『大いなる西部』(The Big Country)['58]
監督 ウィリアム・ワイラー

 僕が生まれた年の作品だが、観るのは何十年ぶりだろう。十代の時分に観て以来だと思うが、これをスクリーン観賞できていないことが残念でならない。ソウル・バスによるタイトルデザインで始まる本作のジェローム・モロスの音楽を聴いているだけで、疾走する馬車馬と猛スピードで回転する車輪が押し流していった大西部の時代へと気持ちが誘われていく。地元の映友によれば、何度目かの午前十時の映画祭で当地でも観ることができていたらしい。なぜ逃してしまったのか、返す返すも残念に思った。そして、この歳になって観ると、息子バック(チャック・コナーズ)をとことん情けない男に育ててしまった慙愧に打ち震えていたかのような大地主ルーファス・ヘネシー(バール・アイヴス)が、主人公のジム・マッケイ(グレゴリー・ペック)より遥かに響いてきた。

 学校教師ジュリー(ジーン・シモンズ)の亡き祖父を“偉大なるマラゴン”と呼ぶ彼は、人々に自分を少佐と呼ばせるヘンリー・テリル(チャールズ・ビックフォード)を偽善者と痛罵し、テリルとは対照的な装いと住まいのうちに暮らしていた。一見したところ野卑に見えながら、豊かな教養を覗かせていたルーファスの滲ませていた品位に、改めて本作は、僕の好む“ディグニティ”についての映画だと思わずにいられなかった。テリルが捨て台詞のように掛けていた「度胸だけはあるな」というような輩では決してなかった。そして、物事の実相や、人の真実を感知するのに必要な“知性”というものを描いた作品でもあったことを、ジュリーとパトリシア(キャロル・ベイカー)の対照のなかに感じた。むかしのアメリカ映画には、人のあるべき姿、望ましき姿を描く良心というものがあったことに感慨を覚えた。ハリウッド映画も近頃は、専らダークで歪んだ世界が通り相場というものになってしまっている気がする。異色作としてなら大いにありだと思うが、それが通り相場になってしまっては、いささか遣り切れない。

 また、日本の諺である「能ある鷹は爪を隠す」を地で行くようなマッケイの美意識や、マッケイとの対決によって真の勇気に目覚めたリーチ(チャールトン・ヘストン)が恩ある少佐を諫めながらも独りでは行かせられない姿に込められた任侠道に、アメリカ映画を観ているような気のしないものを覚えたことも感慨深かった。僕の映画愛好の原点は西部劇だったのだけれども、こうしてワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェストジェロニモレッド・サン真昼の決闘といった調子で観始めると、なんだか次から次へと観直してみたくなってきた。

by ヤマ

'20.10.12. BSプレミアム録画



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