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『ハッチング -孵化-』をめぐって | |||||
「映画通信」:ケイケイさん ヤマ(管理人) | |||||
【ケイケイさん及びヤマ mixi日記】2022年9月13日 23:49~2022年12月11日 23:12
ヤマ(管理人) こんにちは、ケイケイさん、アップはまだしてませんが、映画日誌にしたので、こちらに伺いました。あれまぁ、「ママはやり直しの機会を与えられた」のだと感じたという丸山さん同様に、ケイケイさんも毒母に再起のきっかけが与えられたように思えたんですか!(驚) (ケイケイさん) 平林さんのお説教を拝読して、180度転換しました。それまでは、食うか食われるかの惨劇が始まる、絶望的なエンディングだと感じていました。だから、丸山さんは最初からそう思われたんだなぁと、感服していました。 ヤマ(管理人) 日誌には書いたんですが、ティンヤの転生したアッリと死闘を繰り広げることを想起したりしていたんですけどね、僕なんぞ(笑)。 (ケイケイさん) うん、私も全く同じでしたよ(笑)。ティンヤが死んで、娘の生まれ変わりのアッリがティンヤの代りに、両親と「戦う」と思いました。 ヤマ(管理人) でも、ティンヤの吐血を注がれて整形再生したアッリというのは、思えば、元々割と素直な育ち方をしていた気もします。たまたまティンヤの負の部分を一手に感受したから、凶暴だっただけだと言えなくもないですね。 (ケイケイさん) そうなんです。「マ・・・マ、、、」のたどたどしい発生は、ティンヤの死んだ今、ティンヤの善も闇も、アッリに受け継がれたのじゃないかな?と考え直したんです。そうすると、呆けたようなママの表情が、何だか微かに喜びを見出したように思えました。 ヤマ(管理人) ティンヤの母親が、妙な“素敵な毎日”やら理想的“普通の家族”に囚われることなく、日々の暮らしに自然体で臨む再起を果たすことが出来れば、アッリは、ティンヤの二の舞となることなく、凶暴にもならないのかもしれません。 (ケイケイさん) 上記のように思い始めると、全部全部善き方向に考えられますよね。きっと両親は、今までの「人工的な幸せ」の毎日を悔い改め、静かに平和を願い、再生していくと思いました。アッリがそのままティンヤの代りになると言うより、アッリを育てる事は出来ると思います。その過程で、亡きティンヤに心から詫びる気持ちが沸くと思うんですよ、両親とも。その時、ティンヤの魂も浄化されるんじゃないかなぁ。 ヤマ(管理人) 丸山さんから、意表を突かれる見解を伺ったものだから、ラストをどう御覧に?と訊ねようと思って参上しましたが、そうでしたか! 激変する前というのは、やっぱ一家とアッリの死闘だったんでしょうか(笑)。僕は、死闘ではなく、苦しい生を終えたティンヤの再生という「ティンヤのやり直し」のほうは想起しましたが、「ママのやり直し」には思いが及びませんでした。 (ケイケイさん) ティンヤの再生とは、アッリがティンヤとして生きるという事ですか? 私はそれは思わなかったなぁ。姉妹や双生児とは似て非なるものですが、ティンヤとアッリは、別人格だと思っていましたから。 ヤマさんの日誌には「あの毒母にそのような改心は、例え誤って娘を刺殺してしまった悔悟によっても困難で、むしろ自責から逃れようとする自己防衛に走りそうな気がする」と書いてありましたが、う~ん、なかなか手厳しい(笑)。母親の言葉というのは、滋養にも毒にもなるんです。毒を滋養と、子供に解釈させるしね。だから、子供から観た毒親からの解放は、親の死が手っ取り早いんです。 ヤマ(管理人) いやはや、どっちが手厳しいのやら(笑)。 (ケイケイさん) 実体験ですから(きっぱり)。母が普通に80過ぎまで生きていたら、確実に私の人生変わっていましたよ。勿論、悪い方(笑)。 このお母さん自身、まだ自分の親からの毒に解放されていないんですよ。 ヤマ(管理人) うん、そう思いますね。この手のって、わりと連鎖、ありそうですよね。負の連鎖。執着の愛というより僕的には、自己投影という気がしますが。自分の願望を娘に託すみたいな。 (ケイケイさん) うんうん、執着の根源がそこですね。なので執着の愛と書きました。うちの母もそうでしたよ。 親の生死だとわからないけど、子供の生死なら、どうだろう?と考える。このお母さんは、ネグレクトではなく、金銭的にも子供から搾取しているわけでもない。性的に子供を売るような事もない。ひとえに執着の愛であったわけですよ。なので、子供の死によって目が覚め、充分改悛の情は期待できると思います。自責という意味なら、逃避ではなく、アッリを慈しむほうに一票ですね。その期待を込めての、「マ・・・マ・・」だったと思います。 