美術館 夏の定期上映会
“怪奇!幻想!恐怖! 真夏のホラー映画大会”

Aプログラム
『怪談雪女郎』['68] 監督 田中徳三
『悪魔のいけにえ』
 (The Texas Chain Saw Massacre)['74]
監督 トビー・フーパー
Bプログラム
『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』['70] 監督 山本迪夫
『ウィッカーマン final cut』
 (The Wicker Man)['13]
監督 ロビン・ハーディ

 コロナ禍で行くのを控えていた県立美術館の定期上映会に一年ぶりに足を運んだのは、二十二年前に観たウィッカーマン['73]が、昨年公開されて話題になったミッドサマーのおかげで、'74年公開版より6分長いという『ウィッカーマン final cut』['13]の日本公開がされ、それが一年遅れで当地でも上映されたからだった。

 今回の上映会チラシでは、なぜか『ウィッカーマン final cut』を1973年と表記しているのだが、実際は2013年作品のようだ。もう二十年以上前に観た映画の追加された6分がどこなのかは、いま観ても見当もつかないところだが、'13年ではなく、いま観ることで、己が名前が呼称になっている島の領主サマーアイル卿(クリストファー・リー)が死と再生の日だという五月祭を統率することで領主たる権力・権威の誇示を図っている姿が、当節の東京五輪に重なって見えてきて、祭と生贄を欲しがる権力者の習性に古今東西の違いはないと改めて思った。

 そういうものが求心力になってしまう被支配者層の習性というのもまた普遍的なもののようで、その不変の原理の下においては、それこそ二十二年前に記した人間とは、それが一つの世界観として受容されれば、いかようにもあれる可塑性に満ちた存在であることに今なお違いはなく、ただ教化されている物差しが文化的差異によって隔たりがあることによってのみ、ニール・ハウイー警部(エドワード・ウッドワード)が「20世紀に起きたこととは思えない」などと言っていたが、五十年前のこの台詞に、十日ほど前の地元紙で観たインドネシア軍 入隊時の「処女検査」廃止の記事を読んで呆気に取られたことを思い出した。どういう検査をすれば、その判定ができるというのだろうとの素朴な疑問もさることながら、今まで廃止されずに続いていたことに、いくらイスラム文化圏にあるとはいえ、アセアン諸国の一角でと些か驚いた。

 ともあれ、いつの時代にあっても宗教的統治者であれ、政治的統治者であれ、規律戒律を必要とするものであるからこそ、敬虔なキリスト者であるハウイー警部は、己が戒律に縛られて、ウィッカーマンならぬ“グリーンマン・イン”の娘ウィロー(ブリット・エクランド)からあられもない性的誘惑に晒され、己が本性に抗い脂汗を流しながら煩悶する羽目になるわけだ。


 午後に観た『悪魔のいけにえ』は、'73年4月のキリストの復活祭で始まった『ウィッカーマン』の四か月後、'73年8月にアメリカの五人の若者男女が見舞われた惨劇を描いていた。宗教的教化や政治的教化が施されていなくても、途轍もない残酷を喜々として行うのが人間の一側面であるという怖さを描いていた本作を僕が観るのは初めてだったが、今回の特集上映チラシにホラー映画史上屈指の奇跡的な傑作。と記され、『ウィッカーマン』のカルト的人気をも超えた、ある種の権威として認知されているらしい本作をこれがかの『悪魔のいけにえ』かなどと思いながら観た僕には、『ウィッカーマン』ほどに響いてくるものがなかった。

 もともと僕がホラー映画をあまり好んでいないということもあろうかと思うけれども、かのレザー・フェイスも、こんなものかという感じだった。ただサリー(マリリン・バーンズ)の見開いた緑の瞳の接写カットは強烈だった。ストーリーとか運びよりも、殺人鬼一家の舞台美術が目を惹いたのではないかと思った。

 そして、改めて映画というものは、やはり旬のものであって、よほど傑出した作品でないと、「これがかの」という形で観てしまうと、作品にとっても観賞者にとっても勿体ないことになるものだと思った。「これがかの」がなければ、それなりに驚きやインパクトが得られた可能性が高い作品のような気がしたからだ。


 日本映画の二作では、『怪談雪女郎』が大映作品らしい丹精が窺えて、東宝作品の『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』よりも観応えがあったように思う。古典的な大映作品とモダンな東宝作品という対照の妙がよく出ている作品選定だったような気がする。

 先に観た『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』は、映友によれば、最初に登場した佐川(中村敦夫)が主人公かと思わせておいて、佐川の妹(松尾嘉代)とその恋人(中尾彬)の二人に主演が移行するあたりがヒッチコックのサイコ['60]的な展開なのだそうだ。そして「血を吸う眼」「血を吸う薔薇」というシリーズ作品がその後、あるらしい。もっとも僕は、人形が血を吸わなかったので、眼も薔薇も吸わないのではないかという気がしている。

 佐川の婚約者 夕子を演じた小林夕岐子がなかなか綺麗で、現世への執着も無理からぬ風情だった。戦後四半世紀くらいだと、まだまだ反戦とか戦争の禍根といった切り口が健在であることが目を惹いたが、催眠術というのは、いくらなんでもという気がしなくもなかった。

 午後に観た『怪談雪女郎』では、血を吸わない吸血人形同様、タイトルとは裏腹に女郎でもなんでもない「雪女」を演じた藤村志保が、何と言っても嵌り役だったように思う。雪のごとき幽けさと白さを体現し、醒めた冷たさの内に秘めた熱情を演じて見事だった。代表作に足るのではないかという気がする。また、地頭の惣寿を演じた須賀不二男が役どころをきちんとおさえた安定感で作品を支えていて、観ていて実に気持ちのいい“定番の鑑”のような作品だと思った。


公式サイト高知県立美術館


by ヤマ

'21. 8.22. 美術館ホール



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