『ボーダータウン 報道されない殺人者』(Bordertown)
監督 グレゴリー・ナヴァ


 北米自由貿易協定(NAFTA)を背景に新工場の集積が起こった米墨国境の町フアレスに、貧しいメキシコ先住民たちが集められ、日給5ドルという低賃金での長時間労働を強いられているなか、コンピューター組立工場での深夜労働後の帰途につく若い女性工員たちが次々と強姦殺人の犠牲者となっているのに、警察も政府もコストや圧力のかかる捜査よりも隠蔽のほうに向かったために、ますます被害者が増加したらしい。そんな状況につけこんだ犯人も一人や二人ではなさそうで、どうやら昔のアメリカでのクー・クラックス・クラン(KKK)による黒人リンチを彷彿させるような極貧層の先住民に対する差別意識が強姦殺人をゲームのように楽しむ連中を作り出しているようだ。公式に認められている被害者が数百人で、実際は5000人にも及ぶ女性が強姦され、殺され埋められているという話だった。

 事実をもとに着想されたフィクションとのことだが、あまりに桁外れで、どこまでが事実に近いのだろうかと訝しくさえ思えるほど、凄まじく酷い話だったが、作り手は、アムネスティ・インターナショナルから改善要請が出されているにもかかわらず、事件が矮小化され捜査も進展していない現実に憤って映画化したそうで、実際の出来事もこれとそう懸け離れたものではないらしいところが何とも恐ろしい。主演のジェニファー・ロペスも製作に肩入れしていて、若い女性を示す意味があるという白鳩を死骸にして自宅に投げ込まれるなどの嫌がらせを受けたそうだ。NAFTAに非難の矛先が向いてくると都合の悪い権力者や富裕層が少なからずいて、極貧の労働者層に犠牲が出ることよりも優先したい利益を重視していることが、桁外れの惨状を生み出した最大の原因だと作り手たちは訴えていたように思う。

 だが、もはや格差社会などというレベルを超えている。正負に因らず人間は獣と違って増長させていく欲望に際限がないがゆえに、弱肉強食が当然視される社会へと向かうと、とんでもない事態が発生してしまうと僕はかねがね思っているのだが、この惨状は余りと言えば余りだ。戦争も最低だが、戦争よりもさらに醜悪でゲンナリしてくる。最も恐ろしく思うとともにリアリティを感じたのが、これが古今東西で絶えることのない“貧困と差別をセットにした分断と搾取の構図”をあからさまにした社会システムを背景にして生まれた状況だったことだ。

 日本でも中高生たちがオヤジ狩りと称してホームレスの浮浪者を襲う事件が頻出したことがあって、死に至らしめる事例も出たが、フアレスで起こっていたことも、社会心理としての構造そのものは、それと大きくは違ってないような気がしてならなかった。かつての北米のKKK団による黒人リンチや日本の部落差別も然りで、そのフロントラインに立っているのは甘い汁を吸っている権力者や富裕層とは限らず、この作品でのバス運転手であったり、南部アメリカのプアホワイトであったり、日本の管理教育のなかで閉塞感に追い遣られていた普通の生徒たちだ。彼らがほとんど罪悪感もないどころか時に正当性を自認しつつ、憂さ晴らし的に暴力を振るっているところが遣り切れない。ストレスフルな戦時において兵士達が繰り返す残虐行為にも同質の社会心理が働いている気がするが、こういった心理こそが人間なる存在の最大の暗部の一つだと思う。

 映画のなかに「調査報道の時代は終わったのだ」という台詞があった。事件のリサーチをローレン(ジェニファー・ロペス)に命じたシカゴの新聞社の敏腕デスクで、彼女が尊敬していたジョージ(マーティン・シーン)の口から出てきたものだが、先ごろ読んだばかりの岩波新書『ジャーナリズムの可能性』(原寿雄著)で調査報道の重要性が強調されていたことをふと思い出した。日本のオヤジ狩りがその後、沈静化しているのか、この映画の邦題サブタイトルのように、報道されなくなっているだけなのか、よくは判らないが、調査報道の対象ではなくなっているらしいことは感じている。

 だが、事件が起こってからの報道よりも重要なのは、何よりも貧困を生み出さないことだ。しかし、ただ貧困を生み出さないといってもダメで方策が必要なのであって、それには、極一部の富裕層という社会効率の悪い階層を生み出さない仕組みづくりが一番だと僕は思っている。かつてGHQが社会実験として導入したシャウプ勧告による戦後日本の税制が、財閥解体と共に富裕層を弱体化させて格差社会の出現を未然に防ぎ、高度成長期の国民的求心力の集結を為し得た結果、奇跡とも称せられる経済復興を果たし、“一億総中流”と呼ばれる状況を作り出したのだと僕は思っている。だが、“ジャパン・アズ・No1”とさえアメリカから言われるに到るほどの経済大国化してくる過程で、アメリカからのバッシングを受けて妥協に妥協を重ね、遂には“グローバル・スタンダード”の名のもとに時のアメリカのネオコン政権の改革要請に追従し、規制緩和と構造改革による富裕層作りを公言し“トリクルダウン効果”などという庶民を馬鹿にした強弁を重ねる方向へと積極的に舵を切る変革を掲げた政権が登場したわけだが、そんな政権に絶対多数の支持を与えて先の見えない格差社会を出現させている日本なれば、フアレスの惨事は決して他人事とは言えない事件だという気がした。
by ヤマ

'09. 8.14. あたご劇場



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