『TITANE/チタン』(Titane)
監督・脚本 ジュリア・デュクルノー

 先ごろの映友たちとの合評会で「なんじゃ、こりゃあ!」な映画として話題にしていた『太陽を盗んだ男』『竜馬暗殺』『ガントレット』などの次元ではない破格の作品だった。

 オープニングから呆気に取られていると、早々に四半世紀前に観たデヴィッド・クローネンバーグ監督・脚本の『クラッシュ』['96]を思わせる場面が現われ、そういうフェティッシュな映画なのかと思いきや、今度はシリアル・キラーものへと転じ、クライムホラーアクションになるのかと思ったのだが、そのうち、どうやらセクシャルアイデンティティとの格闘が根底にある作品のような気がしてきた。

 幼時に交通事故に見舞われたアレクシア(アガト・ルセル)の脳に埋め込まれたチタン金属が何を象徴しているのかについては、ピンとくるような具体的なものが特に示されていたようには思えなかったが、過剰なパッションと敵意の激しさの源泉のように描かれていた気がする。だが重要なのは、交通事故で手術を受ける前の少女時代のアレクシアにファナティックな性格付けをしている点だと思う。チタンは増幅させただけなのかもしれないというわけだ。

 そのうえで、アレクシアの攻撃性の矛先が、父親や言い寄って来る男たち、換言すれば、自分を支配しようとしてくる“男”たちに向かうばかりでなく、予期せぬ妊娠に見舞われると、自傷どころではない自己の肉体否定に駆られていた。それと同時に、痛めつけても流れることなく生育し、胎動まで始める生命の逞しさに詫びを入れたりもし始める。しかし、マッチョな消防夫の隊長ヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)の行方不明だった息子アドリアンとして生きようとしていたアレクシアが、己が拒否してきた女性性に立ち返り、ヴァンサンの手助けを得て出産に臨もうとも、容赦なく母体の命を奪い取る形でこの世に生を受けるという顚末になっていた。

 呆気に取られながら観ていても、片時も緊張感が緩むことのない強度の高い画面に目を奪われるとともに、監督・脚本を担ったジュリアの女性性に対する葛藤の凄まじさに恐れ入った。それにしても、ただ只管、ずっと痛そうな映画だった。

 そのようなことを思っていたら、還暦も過ぎた歳頃になって知り合った母校新聞部の先輩から、時計じかけのオレンジ['71]のような話かと問われた。全く想起していなかったのだけれども言われてみると、アレックス(マルコム・マクダウェル)の人物造形と重なるところがアレクシアにはあることに思い当たり、アレクシアという名の由来は『時計じかけのオレンジ』だったのかと得心した。アレックスが内在させていた暴力性と衝動性は、アレクシアにそっくり引き継がれていたような気がする。そして、主人公の人物造形や名前だけではなく、映画自体の運びの仕方も両作には、かなり似たようなところがあるように思えてきた。
by ヤマ

'22. 8. 1. あたご劇場



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