『世界で一番しあわせな食堂』(Mestari Cheng)
監督 ミカ・カウリスマキ

 ミカ・カウリスマキの名はかねてより知りながらも、数々観てきた弟アキとは違って、その監督作品は初めて観たように思う。同じように太極拳も出てくるし、美味しく体にいいものを料理として提供することの値打ちと喜びを描いている点では、なんだか十四年前に観たかもめ食堂を思い出すような映画だった。そして『かもめ食堂』のようにスタイリッシュではなく、オーソドックスなドラマ仕立てであることが少々物足りなく感じられるとともに、それゆえに気持ち好く寛いで観られる作品だったように思う。

 薬食同源の薬膳と太極拳こそ、中国の生んだ健康思想の神髄だという気がする。原題の“名匠チェン”(だろうと思う)が料理を通じて引き起こす数々の出来事が、人々の身体の健康のみならず、埋められぬ喪失感を抱えていたチェン(チュー・バック・ホング)自身や田舎食堂の女主人シルカ(アンナ=マイヤ・トゥオッコ)の心の健康を育んでいくプロセスがなんとも心地好かった。

 近年めざましいスピードで展開している中国の世界進出が、中華料理の達人チェンのような形であれば、さぞかし好もしく、また有益かと思うと、それに足るだけの素材を持ちながら、躍進した経済力と技術力にものを言わせた、太極拳の優雅さとは懸け離れた“押しの強さ一辺倒”に感じられることが、残念でならない。

 ユニークで愉快なロンパイネン老爺(カリ・ヴァーナネン)が「義理堅い男だ」と感心するチェンのような中国人気質というのは、かつて学んだ漢詩・漢文や映画作品を通じて僕には昔から馴染みのある中国人像なのだが、今の中国ではどうなっているのだろう。まさしく日本人気質がそうであるように、強欲資本主義がこの半世紀のうちに世界中で破壊し損なってきたものの代償の大きさを思い知らされるような気がした。

 物事にはカネに換算してしまうとその価値が損なわれるように感じられるものがあるという感覚は、確かに僕のなかにもあって、モノや行為なら好意として受け取ることができても、カネは介在させたくない関係というものがある気がする。土地の名前すら正確に覚えていなかったチェンが見知らぬ土地でシルカから受けた親切がまさしくそれで、宿代相当分は払ってもそれ以上の対価をおそらくシルカが受け取ろうとはしなかったからこそ、チェンからの好意としての“働き”が“恩返し”という形で発揮されたのだろうし、さればこそ、チェンは“恩返し”の部分に対する報酬を頑なに拒んだような気がしてならない。

 それに対して「それなら代わりに、本気で貴方の尋ね人を探し出してみせるわ」と臨むシルカの向かい方がまたいい。カネで始末を付けないからこそ、関係性として発展していくわけだ。しかも経済においてカネが、循環することで付加価値や信用創造を生み出すように、好意もまた循環することで、経済用語での付加価値や信用創造とは異なるけれども、ある意味、似たような創造力を発揮するのだということを本作は、現出させていたように思う。強欲資本主義をグローバルスタンダードとして蔓延させてきた代償とは、まさしくこういうふうな“関係性の創造力”を損なうことだったという気がした。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
https://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/21061301/
by ヤマ

'21. 6.14. あたご劇場



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