『声優夫婦の甘くない生活』(Golden Voice)['19]
監督 エフゲニー・ルーマン

 予告編を観たときに、本編の世界で一番しあわせな食堂同様に、北欧映画だとばかり思っていたから、イスラエル映画と判って驚いてしまった。

 人気声優だった夫婦が住み慣れたソ連を離れることは、リストラされたからといって生易しいことではないはずで、それまで出国不能だったイスラエルを積年の憧れの地としていた夫のヴィクトル(ヴラディミール・フリードマン)はともかく、ラヤ(マリア・ベルキン)は夫と違って、元々気が進んでなかったのではなかろうかという気がして仕方がなかった。

 なかなか職の得られないヴィクトルが引き摺り込まれていた映画泥棒稼業において盗撮に使用されるのがビデオという時代で、テレフォンセックスが風俗営業として成立していた三十年前のイスラエルを舞台にした映画を観ながら、僕の住んでいる高知では興行でもオフシアターでも上映されなかったように思うフェリーニの遺作『ボイス・オブ・ムーン』['90]は、宿題のままになっていることを思い出した。

 本作に登場した他の作品、これぞ映画のなかの映画として現れたように思われる『ローマの休日』、ヴィクトルが舞台役者のオーディションで台詞を使う『波止場』、彼が声優としての丁寧な仕事ぶりを自負とともに語る『クレイマー・クレイマー』、彼の吹替えの見事さゆえに傑作だと思っていたなどと褒められていた『スパルタカス』、妻ラヤとの思い出の映画『カビリヤの夜』81/2、いずれも何らかの形では観ているだけに、余計に『ボイス・オブ・ムーン』を観てみたくなった。本作の邦題は、いかにもフェリーニの甘い生活を意識して付けられていそうだが、本作をよく表していて、英題よりも出来のいいタイトルのような気がした。

 七色の声を操り、還暦を過ぎていても声なら40歳ものサバを読むことのできるラヤを、どの声を使ったところで瞬時に察知できるヴィクトルというところが、じんわり効いていたように思う。ラヤが『ボイス・オブ・ムーン』を観に来ていた場面がなかなかよかった。

 舞台となった1990年は湾岸戦争の年だが、フセインはイスラエルにもミサイル攻撃をしていたのかと驚いた。滅多に観る機会のない国の映画を観ると、触発されることがたくさんあって愉しい。それにしても、闇映画とかテレクラとか、あれほどにロシア語市場ができるくらいイスラエルへの移住があったのだろうか。また、日本でも三十年ほど前は夥しい数のチラシやステッカーを見掛けていたテレフォンクラブなるものは、今どうなっているのだろう。広告ステッカーやポケットティッシュの配布にさっぱり出くわさなくなって久しい気がする。
by ヤマ

'21. 7.14. あたご劇場



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>