ヤマさんが、逃避してしまうと想起するのは、この母のどのような点ですか? ヤマ(管理人) 拙日誌に「あの毒母にそのような改心は、例え誤って娘を刺殺してしまった悔悟によっても困難で、むしろ自責から逃れようとする自己防衛に走りそう」と綴ってある部分のことですね。ケイケイさんの映画日記に「自分の不倫相手と抱き合っているところを娘に観られ、あろうことか、「ママには恋が必要なの。二人の秘密よ」とティンヤに告げます」と書いてあったような点なんよね~。過剰なまでの自己正当化によって自分を守ろうとする彼女の気質からして、娘の死に対して素直に自責に向かうようには思えなかったわけですよ。 (ケイケイさん) あー、そうご覧になったんや。私はね、あのお母さん、悪い事をしていると、全く思っていないと感じています。なので、正当化する必要がない(笑)。不道徳な自分がイケてると思っている、基本は幼稚な人だと感じました。 ヤマ(管理人) 傍目に「自己防衛」「正当化」に固執していると映る人の大半は、自分は悪くないと本気で思っているように見えるとしたもんじゃないですかね。 (ケイケイさん) はい、ここは仰ること、理解出来ます。 ヤマ(管理人) だから、「なので、正当化する必要がない」どころか、それこそ、まさに正当化そのもののように僕は感じるんだけど(あは)。本人はまさに正当だと思ってるからそう主張していることが、こちらには不当なことを正当と言い張っているから、正当化と感じる。正当化ってそういうものじゃありません? (ケイケイさん) うんうん、ネットのあちこちの討論も、そういった形式は多いですね。ヤマさんの感想、了解です。多分感じている内容は、平行線ではなく、融合はしていますかね? 私の母の場合はまた別のケースで、正当化ではなく、自分のしでかした事を他の人がすると、めちゃくちゃ叩きました。不倫しかり。近所で噂が立つと、あの人は母親として失格だと言い募るんです。その他にも、生きていれば八十後半なんですが、実は目と鼻を整形しているんです。なのに、近所に、整形ではなく眼瞼下垂の手術で二重になった人がいて、その人の事を五十過ぎてみっともないと、喚くほど言うんですよ。もう憎悪に近い。これは、しっかり記憶しているのに自分のしたことを封印する、仰るところの正当化だと思いますね。メンヘラって、奥が深いんですよ(笑)。 ヤマ(管理人) あの毒母に対して受け取っているものについては、我々において特に大きな乖離はなく、正当化という言葉についての語感の多少の違いのようなものですかね。 (ケイケイさん) そのようです。了解しました。 ヤマ(管理人) お母さんの例を引いてお書きの「正当化」についても似たようなところがあって、やはりお母さんは不当だとは思ってない気がします。自分の場合は「やむを得ない」だったり、「私は(特)別よ」ってな棚上げだったりしますね。 (ケイケイさん) 全く仰る通り。私は良いのよ、私はまた別。良くお解りで(笑)。それと、特徴的なのは、思い込みが激しいので、「なかった事」にしてしまうんです。酷い時は、真逆の事を言いますね。 ヤマ(管理人) 自身に対して自覚的でない人にはよく見受けられますね。呆れたことに、国会答弁でやってしまう首相などもいた気がします。 (ケイケイさん) ティンヤのお母さんは、劇中で「嘘」と思われる言葉はないので、人格障害はないかな? ヤマ(管理人) んで、そういう人には表面的に調子を合わせてくれる人はいても、ちゃんと向き合ってくれる友人はいないとしたものですよね。 (ケイケイさん) 本音が感じられないと、人間関係を育むのは難しいですね。適当に相手の望む会話をするのは、それは友達じゃないですから。 ヤマ(管理人) 追従やお愛想と、対話というのは、確実に違いますね。 (ケイケイさん) 秘密は誰かに話したくなるものですよね。それもウキウキするような秘密は。それを娘にするのは、このお母さん、インフルエンサーとしてファンはいても、本当の友人がいないからじゃないかな? ヤマさんが「過剰なまでの自己正当化によって自分を守ろうとする彼女の気質」と書いているように、確かに自分のイメージを防衛する事には、過剰なものがありましたね。承認欲求がとても強いのですよね。 ヤマ(管理人) ここ、重要ポイントですよね~。 (ケイケイさん) そういう意味では、自己正当化かな? 子供が毒親の死で解放されるように、親も子の死によって、その過剰さから解き放たれるのじゃないですかね? この子は自分の持ち駒じゃなくて、私の娘なんだと、目が覚めると思います。 ヤマ(管理人) 親はオープニングショットのイメージで強調されたバックボーン【背骨】たり得ますが、子供は親のバックボーンにはなり得ず、そういう解放における代替効果は得にくいような気が僕はするんだけど、せめてそうなれば、いいですね。 (ケイケイさん) ここはね、普通の親子関係ではない、という点がポイントかと。