『フリー・ガイ』(Free Guy)[字幕版]
監督 ショーン・レヴィ

 コロナ禍で昨年の5/21公開が8/14に延期され、その後、年越し後の1/8公開も見送られ、一年以上遅れた8/13にようやく公開された作品だが、思った以上に面白くて驚いた。

 ゲームの世界を題材にしたエンターテインメントとしては、三年前に観たスピルバーグのレディ・プレイヤー1もなかなか面白かったが、本作には、それ以上にアクチュアルなメッセージが込められていることが感じられ、なによりもモロトフ・ガールを演じた薄いグラサン姿のジョディ・カマーに魅力があって気に入った。かのマトリックス』シリーズのトリニティを彷彿させるアクションもさることながら、併せてかすかに笑窪を覗かせる風情に魅せられたように思う。

 また、作中でゲーマーたちから「真のヒーローは警備員だな」と称えられていたバディ(リル・レル・ハウリー)が、煩悶する B.S.G.【ブルー・シャツ・ガイ】ことガイ(ライアン・レイノルズ)に対して、事の真偽が問題なのではなく、今、自身の感じている実感こそが大事なのだと、ガイを迷いから救い出していたが、その言葉には、確かに力があったように思う。その名が示すとおりの相棒【バディ】と好漢【ガイ】の関係がなかなかよくて、キーワードが僕の食傷している「守る」ではなく「救う」だったのが、とても気持ちよかった。

 かの『レディ・プレイヤー1』にも数々の映画作品を想起させられたが、本作で僕の想い当たったものは、数では及ばないものの、『キャプテン・アメリカ』にしても『ハルク』にしても『スターウォーズ』にしても、その使われ方が痛快で、ゲームのマリオを含め思わず頬が緩んだし、モロトフ・ガールとガイを繋ぐキーアイテムが、ブツではなくて観る者の予測を裏切らない王道ぶりが好もしく、凝った造りの映画なのに些かも小賢しさを感じさせない爽快感があったように思う。プログラムに支配されない“フリー”だとか、翳りのない善良な“ガイ”といった、真っ当な価値が前面に押し出されているところが、ダーク・ヒーローが通り相場の当節にあって、今さらながらも、とてもいい。

 ルーティーンの繰り返しに埋没しない踏み出しの契機となる“理想の女性の存在”を内心に抱くこと自体は、ルーティーンの積み重ねのなかで蓄積される形のプログラムによるものだったとしても、その実感に偽りがなければ、それは当人における真実に他ならないと僕も思う。ミリー(ジョディ・カマー)がキーズ(ジョー・キーリー)のそれに気づくのは、キーズの友人マウサー(ウトカルシュ・アンブドゥカル)の指摘どおり、確かに少々遅かったけれども、プログラムされたものではなかったはずだ。

 その一方で、ミリーの気づきは、彼女自身が開発したプログラムによるAI型キャラクターであるガイとのモロトフ・ガールによるVRを通じてもたらされていたように感じられるところがミソだったように思う。リアルかヴァーチャルかよりも大事なのは、それが実感かどうかということであり、それこそがまさに、バディがガイに与えたブレイクスルーの核心だった気がする。

 そして、本作でカプチーノも作ってみたいと言い出したモブキャラのカフェ店員のように、リアル社会でも、ゲームのモブキャラとみなされている人々がルーティーンの繰り返しに終始する思考停止から抜け出て、思考停止のトレンドに乗るのではなく自身の実感に根差した選択行動を取るようになれば、世界は今からでも変わり得るのだと訴えているところに感じ入るものがあった。

 ミリーとキーズの開発したプログラムを掠め取って大儲けをした挙句に、飽くなき金儲けに強迫されていたように見えるアントワン(タイカ・ワイティティ)について、竹中平蔵を思い切り下品にしたようなキャラクターだと言っていた映友が、本作を優しい「革命」の物語だと指摘していたが、まさしく「アイスクリーム革命万歳!」と言いたくなるようなハイライトシーンが素敵だった。もっとも、アントワンがミリーの申し出の意味を全く理解できなかったように、ホントに世の人々をモブキャラのように思っているとしか考えられないような竹中平蔵氏に対しては、とうてい本作の面白さは伝わりそうにない気がするし、その下品さ厚顔ぶりでは、アントワンなど遥かに凌いでいるように僕は思う。
by ヤマ

'21. 8.26. TOHOシネマズ3



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