『明け方の若者たち』
監督 松本花奈

 なにか虫の知らせのようなものを感じて観に行ったのだが、時代を超えて再生産される“ジェントルボーイと訳あり年上女性との青春ラブストーリー”も、令和の時代になるとこうなるのかと、些か衝撃的だった。なにせ思い掛けなく最後の逢瀬となった、格別の宿を取った贅沢な夜の特別なセックスに感じ入り、ベッドで余韻に酔いつつ一筋の涙を見せるのは、彼女(黒島結菜)ではなく、僕(北村匠海)なのだ。

 二人が2012年四月に就職内定を共に得たときに、院生だった彼女と四回生になったばかりの僕が、最終学年のみならずそれぞれの新社会人時代を蜜月として過ごす日々を、何とも面映ゆいような微苦笑が漏れてくるままに、けっこう気持ちよく観ていたところ、かつて観たこともないような気のする場面が現われて、すっかり驚いてしまった。

 二十年前に観た東京タワー['04]の岡田准一も、その二十年前に観た道頓堀川['82]の真田広之も、さらにその二十年前の映画になる乱れる['64]の加山雄三も、それぞれ訳あり年上女性との叶わぬ恋に身を焦がしはしたが、北村匠海が見せたような涙は流さなかった。本当に吃驚し、つくづく時代の様変わりを感じた。

 女優の撮り方も様変わりしていて、高峰秀子の涙目が心を打つ『乱れる』に裸身場面はないけれども、二十年後の『道頓堀川』には松坂慶子の眩いほどに美しい乳房と喘ぎが現われ、その二十年後の『東京タワー』になると、裸体のサービスカットは、黒木瞳ではなく専ら岡田准一に向けられることになる。そこから二十年経つと、黒島結菜も北村匠海も厚手のバスローブを身にまとったまま、ベッドを激しく揺らし、北村匠海がちらりと乳首を覗かせるだけで、岡田准一が見せたような裸身は見せない。

 映画のマーケットが男性優位から女性優位に変遷してきたなかでも、『東京タワー』から二十年経つと、こうなってくるわけかと女性監督による本作が思いのほか印象深く残った。だが、それ以上に、加山雄三-真田広之-岡田准一-北村匠海と六十年に渡って、ジェントルボーイのキャラクター造形自体には、ほとんどブレがないというか、違いがない気がするのに、女性のほうの変化のなんと大きなことかと改めて思いつつ、時代を映し出す映画というものは、やはり面白いものだとつくづく感じた。外国映画での『ノッティングヒルの恋人』ショックに見舞われたときの感じに近かったような気がする。

 それにしても、北村匠海をよく泣かせていたものだ。失恋から立ち直れない姿を見兼ねた同期入社の親友たちから強引に誘われた“初めてのフーゾク”での事後、デリヘル嬢のミカ(佐津川愛美)から問われるままに、去った彼女への想いを吐露して涙し、背を向けた頭を撫でられていた。

 原作小説は男性によるもののようだが、この二つの泣きの場面は原作にもあるのだろうか。また、2012年から始まった物語が、現時点どころか、2017年で仕舞となる構成にも驚いた。作劇の基本形というものがすっかり変わってきていることを随所で感じさせてくれる点で、妙に印象深い作品だったように思う。
by ヤマ

'22. 1.18. TOHOシネマズ2



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