『フッド ザ・ビギニング』(Robin Hood)
監督 オットー・バサースト

 ロビン・フッドの映画は、ショーン・コネリーでもケビン・コスナーでも観ているし、うちに録画してあるトム&ジェリーの僕が生まれた年のアニメ『我こそ勇者』(Robin Hoodwinked)['58]をしょっちゅう孫から見せられているのだが、本作のとても斬新に感じられる潤色の手際と、今の時代に向けたメッセージの力強さに快哉を挙げた。

 ロビン(タロン・エガートン)の片腕リトル・ジョンをむしろ師匠格であるムスリムの凄腕スナイパーというか戦士にして軍師に設えていたのが、目を惹いた。そして、権力者の惹き起こす戦争や彼らが煽る敵対感情が何のためのものか、また、それによる権力維持を続けるために裏で敵方に公金も流しているさまを、ある種、現代のアメリカの対イスラム政策への痛烈な風刺として描出するとともに、図らずも国民負担を増加させるたびにアメリカの兵器産業への奉仕を重ねる我が国の対米政策への風刺とも言える作品になっているところに痺れた。欲に駆られた権力者のやることに古今東西そう違いはないということだ。先ごろ沖縄スパイ戦史』の日誌に綴ったばかりのことを想起した。

 マリアン(イヴ・ヒューソン)やタック修道士(ティム・ミンチン)の造形が比較的オーソドックスなだけに、ジョン(ジェイミー・フォックス)が光ってくる。つい先ごろ観た『マレフィセント2』といい、映画を通じて窺えるアメリカの最近の世情における変化として映っているのだとしたら、好もしいことだと思った。

 日本では本作をどのように観る人が多いのだろうか。幼時のトラウマを口実に暴虐を重ねるノッティンガム州長官(ベン・メンデルソーン)に奢れる安倍政権を観、神の名の下に州長官から酒池肉林の“お・も・て・な・し”を受けて満悦の枢機卿(F・マーレイ・エイブラハム)にアメリカ大統領を観る向きのなかには、令和新選組の党首をロビン・ロクスリーに見立てる人が少なからずいるような気がした。

 '18年制作のアメリカの作り手にその意図は全くないだろうし、2019年香港反政府デモについても予見していたはずがないのに、ロビンの元に立ち上がった民衆のフッド姿がまさに香港の民衆の覆面姿とそっくりで驚いた。しかも、州兵と蜂起民衆の衝突に対して、「(権力者に支配されている者同士での)闘いはもう止めろ!」と制止する場面まで用意されていて恐れ入った。思わず標的の村['12]での「なぜウチナンチュー同士でやりあわなければならないの? 今ここに米軍も県外の人も来てないんだよ。」と機動隊とのせり合いのなかで沖縄県警の警察官に訴えていた女性の言葉を想起しないではいられなかった。
by ヤマ

'19.10.28. TOHOシネマズ1



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