『大人は判ってくれない』(Les Quatre Cents Coups)['59]
『月の輝く夜に』(Moonstruck)['87]
監督・脚本 フランソワ・トリュフォー
監督 ノーマン・ジュイソン

 定例の合評会に参加できなくて観残していた二作品を続けて観た。『大人は判ってくれない』は愛の嵐と、『月の輝く夜に』は男と女とのカップリングだった。両作とも若い頃に観賞済みの再見作だが、先に観たのは映画日誌を残していなかった『大人は判ってくれない』だ。

 エッフェル塔の聳え立つパリの街並みをカメラが移動していくオープニングから始まり、涙の鑑別所送りとなったアントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオ)が脱走し、奔って走って走って波打ち際に辿り着き停まるラストで終える本作は、僕が運営委員に参画する前の高知映画鑑賞会の例会作品として、ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』との二本立てによって初めて観た'84年以来だから、三十八年ぶりだ。

 思慮もなければ、邪心もない妙に律儀な十四歳の少年の無軌道を活写して、実に瑞々しい秀作だと改めて思った。ドワネルが鑑別所送りになるのであれば、彼以上に非行を主導していた悪友ルネ(パトリック・オーフェー)のほうにお咎めがないのは、教室でピンナップガールの写真を皆で回覧していたのにドワネルだけが罰せられ、立たされた壁に不当なる罰に泣くドワネルとの一節から書き始めた詩のごとく、どう見たって不平等なわけだが、その違いがまさしく親の養育態度から来るものとして描かれているところがなかなか痛烈だった。手に負えないと漏らす義父(アルベール・レミー)と、こわい目に合わせてくれと言う生母(クレール・モーリエ)の意思が働かねば、鑑別所送致にはならなかったことが、明示されていたように思う。

 学校の教師にしても、母親にしても、警察にしても、鑑別所の教官にしても、揃いも揃って大人たちは、恰もエッフェル塔から見下ろすような上から目線の調教的態度でしか向かって来ない現実を前に、少年がどんどん思考停止から無軌道へと追いやられて行っているように感じた。映画館でルネが引き剥がし盗んで行っていたのは、ベルイマン監督のモニカ['53]のポスターだったように思うが、僕らが例会作品に取り上げて上映したときのタイトルと違って、公開時のタイトルは『不良少女モニカ』だったことに通じるものを感じた。不良とは何かということだ。

 そういう意味からも、劇中でアルキメデスの言葉として引用されていた「われ発見せり」が効いてくるラストショットのアントワーヌ・ドワネルの顔だったような気がする。


 翌日に観た『月の輝く夜に』は、三十四年前に観たっきりだった。メトロポリタン歌劇場でのオペラ公演『ラ・ボエーム』の広告文字をでかでかと描いた大きなトレーラートラックが街を横切るオープニングシーンの記憶があったのだが、再見すると、トラックに『ラ・ボエーム』の文字はなく、メトロポリタンオペラだけだった。ただし、その前の月夜に『ラ・ボエーム』のポスターを貼り出す場面があった。僕の脳内で勝手に繋げていたのだろう。  映画に対する感想は、三十四年前と変わるところがないけれども、若い時分よりもイタリア的大らかさを素直に楽しむことが出来たような気がする。余計なことは言わず混乱しとると頭を抱えて涙する祖父と困ったものねと受容する母ローズ(オリンピア・デュカキス)が好かった。さまざまに映し出される大きな月夜のショットが実に魅力的で、ロレッタ(シェール)の父コズモ・カストリーニ(ヴィンセント・ガーデニア)が可笑しかった。
by ヤマ

'22.11. 6,7. DVD観賞



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