確かに子供は親のバックボーンではないけど、この親とて、とても子供のバックボーンではないと思います。 ヤマ(管理人) ここんとこは、かなり見解が違ってそうですね。ティンヤが懸命に母の要請に応えようとすることについての見解ということになりますが、僕は、オープニングショットのイメージからして、本作はティンヤの物語という以上に、ティンヤの背骨たる毒母を描いた作品だというふうに感じています。作り手が一番描きたかったのは、毒母なるものの存在だったように受け止めてますね。 (ケイケイさん) 私はテーマは毒母ではなく、「母と娘」を軸に、「家庭」「家族」だと思って観ていました。 私には父親も弟も、劇中雑に扱う事で、返って存在感が増したように感じたんです。 ヤマ(管理人) なるほどね。 (ケイケイさん) 対照的に、不倫男のほうは、ちょっと良い人風に描いていますが、人妻と深い関係になっている事態からして不道徳ですよね。なので、「家庭」から観ると、結局は、蚊帳の外の人なんだと表していると感じました。アッリが赤ちゃんを襲うのも、色んな解釈が出来そうだし。 ヤマ(管理人) 基本、ホラー映画なんですからねー(笑)。ただのホラー映画じゃないってことであって。 (ケイケイさん) ティンヤの母は、人に賞賛されることが生き甲斐でしょう? その核が、私はティンヤだったと思います。なので、ティンヤの「蘇り」=再生によって、母も解放され、再生されるかなぁと思いました。 男性の目から見て、あの事なかれ親父、どう見えました? 私はとっても狡い父親だと思います。 ヤマ(管理人) 上記の点から言えば、作り手の描きたいことの観点からは、刺身のつまのように見えましたね(笑)。あまり眼中にないというか。日誌に記した、対照は設えたかったと思いますが。だから、特に狡いと感じられるほどの存在感も受け取ってませんでしたねぇ。 (ケイケイさん) 父親として刺身のつまは、いけない事なんですよ、と表現しているように、私には感じたんですよねぇー。毒母から子供を救うのは、父親がすべきことですから。 ヤマ(管理人) それはそうですね。ただ作り手の製作意図における刺身のつまと、毒母家庭において彼女にとっての刺身のつまということとは意味が異なりますが、不倫男の存在が必要なのは、毒母にとっても刺身じゃないってことになりますよね。まぁ、SNSに上げるには必須アイテムというか、非常に重要な役割を担ってましたが(笑)。 -------二ヶ月余り経過して------- ヤマ(管理人) ケイケイさん、こんにちは。 報告とお礼に参上するのが少々遅くなりましたが、前回の拙サイトの更新でこちらの頁をいつもの直リンクに拝借しております。拙サイトの今回の更新でアップした邦画『母性』と対になるようなところの作品で、非常に興味深く観ました。女性は、まっこと難儀ですね(笑)。 (ケイケイさん) いつもありがとうございます。この手の映画は私の得意分野なので(笑)、選んでいただき嬉しいです。 ヤマ(管理人) うえにも書いたように、拙日誌には「ティンヤの転生したアッリと死闘を繰り広げることを想起した」僕からすれば、ティンヤとアッリが別人格であったとしても、ティンヤの母親が、妙な“素敵な毎日”やら、理想的“普通の家族”に囚われることなく、日々の暮らしに自然体で臨む再起を果たすことが出来れば、アッリ(シーリ・ソラリンナ)は、ティンヤの二の舞となることなく、凶暴にもならないのかもしれないけれども、あの毒母にそのような改心は、例え誤って娘を刺殺してしまった悔悟によっても困難で、むしろ自責から逃れようとする自己防衛に走りそうな気がしますね。 だから、ティンヤの再生によって望み得るのは、毒母の魔手をバックボーンにしない生き方による新たな人生でしかないように僕は思いました。 それはともかく、とても興味深い観賞文を読ませていただき、どうもありがとうございました。 (ケイケイさん) 人生相談でも、五十代六十代でも尚、実母との関係に悩んでいる投書がありますね。この年代は、「どんな親でも親は親。大事にしろ、尊敬しろ」と教えられてきたでしょう? 令和の価値観が多様化した今でも、この呪いの言葉に翻弄されているのかと、とても同情しますよ。母が早死にして解放された身としては(笑)。 「あの毒母に…改心は…困難で、むしろ自責から逃れようとする自己防衛に走りそうな気がします」とのことですが、そう言わずに、生温かくあのお母さんを見守ってあげて下さい(笑)。人は知って犯す罪より、知らずに犯す罪のほうが罪深いですよね。一度大罪を犯しているのですから、生まれ変わりとは行かずとも、それなりに変化がありますよ。そう思うほうが、毒母を持った娘たちは救われますから。 | |||||
編集採録 by ヤマ | |||||
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