『サムライ』(Le Samouraï)['67]
監督・脚本 ジャン=ピエール・メルヴィル

 クールでスタイリッシュでカッコイイ映画だった。半世紀前のアナログ時代のこの追跡劇のスリリングさは、街中に監視カメラが配され、ケータイなるものが普及している現在では有り得ない運びのような気がするから、こういう作品でないと楽しめない代物だと思った。それにしても、何と台詞の少なく映像の雄弁な作品であることか。

 なぜ女性ピアニスト(カティ・ロジェ)のクラブに警察が張り込んでいたのか、ふと疑問に思ったが、おそらくは、ジェフ・コステロ(アラン・ドロン)がこれで失業者だなと声を掛けていたヘタレ殺し屋の金髪男が、ジェフのねぐらを訪ねてきた警察に第二の標的のことを漏らしたのだろう。

 どうやら仕事として請け負った殺し以外は、決して殺しをしないジェフは、逆に請け負ったからには、報酬だけを受け取って“仕事”を投げ出すようなことは、“同様に己が美学に反するもの”として最後も対処したということなのだろう。遂に請け負ってはいない殺しをしてしまって、請け負った仕事のほうは素知らぬ顔で流して立ち去るわけにはいかないから、白い手袋を嵌め、己が仕事のルーティーンをなぞって見せていたような気がした。

 また、ジャーヌ・ラグランジュ(ナタリー・ドロン)のところを再び訪ねた理由が何だったのかを想うと、冒頭の虎にまつわる「武士道」の言葉との齟齬が生まれそうだが、孤独うんぬんよりも、頼んだアリバイ工作をぶれずに貫徹してくれたことに対する律儀だと解すると、これもまたジェフらしい美学だったと言えるのかもしれない。

 それにしても、警部(フランソワ・ペリエ)の見込み捜査の執拗さには、いささか恐れ入った。あのような男に目を付けられてしまったら、もし読み誤りの場合、溜まったものではないと呆れてしまった。有能な眼力といった部分を感じさせずに、無茶な強引さばかり目立っていたことが玉に瑕だったような気がする。

 僕は、本作のほかは、公開時に映画館で観た覚えのある『リスボン特急』['72]と映画日誌を綴っている海の沈黙['47]をスクリーン観賞して、『仁義』['70]をTV視聴で観たことがあるくらいなのだが、他の作品群も観てみたいと改めて思うようになった。




*追記('21.10.20.)
 いや全く、殺し屋ジェフのみならず、たぶん、でも直感よなどと言うラグランジュにしても、ジェフを執拗に追う警部にしても、揃いに揃って、“ジャングルに生きるトラ”も裸足で逃げるほどの「野生の勘」というか、己が直感に確信的な人物ばかりだ。
 前回は気に留めなかったけれども、盗難車のナンバープレートの付け替えと銃及び身分証の調達を生業としていた男が言っておくが、これが最後だとしっかり宣告していたのも彼らと同じ「勘」だよなぁと妙に可笑しかった。ジェフは金髪の殺し屋のように口を割ったりはしなかったが、彼と同様、既にこれで失業者だな状態に追い込まれていたということだ。
 金髪殺し屋との違いは、ジェフ自身にその自覚があったということだろう。空っぽの弾倉が意味していたのは、そういうことなのだろう。
by ヤマ

'20.12. 5. BSプレミアム録画



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