『ブータン 山の教室』(Lunana A Yak In The Classroom)
監督・脚本 パオ・チョニン・ドルジ

 人がその人生に求めるものは、それこそ人さまざまで、何が正しいということはないとしたものだけれど、若い時分に味わい滋養を得た格別の体験として、無気力な若年教師だったウゲン(シェラップ・ドルジ)の得た経験に優るものはないだろうと、観終えてなかなか感慨深いものがあった。

 職を得て勤め始めたばかりの頃の僕自身にも覚えのあることだけれども、若輩の身で過分の敬意を払われ尊重されることで育まれる勤勉それ自体は、当人としては、期待に応えるためにもといった真面目さよりはむしろ、履かされた下駄の高さに少々身の置き所がなくて、取り敢えず何かといった手当たりに任せた思い付きくらいでしかないのだが、それがウケたりすると、思わぬ好循環が生まれる幸運が訪れるという感じのものだ。

 そのあたりの流れが、非常に納得感のある展開で美しく綴られ、とても気持ちのいい映画だった。そして、“教室にヤクのいるルナナ”の村長が歌う声の格別の味わい深さに心打たれた。ミチェン(ウゲン・ノルブ・へンドゥップ)の添えた「次に歌うのは、ヤクが村に帰ってきた時だと言っていました。」との台詞がまた利いていた。ウゲンが村長に「私の前世はヤク飼いかもしれないですね」と軽く口にしたときに、村長が「ヤク飼いではなくヤクだ」と言ったのは、そういうことだったのかと得心した。あのときウゲンは、人間ではなく動物のほうだと言われて少々怪訝な顔をしていたような気がするが、村長にとって、ヤクというのは神の使いのような神聖のシンボルなのだろう。深く心の籠った歌声だった。

 村一番の歌うたいセデュ(ケルドン・ハモ・グルン)が“宝”と名付けられたヤクを連れてきて、教室で飼うべきだと言っていたのも、また、本作の原題が「Lunana A Yak In The Classroom」になっているのも、そういうことのような気がした。なぜ教育が大事で、その教育において最も大切なものは何かということについて、作り手の思いが率直に表れているように思う。

 気の進まぬまま仕方なく着任した新任教師のウゲンの支えになっていた学級委員ペム・ザムは、実際に途轍もなく不便な辺境の村ルナナに生まれて暮らす少女だったようだが、あの村長は、どうだったのだろう。そして、村長のあの歌声は、彼自身のものだったのだろうか。

 ウゲンが過ごした数カ月よりは長かった、僕の障碍児施設職員としての日々は、子どもたちに僕が提供できたこと以上のものを僕に与えてくれたという思いは、今に至るまでついぞ変わらないまま強く残っている。けれども、僕が施設職員の現場に自分から帰っていくことはなかったように、ウゲンが念願の異国のライヴカフェで想いを致してかの唄を歌い出すことが直ちに、彼のルナナ村への帰還を示唆しているものではないように感じた。日々の暮らしのなかでの手応えや充実感は、彼自身のなかでも、ルナナ村にいるときのほうが間違いなく上回っているのだろうと思いつつ、とても納得感のある、絶妙のエンディングに感心した。村に残ったり、村に帰っていく場面を映し出したりしないところがいい。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
https://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/21092701/
by ヤマ

'21. 9.19. あたご劇場



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