『戦争と人間 第三部・完結篇』['73]
監督 山本薩夫

 総計563分に及ぶ三部作[197分,179分,187分]の完結篇を再見し、県出身の名プロデューサー大塚和らの企画による大作再見という宿題をようやく果たした。新型コロナウィルス禍により目下余儀なくされている「StayHome」の時でもないと、一挙に観るのはなかなか難しい。五年前の映画日誌今の御時勢に行政主体のイベントで本作を上映した快挙に、惜しみない賛辞を送りたいと思った。来年再来年かけて三部作とも上映したら凄いのだけれど、きっと圧力に屈するのだろうとも思ったと記した第二部、第三部がその後上映されなかったのは、本作の上映を企てた田辺氏が思い掛けなくも翌年九月に逝去してしまったせいとは限らないけれども、そのまま再見を果たせずに来ていたものだ。

 昨今、何だかおかしな政情不安が押し寄せてきているなか、侵略戦争とウィルスとの違いはあれ、世情の不安定感に半ば通じるところがあるように思えることもあって、第一部で、活動家の標拓郎(伊藤孝雄)が徴兵され、上海に向けて出征する前の夜に弟の耕平(吉田次昭)に言ったいいか、人でも思想でも簡単に信用するんじゃないぞ。分かりは遅いほうがいい。威勢のいいことを言う者が、本当は何を考えているかよく観察しろ。上に立つ者に対しては、その人に表裏がないか、いつでもどこでも同じように振舞っているかよく観るんだ。自分で本当に納得できるようになるまで決して信用しちゃいけない。というような台詞のことを思い返すべく、二日がかりで全三部を一挙に観直したところ、第二部でもこの台詞が耕平(山本圭)の口から兄の教えとして繰り返されていたことが印象深い。

 そのうえで完結篇には、序盤で「時流に便乗」という台詞が出てくる。全三部の本作は、この「時流に便乗した生き方」と「拓郎が弟耕平に遺した言葉のような生き方」、どちらを選ぶのかとの問い掛けが含まれてる映画だった気がする。今にして思えば、いまだにケータイを持とうとしない僕の天邪鬼というか、時流への便乗嫌いは、十代の時に観た本作の影響だったのかもしれない。

 その完結篇では、第二部の最後となった日中全面戦争の始まった昭和12年を途切れなく継いだ南京陥落から、昭和13年の国家総動員法を経て、昭和14年に辻政信作戦参謀(山本麟一)が率いて惨敗したノモンハン事件までを描き、既に破綻を来していながら戦線拡大路線に歯止めを掛けられずに太平洋戦争に向かっていった“大日本帝国の愚”を描いて三部作としていたように思う。第一部で伍代喬介の行く末を見届けたいと言って満州伍代公司に留まった高畠(高橋幸治)の見届けたであろうものが、描かれないままの完結篇となっているのは製作サイドの事情のようだが、何とも残念だ。妹の順子(吉永小百合)が思い掛けなく逞しい生き方をしていることに刺激されたと思しき由紀子(浅丘ルリ子)の離婚がどうなったかも気になるところだ。

 第二部とは打って変わり、伍代家の物語という点からは少々外れ、戦場映画のほうに軸足が移っていたように思われる第三部は、時局が進むにつれ、惨状も増していき、三部作のなかでも最も凄惨な状況を描いた場面が多かったような気がする。権力を握っている者の哄笑ほど醜いものはないと改めて思ったりした。それにしても、東條英機(井上正彦)が陸軍次官として昭和13年に唱えた二正面作戦は、伍代由介(滝沢修)の指摘どおり無謀であることが、翌年のノモンハン事件で明らかになっていたのに、それでも太平洋戦争に向かっていった愚は、伍代俊介(北大路欣也)が「数字を精神で膨らませる」と憤慨していた、戦力とは数字ではなく精神力だと思っている軍人ということだけでは、とても説明がつかないような気がしてならなかった。やはり第一部でしっかり指摘し描出もしていた“国民世論と御用化したメディアによる後押し”が大きいことを満州事変のみならず日米開戦に至る道においても繰り返し、きちんと指摘しておく必要があるように感じた。たとえ満州事変の頃とは比較にならない言論統制の強化により、国策への同調圧力がピークに達している時期であった事情があるにしてもだ。

 しかし今回観直してみて、場面的に強く残っているものが思いのほか多かったのも第三部だったように思う。十代の時分に観たから、そこに描かれていた理不尽さが、より強烈に響いたのだろう。

 それにしても、実に豪華な俳優陣だった。しかも、いまどきの映画事情では考えられないくらい、浅丘ルリ子にも松原智恵子にも、吉永小百合にも夏純子にもベッドシーンがあった。日活女優ではない栗原小巻と佐久間良子には遠慮をしていたようだが、さすが昭和の時代の映画だけのことはあると思った。また、第一部で当時の新聞記事が映し出されていた爆弾三勇士ではないけれど、幸治・英樹・悦史の高橋三勇士という趣向がなかなか面白かった。だが、やはり何といっても、由介・喬介の兄弟を演じた滝沢修と芦田伸介の醸し出していた圧倒的な存在感が素晴らしかったように思う。今の時代の日本映画には到底作り出せないスケール感の、実に偉大なる作品だと思う。
by ヤマ

'20. 4.19. DVD観賞


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