『乱れる』['64]
『喜びも悲しみも幾歳月』['57]
監督 成瀬巳喜男
監督 木下恵介

 映友との合評会課題作として、東宝での成瀬監督によるモノクロ作品『乱れる』と、松竹での木下監督によるカラー作品の『喜びも悲しみも幾歳月』が挙がり、DVD観賞で再見した。

 先に観た『乱れる』は、十五年前の“成瀬巳喜男生誕100年記念 成瀬巳喜男映画祭”で観たときの日誌に、臈長けた女心の純情が醸し出す哀切という点で…とりわけ素晴らしくと記してある映画だ。

 十九歳で嫁いできたときに七歳だった義弟の幸司(加山雄三)から、自分が好きなのはルリ子(浜美枝)ではなくて義姉さんだと告げられて以来、そのことが頭から離れなくなったと洩らし、「私だって女よ」と繰り返していた礼子(高峰秀子)が、半年の結婚生活で二十二歳の夫を亡くして以来十八年間、孤閨を守ってきた日々を思うと、それをひっくり返すようなことを告げた幸司の熱情が酷に思えると同時に、女性は乱れてこそ美しくなっていくことを、まさに体現していた礼子の姿が心に残った。

 とりわけ乗り継ぎを重ねた列車の幾両目かで、歳離れた義弟の寝顔を見つめながら、瞳を潤ませていた礼子に、先ごろ幾度目かの再見をしたばかりのカサブランカでのイルザ(イングリッド・バーグマン)の潤んだ瞳を思い出し、かの作のイルザも大いに心乱していたことに思い当たった。

 その名のとおり礼節を重んじる礼子は、自ら義弟を途中下車に誘って銀山温泉に投宿しながらも、イルザと違い、義弟から迫られて怖気づき拒んでしまったことで抱えたものに、この後、どう向かっていくのだろう。十五年前に映友女性から1つ、ヤマさんを含め男性に是非聞いてみたい成瀬映画の是非の質問。『乱れる』のあの義理の姉(高峰秀子)の義弟(加山雄三)に対する態度はどう感じますか?とHPの掲示板(No.6383)で問われ、嫂の義弟に対する態度として、特に是非を思ったりはしませんでした。義弟が失意と忸怩の酒によって事故死(だと僕は思ってます)したことで負った彼女の心中を察するに気の毒でなりませんが、それにしたって、彼女の義弟に対する態度の非によって招いたことだとは思ってませんねぇ。と応えたことがあるので、幸司の死を事故とみているか、自死とみているかと併せて、合評会に集まる映友の面々に訊ねてみることにした。

 幸司の死を察知し、追いすがった駆け出しを止めた礼子の顔を大写しにしたラストカットでの高峰秀子の美しさには、格別のものがあったように思うが、僕は彼女が遺体を追うことを止めたのは、遺体ではなくまさしく彼の後を追うことにしたからではないかという気がしている。舟木一夫の歌う♪高校三年生♪が大流行した'63年当時、高峰秀子は三十九歳ということになるようだが、女性が年長の年の差婚がそう珍しくもなくなっている現今と違って、幸司に「生きてきた時代が違うのよ」と礼子が訴えていた苦衷が偲ばれた。

 十五年前に問い掛けてくれた映友女性は、加山と秀子の関係について、以前みた時は感じなかったのですが、今回は、この姉の本音は一体どうなのだろう?と考えました。夫が亡くなっても彼女がずっと長くいたこと、その長い年月の中で加山の気持ちも知っていたはずだと思いました。案外計算高い女性だったのだと感じています。 五十代の私から見ると優等生でありながら、どこか隠す心を持っている女性だと。まあ、時代が違うので、ヤマさんが書かれているように相続の権利など立場も今とは差がありますが・・何故、ずっといたのだろうと? 実家には帰れないからか・・それにしてもまだ若いのに。 もし、ヤマさんがあのようにずっと純愛を捧げてきた女性から泊まる意思を示され、その後拒否を受けたら姉に対してどう感じますか?との意見も寄せてくれた。

 それに対する僕の受け止めは、義弟の気持ちには気づいていたはずだということに関しては、僕も同感ながら、互いに節度は守るはずだと思っていて、まさか露わにしてくるとは思ってなくて驚いたに過ぎず、“案外計算高い女性だった”というふうには思っていなかったので、何を計算していたというのだろうかと不思議に感じたのだった。寡婦となっても婚家に留まり続けた理由についても、さしたる疑義は湧かず、亡き夫に替わって一家を支えることを務めと思い、面目ともしていたような気がしていた。それなのに、義弟以外がきちんとそれを認めてくれてなかったことにはかなり悔しい思いをしたろうとは思うが、聡明な彼女は、おそらく、自分は姑や義妹のためにしてきたのではなく、亡き夫のためにしてきたのだから、姑や義妹に汲んでもらえなくてもそれで無駄になることではないと思い直したはずだ。だが、スーパーマーケットへの転業計画が出てきたことから、もうこれ以上は必要ないとも思い始めた部分はあったような気がする。

