『クライ・マッチョ』(Cry Macho)
監督 クリント・イーストウッド

 何とも気の抜けた御都合主義で運ばれる緩々甘々な脚本に恐れ入った。だが、さらに畏れ入ったのは、そんな脚本を充分以上に見せる作り手の力量だった。まさしくBSプレミアム録画でこのところ僕が精出して観ている、往年のB級西部劇の味わい深さを現代に甦らせたような映画で、今から四十年前になる1980年を舞台にして何らの違和感のないロケーションやら家屋が、テキサスやメキシコという数多の西部劇に登場した聖地のごとく現れる作品だと思った。この時代設定とロケーション、配役を得られなければ、かなり御粗末な映画になったような気がする。

 オープニングのいかにもカントリーソングの色合いの濃い歌曲から、ラストの何ともメキシカンな曲調の音楽が心地好く響き、職ならぬ“技術と知恵”を手に蓄えているマイケル・マイロ(クリント・イーストウッド)の渋いかっこよさがしみじみと伝わってきた。身体を使って生きてきた人間は、やはり生きる力が強いと改めて思った。

 幾人もの孫のいるマルタ(ナタリア・トラヴェン)との恋愛エピソードや、かつてはロデオスターとして名を馳せて数々の優勝歴があることからすると、1980年におけるマイクの年齢設定は、六十代もしくはせいぜいで七十代としたものだから、御年九十歳のイーストウッドには、さすがに少々キツイ気もしたが、そのダンディな元マッチョぶりは流石だった。マルタとのダンスはともかく、あの歳で乗馬していたのだから、大したものだ。序盤で並走する馬の群れと車によって示されたように、馬を車に乗り換えた西部劇なのだから、外すわけにはいかないということなのかもしれない。先ごろ再見したばかりの蒲田行進曲のヤスの“階段落ち”ばりの映画人魂だと感心した。

 ところで、エンドクレジットに刻まれた「アランに捧げる」とのアランとは誰なのだろうと呟いていたら、ネットの映友が、一年前に亡くなったアラン・ロバート・マレーではないかと、海外サイトの訃報記事を教えてくれた。それによると、『アルカトラズからの脱出』['79]から『リチャード・ジュエル』['19]まで、イーストウッドと四十年以上にわたって、三十二本の映画に取り組んできたサウンドエディターで、アカデミー賞も二度受賞しているとのこと。二回り下の六十六歳で亡くなった盟友への献辞としての映画なら、タイミング的にも納得できるし、映画音楽を大事にしてきたイーストウッドなれば、きっと間違いないと思った。
by ヤマ

'22. 1.21. TOHOシネマズ2



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>