思った。 だがそれは、手元にあるチラシの裏面に記された見出しの「帰る場所はなく 未来も見えない者たちに、光は届くのか?」というようなこととは、少し違うのではないかと感じた。 推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20170723 | |||||
by ヤマ '23. 2.26. GYAO!配信動画 | |||||
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