 僕が幸司と同じ状況に置かれたらどう感じるかとの問いに対しては、さて、このようなことは、実際に直面してみないと何とも言えないのですが、僕の性分からすると、やっぱり幸司のように、落胆するんじゃないでしょうかね。怒り出したりはしないと思います。僕、怒るの苦手ですから(たは)。と回答していた。指に巻いた契りの紙縒りまで交わして促したのだから、礼子はその気だったに違いないのだが、「明日の朝まで」の期限付きを前提としていた礼子に対し、幸司は「なんならこの宿の下足番をしてもいいんだ」と一夜の思い出になぞする気のない一途さで向かってきたものだから、その重さに耐えかねて「堪忍して」となったのだろう。幸司の想いに応えて義弟と再婚し幸司がスーパーマーケットにした森田屋の重役に就いたりすることは、義妹たちのことを思うと、幸司の人生を台無しにするのみならず、婚家の再興に尽くしてきた自身の十八年間をも毀してしまうことになるから「堪忍して」と言うほかなくなったのだと思う。女性が年長の年の差婚がそう珍しくもなくなっている現今と半世紀以上前とではまるで違っているのだから、一回り年下の義弟との再婚となると尚更だ。礼子には、ルリ子のような恐らく何事につけ“進歩的な”女性の割り切った生き方ができようはずがない。

 ずっと揺れ動く汽車の車両のなかで、今まで過ごしたことのない長い時間をかけて幸司を見つめ自身を振り返るなかで、心揺れ乱れた挙句に固めた“一夜の契りならとの一大決心”を土壇場のところで、幸司と自分の人生を台無しにはできないとの想いで翻したことによって、命を失わせるほどの台無しにしてしまうとは思いもしていなかったであろう礼子が、遺体の指に巻かれた契りの紙縒りを見留めて駆け出し追ったのは、自分のしてしまったことの取り返しのつかなさに動転したからだろうし、幸司の死は、知らせてくれた人の言うような酔って崖で足を滑らせた事故死などではなく、自殺だと思ったからに違いない。なにせ礼子のいる実家を離れることになる転勤辞令が嫌で会社を辞めてしまった一途さを告白していた義弟なのだから、その死を前にして礼子がそう思うのは当然という外ない。さればこそ、あれだけ懸命に走って追いかけていた礼子の姿を映し出しながら、突然に足を止めさせて礼子の顔のクローズアップで終えたショットの意味しているものは、礼子の後追い心中だったのではないかという気がする。足を止めたのは、亡き骸を追う意味がなくなったからであり、それはもう亡き骸を追わずとも彼自身を追うことにしたからのように思えた。

 また、礼子に別の宿に泊まると伝える電話をしてきていた幸司からの他の女と一夜を過ごす契約をしたという話が嘘で、幸司が酔ってふらつく足で向かっていたのが別の宿のある温泉街ではなく山中であることを目撃していた観客においても、かの電話は嫂に最後の別れを告げる電話であって、幸司は自殺したのだろうと受け取るほうが自然に思える運びで描いていたような気がする。

 だが僕は、実際は自死ではなく事故死なのに、それを自死と受け取ることが無理もない状況だったゆえに礼子が後を追ったと解するほうが、人生のままならなさ、不条理、やるせなさが際立つし、ルリ子とのことを持ち出されてしまったからこそ告白してしまっていたけれども、気取られていようがいまいが、十八年間ずっと自分から露わにすることを抑え続けていた一方で、「あの日から私は元の私ではなくなった」と嫂に言わせてしまい、銀山温泉への投宿まで自分から申し出ることまでさせたことに対して「宿の下足番をしてでも」との覚悟を自らに課そうとしていた幸司が、嫂の「堪忍して」で自死を選ぶほどやわだとは思えない。満たされない想いを酒と博奕、発展家のルリ子の誘いに乗ることで紛らせたりはしても、彼が十八年間も抱き続けてきている嫂への一途な想いは相当に頑固なものであって、己が腕のなかでの「堪忍して」にぼこぼこに凹みはしても、それで揺らぎ絶望してしまうほど虚弱なものではなかった気がしてならないからだ。

 だから、合評会に集まる映友の面々に訊ねてみたのだが、今回、僕から問い掛けた映友たちの受け止めは、意外にも同世代男女三人とも揃って事故死との受け止めで、少々驚いた。普段から天邪鬼を自認していて、一般的には余り素直でないモノの観方をすると言われることの多い僕はともかく、せっかく成瀬が “幸司は自殺したのだろうと受け取るほうが自然に思える運びで描いていた部分”を三人ともが素直に汲んでないことが、なかなか興味深かった。

