『空の青さを知る人よ』
監督 長井龍雪

 本作を観ると、大海よりも空の青さのほうを知る人になりたくなるような気がした。作中でも示された「井の中の蛙、大海を知らず、されど空の青さを知る」との後段を加えたのが誰かは知らないけれども、フレーズ自体には聞き覚えがあって実に意味深長で味わい深く、巧いことを言う人がいるものだと思っていたが、映画のタイトルにまでなるとは思い掛けなかった。

 「おい、しんの、どこに行くんだ!」「ガンダーラだよ!」との台詞を交わさせるためだけに登場した十三年前に卒業した高校の同窓生警察官だったわけだが、作り手の思惑どおり、その“ガンダーラ”というシンボリックな言葉がよく響いてきた。僕が二十歳の時分に空前の大ヒットをした♪ガンダーラ♪をベースで弾き始める少女の姿で始まった物語に相応しい感慨が湧いたのは、高校生のしんの【声:吉沢亮】がAOI【声:若山詩音】を抱えて、あかね【声:吉岡里帆】の元に飛んでいく姿が、実写映画では描けないアニメーションならではの表現として昂揚感と美しさを湛えて迫ってきて、千と千尋の神隠し['01]やPERFECT BLUE['98]を想起させてくれたからのような気がした。

 相生あかねを残して東京に出た金室慎之介【声:吉沢亮】の想いを象徴として具現化した“茜色のギターの精”ともいうべき しんのが、どうしても出られなかった御堂を相生あおい【声:若山詩音】の助力によって飛び出す場面も、なかなか素敵だった。これらは、表現としての象徴化であって、過日観た『HELLO WORLD』のような「SFもどきの、もうサイエンスフィクションとは言えない妄想系大風呂敷世界」とは全く異なるものだと僕の目には映ってきた。

 アニメ版心が叫びたがってるんだ。['15]がそうであったように、僕は、超平和バスターズと相性がいいのかもしれない。また、あかねとあおいの姓である“相生”が、とても重層的な意味合いを暗示しているような気がした。エンドロールで示された“松ヶ枝”としての慎之介とあかね以上に、同根のものとしての“しんのと慎之介”や“あかねとあおい”だったりもするように感じた。

 とりわけ“しんのと慎之介”の相生が味わい深く、人の変わりゆく部分と変わることのない核の部分との両方があってこそ人は成長するものであることを思うと、多くの友人知人から「変わらないなぁ」とばかり言われ続けてきた僕には、確かに大した成長はなく、“茜色のギターの精”もいなかったように思う。でも、おそらく本作で“空の青さを知る人”として登場しているに違いない相生あかねもまた、四~五歳の幼い妹と二人で遺され両親を失った高校生の時点で大きく変わって以後、おそらくは多くの友人知人から「あかねは、変わらないなぁ」と言われ続けてきている人物のような気がしてならなかった。だからと言って、僕が空の青さを知る人であることの保証が得られるものではないのだけれども。
by ヤマ

'19.10.29. TOHOシネマズ1


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