『月の輝く夜に』(Moonstruck)
監督 ノーマン・ジュイソン


 ニューヨークを舞台としながらも、月とオペラへのオマージュということになれば、イタリア系移民を主人公にし、イタリア的な色彩を濃くしたのは、いかにもふさわしい設定だと言える。

 世の東西を問わず、古来、月には何か不思議な力があると考えられてきているが、それは、一定の周期でその姿を変えていく、あの神秘的な満ち欠けの営みによるのであろうか。この作品には、狼や遠吠え、水面、夜といったアナロジーも含めて、月によるイメージがふんだんに登場する。そのなかでも、女性というのは、最も月的なものとして存在するのである。そういうコンセプトに支えられて、原題『Moonstruck(月に撃たれて→頭の狂った)』に言うようなちょっと不自然な話が展開されるのだが、その語り口は軽妙で奇妙な味があり、おかしな話も「月のせいなんだ」と変に説得され、その説得力のなかに作り手の月への愛着が感じられる。また、オペラについては、月ほどに周到な仕掛けが施されているわけではないが、ニューヨークの街を写すのにN.Y.メトの舞台道具を運ぶトレーラーの動きに沿ってカメラを移動させたり、『ラ・ボエーム』のポスターを印象付けたりするオープニングを気に掛けていると、案の定、中盤に至ってオペラ好きの男が登場し、メトロポリタン歌劇場を舞台にした場面が現われて、『ラ・ボエーム』の一場面を見せてくれたりもする。そこには、やはり並々ならぬこだわりが感じられ、楽しくなるのである。

 そういった点では、機知や面白味に満ちた作品なのであるが、「男は、何故、(何歳になっても、新しい)女を追い求めるのか?」という問いに、「死を恐れるからだ。」などという気障で胡散臭い答えを女の側である当の妻に語らせたり、ラストでやけに大仰に家族主義を謳い上げているのを見ると、それが、イタリア的な伝統の下にあることは承知のうえで、尚且、最近のアメリカ映画に特徴的な一つの傾向を感じる。それは、一言でいうならば、新保守主義とでも呼べるようなもので、例えば家族の問題で言えば、家族への賛歌が家族愛の表現としてでなく、家族主義として描かれたりするところに表れている。ストレートに家族主義を訴えていたものではないが、新保守主義的な傾向が不快なほどに嫌味で顕著だった作品に、先頃公開されて、かなりの話題にもなった『危険な情事』(監督 エイドリアン・ライン)がある。あれほど排他的でどぎつく、危険なものではないにしても、この作品にも新保守主義的な傾向が窺え、余り後味が良くない。

 かつてアメリカ映画は、個人主義や自由主義のリーダーとして、家族や日常性の枠組のなかだけに埋没しては生きられない、人間の自己実現の欲求と峻厳な孤独を訴え、そこから一歩踏み出し、自由の獲得とセルフ・アチーヴメントを求める人間像を描いていた。愛とは、自己愛も家族愛も友情も性愛も総て含めて、そういう生のエネルギーの支えとなるものであり、孤独や苦悩は、その代償として、逃避することなく引き受けねばならぬ真実であったのである。しかし、現実の人生では、まやかしの自由と安直で身勝手な利己主義に流されてしまいやすい。かつての大いなる自由の賛歌から、それを求める人間の挫折や空虚な孤独さらには敗北感の表現に、アメリカ映画が変わっていった頃、人々もまた進みくる社会の管理化と機械化のなかで、それを求める希望と勇気を失ってきていたのである。そこに、新保守主義の台頭と浸透を許す隙が生まれる。かつて人間性の回復とより良き人生の獲得のために踏み出すべき枠組であったものが、今や、身を守り、最低限の人間性を保つ砦として意識されるようになるほどに、人々は疲れ果て、積極的に生きるエネルギーと勇気を失ってきている。家族や家庭は、そういう砦の原型であり、象徴でもある。しかし、家族愛の表現が外に向かって生きていく出発点の枠組として家族を捉えているのに対し、家族主義は家族という枠組の内側に人々を篭らせる方向に働きかける。そして、積極的で革新的な社会性を奪っていくのである。しかも、単に自己実現と自由の追求に挫折し、傷つき疲れ果てたということだけではなく、その頃、外界あるいは自己主張にばかり目を向けて、内面や相手の心情を軽視するという風潮が確かにあって、現在、それによる様々な手痛いしっぺ返しのなかで、そのことへの反省と悔恨を多くの人々が抱いており、ますます、そういう新保守主義的なものが受け入れられやすい状況にある。さればこそ、それに乗じたような作品は好ましくないし、昨今、そういった傾向の顕著な作品が数多く、しかも次第に露骨な形で輩出されてきている状況というのは、かなり危険であると言わねばならないという気がしている。




推薦テクスト:「眺めのいい部屋」より
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by ヤマ

'88. 4. 8. テアトル土電



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