 他方で、礼子の後追い心中については、三人ともそのようには受け止めていなかったらしく、面白がってもらえたことが愉快だった。『喜びも悲しみも幾歳月』とのカップリングを提起してくれた映友など、両作のラストカットから“それでも生きていく”というフレーズを相通ずる作品イメージとして抱いていたとのことで、そう言えば、『喜びも悲しみも幾歳月』のなかにかの有名な主題歌とは別に♪花も嵐も踏み越えて~♪という歌声が現れる飲み会場面のようなものがあった気がする。僕が幸司を「自死を選ぶほどやわだとは思えない」と観たのと同じく、戦後のバラックづくりから森田屋を再興してきた礼子が自死を選ぶほどやわだとは思えないということなのだろう。亡き骸を追うのを止めたのは、“それでも生きていく”決意を表しているという観方もできるようには思う。

 ただ、幸司の死によって礼子が受けたダメージは、そのような彼女の靭さをも打ち砕くほどに強烈なものだったろうと僕は思った。まさに『カサブランカ』で、あのリックでさえも「女のことで世界に仕返しするの」と咎められるほどに女々しく情けない心持にさせてしまうような手ひどいダメージをイルザの失踪が与えていたように、あの礼子でさえも幸司の死が与えたダメージには耐えられなかったような気がした。しかも、それが誤認であることの残酷さのようなものが、人生には隣り合わせていたりもするのだろう。

 いずれにしても、非常によく練られた脚本【松山善三】だったような気がする。礼節の礼子のみならず、義弟の幸司にしても、礼子の幸を司る(鍵となる)幸司なのだろう。名高い汽車の場面だけではない。深酒で自失する幸司の酒癖の伏線になっていたスーパーマーケット清水屋の面々との喧嘩のエピソードであるとか、単に女性に対して初心で奥手な純情青年だったわけではないとするうえでのルリ子の配置、それでいて幸司を女たらしにはしないがためのルリ子の人物造形の妙も含め、本当によく練られていたように思う。


 翌日に観た『喜びも悲しみも幾歳月』では、半年間の結婚生活で寡婦となった礼子を『乱れる』で演じた高峰秀子が、昭和七年から昭和三十二年に至る戦前戦中戦後の四半世紀を灯台守の妻として生きたきよ子を演じ、昭和の母としてくぐり抜けてきた女性の靭さと喜びを体現していて、大いに感銘を受けた。それについては、十年前に観たときと同じだったわけだが、今回、灯台守の名もなき人々の人知れぬ苦労を丹念に描いている部分を再見して、改めて作り手が本作に込めている“灯台守たちへの敬意”に、心打たれる思いが湧いた。

 なかでも金華山、塩屋崎、尻矢崎、犬吠埼といった灯台での戦時殉職者の名をその灯台とともに映し出していた場面は、中盤での徴兵逃れに灯台守になるのかといった非難を浴びせる者たちがいた場面と呼応して、実に印象深かった。

 第一部では、新たな赴任先に向かうたびに、昭和八年の国際連盟脱退【石狩灯台】、昭和十二年の支那事変【女島灯台】から昭和十三年の国家総動員法、昭和十四年の第二次世界大戦の勃発までの時代が描かれ、有沢(佐田啓二)が佐渡の弾崎に赴任した太平洋戦争の始まる昭和十六年からが第二部となっていて、昭和十七年には一年のうちにシンガポール占領から本土初空襲への戦況反転のあったことが示され、昭和二十年の竹槍訓練や疎開【御前崎灯台】が描かれていた。

 大学進学ではなく、灯台守の仕事を継ごうと思うと言っていた光太郎(中村賀津雄)の意思が叶うことのなかった物語だったが、台詞にもあった“頭の出来る”人(大本営参謀)ではなく、“体と心の出来た”人(灯台守)の働きを顕彰したい作り手の思いが、昭和二十五年の第一回目の灯台記念日【安乗埼灯台】を前面に押し出していたのだろうと思った。

 還暦も過ぎた僕の歳になって観ると、銀婚の二十五年くらいであれほどに老けるかなとの思いも湧かずにいられない二人だったが、昭和八年に生まれた長女雪野の新婚旅行の船旅を見送る霧笛と汽笛がエール交換する場面は、改めて観てもやはりいい。現今の闇雲なまでの窮屈と無法なまでのルーズが実にバランスの悪い有体で横行している時代にあっては、あのように恣意的な霧笛と汽笛を鳴り響かせることなど、とてもできそうにないけれども、六十年前の日本なら粋な計らいとして、実際にも許容され得たように思えて仕方がなかった。

 今回『乱れる』とのカップリングで合評会課題作とした映友は、この場面の後に続く、また新たな赴任地の灯台を見上げながら、坂道を登って行く老夫婦の姿を捉えたラストカットを受けて“それでも生きていく”という人生の核心とも言うべきフレーズを着想したようだったが、それに倣えば、前回観賞時の日誌昭和30年代の映画だけのことはあると記したような部分や本作に描かれていた灯台守たちの生き方、そして、『乱れる』に描かれていた礼子が内在させていた倫理観のありように自分への御褒美などという妙に気色の悪い言葉のなかった時代というフレーズが湧いてきた。
by ヤマ

'21. 7.24. DVD観賞
'21. 7.25. DVD観賞



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