『ハッチング -孵化-』(Pahanhautoja/Hatching)
監督 ハンナ・ベルイホルム

 ひと月前に同じ劇場で観たTITANE/チタンを思わせるような背骨がクローズアップされたショットから始まるオープニングに奇遇を感じつつ、少々不気味で気色の悪いホラー映画を観ながら、なかなか意味深長なところが随所にあって感心した。

 痛さでは、チタンのほうが勝っていた気がするが、痛々しさと怖さではこちらのほうが上回っているように感じる。『TITANE/チタン』のアレクシアのタフな強さと、本作のティンヤ(シーリ・ソラリンナ)のすぐに倒れる弱弱しさという印象の違いによるものが作用していると同時に、ティンヤの背骨のごとき屋台骨とも言える毒母(ソフィア・ヘイッキラ)の存在がバックボーンとして圧倒的だったからだろう。加えて、この毒母も、ある意味、哀れな存在として描いているように感じられるところがポイントで、そのあたりを女性たちがどのように観るか、非常に興味深く感じられた。娘としての、娘の母親としての、自身の経験の様相に左右される部分が相当に大きそうな気がする。

 ティンヤの痛ましさが何とも心地悪いのだが、この容赦なさからして作り手は女性に違いないと確信して、観終えた後に、劇場の表の掲示板に貼ってあるプレスシートで確認すると、やはりそうだった。しかも、長編デビュー作とのこと。道理で気合が入っているはずだ。

 それにしても、母娘関係というのは難しいというか、因果なものだと思う。ティンヤと母親の女性親子と、父親(ヤニ・ヴォラネン)とティンヤの弟という男性親子のキャラクターの対照ぶりがなかなか強烈で、ハンナ・ベルイホルム監督の心象が色濃く反映されているような気がした。また、いわゆる“意識高い系”的な厄介さというか、怖さが図らずも併せ出ているようにも思われる毒母の人物造形だった気がする。

 そして、ティンヤの再生とも、悪のジョーカーへの転生とも、見受けられるエンディングが大いに気になった。ホラー映画的には、後者のはずなのだが、必ずしもそうとは言えない味付けがされている気がしたからだ。そうしたら、ネットの映友から毒母に再起のきっかけが与えられたように思えたという意見を聞き、意表を突かれた。

 もちろんそうなれば素敵なのだが、ティンヤの転生したアッリと死闘を繰り広げることを想起したりしていた僕は、大いに驚いた。だが、ティンヤの吐血を注がれて整形再生したアッリというのは、思えば、元々割と素直な育ち方をしていた気がする。たまたまティンヤの負の部分を一手に感受したから、凶暴だっただけだと言えなくもない。

 ティンヤの母親が、妙な“素敵な毎日”やら、理想的“普通の家族”に囚われることなく、日々の暮らしに自然体で臨む再起を果たすことが出来れば、アッリ(シーリ・ソラリンナ)は、ティンヤの二の舞となることなく、凶暴にもならないのかもしれない。だが、あの毒母にそのような改心は、例え誤って娘を刺殺してしまった悔悟によっても困難で、むしろ自責から逃れようとする自己防衛に走りそうな気がする。だから、ティンヤの再生によって望み得るのは、毒母の魔手をバックボーンにしない生き方による新たな人生でしかないように僕は思った。





参照テクスト:ケイケイさん mixi日記での談義編集採録


推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
https://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/22100701/
推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1982148749&owner_id=1095496
by ヤマ

'22. 9.12. あたご劇場



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>