『セッション』(Whiplash)
監督 デミアン・チャゼル


 凡人には推し量ることも適わない“音楽の魔の領域”に足を踏み入れた者の熱情と狂気を描いた作品としては、三十年前のアマデウスのほうが優れているように思ったが、なかなかの迫力を見せる力作だった。

 本作でフィーチャーされていた二人のジャズの巨人のうち、チャーリー・“バード”・パーカーは僕が生まれる前に亡くなっているから叶いようがないが、バーナード・“バディ”・リッチのほうは、晩年の '81年6月に高知まで来た際に県民文化ホールで、彼の率いる「バディ・リッチ・ビッグ・オーケストラ」の演奏を聴いている。当時既に60代になっていたが、とてもパワフルな音を鳴り響かせていたような覚えがある。

 若き教え子のアンドリュー(マイルズ・テラー)が、シェイファー音楽学校を追われた怪物教師のフレッチャー(J・K・シモンズ)に対して一歩も引かずに「合図は俺が出す」と渾身のドラミングを見せた『キャラバン』での演奏に憤慨していたフレッチャーが次第に魅了され、共同作業としてパフォーミングを見せるようになったハイライトシーンに、恩讐を越えてモーツァルトの作曲する“レクイエム”を採譜していたサリエリを思い出した。このエンディングなら、タイトルは『Whiplash』ではなく『Caravan』のほうだろうと思った。

 確かに“Whiplash”には鞭打ちという意味があるらしいから、フレッチャーがアンドリューに対して見せていた苛烈なシゴキを暗示するタイトルにはなるわけだが、本作に宿っていた主題は、苛烈な指導それ自体ではなく、彼らが崇拝する偉大なジャズメンたる“バード”や“バディ”が、厳しい商業ビジネスでもあるジャズ界を歩みながら成し遂げた音楽的創造への執着にあるような気がした。だから、最後に『Caravan』という曲で五分に渡り合うことを認め合った二人が、まさに砂漠の旅の如く苛烈な“商業ビジネスを生き抜きつつ成し遂げる創造に向かって隊商を組んで歩み始める予感”を与えるエンディングになっていたことからすると、敢えて曲名をタイトルにするならば、僕は『Caravan』のほうが、より相応しいように感じたわけだ。

 思えば、フレッチャーのアンドリューに対する手の込んだ固執は、サリエリのモーツァルトに対する執着にも通じるような偏執に満ちていた気がする。もはや率直に“音楽への愛”と呼べるようなものではなく、むしろ「音楽に憑りつかれた恐ろしさ」だったように思う。彼ら四人に揃って顕著に見られる性向というのは、強烈な“独善性”だった気がしてならない。本作におけるニコル(メリッサ・ブノワ)の存在の重要性は、その点にある。アンドリューが彼女や家族に対して見せる傲岸不遜や独善性は、非常に重要な部分であり、『アマデウス』においても注視されていたものだ。

 音楽を愛する以上に、音楽を通じて歴史に名を残したい野望に囚われたアンドリュー、音楽を愛する以上に、自分が“シンバルを投げつける相手”を見出すことに執心したフレッチャー、なまじ並外れた音楽的才能があったがために見舞われたことのような気がするが、両者ともにシェイファー音楽学校を追われた後に、敢えてアンドリューが再会を求めたのは何故だったのだろう。また、フレッチャーが自らの楽団でのJVC音楽祭への参加をアンドリューに持ちかけたのは何故だったのだろう。

 フレッチャーが音楽学校を追われることになった告発というのは、おそらくはアンドリューの父親ジム(ポール・ライザー)が退学になった息子には言わずに後から密かに行ったものなのだろう。だが、フレッチャーは、それをアンドリューによる告発だと思い込んでいたようだ。とはいえ、それによって抱えた遺恨の腹いせとして、「大舞台での失態をスカウトマンたちは決して忘れないぞ」とプレッシャーをかけたうえでアンドリューに恥をかかせてとどめを刺すためだけに、自分の楽団という肉を切らせてまで骨を断つ執念を燃やすというのも、妙に腑に落ちないところがある。

 もしかすると、アンドリューという逃がした魚の大きさに気付きながらも流石にもう取り戻せないと思っていたフレッチャーが、飛んで火に入る夏の虫のような好機を得て彼を本気で取り戻すために放った最後の鞭だったのかもしれないと解すれば、本作のタイトルが『Whiplash』となるのも分からぬではないのだが、そうなると、最後の顛末の全てはフレッチャーの手のひらのうえでの話ということになり、実にスリリングさを欠いて著しく興趣を削ぐことになるような気がする。このあたりの座りの悪さが本作に対する大きな不満として残った。主演の二人の鬼気迫る熱演は、実に全く申し分のないものだったけれども。




推薦テクスト:「映画通信」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1941372891&owner_id=1095496
推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=3700229&id=1941906326
by ヤマ

'16. 1.31. あたご劇場



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>