『戦争と人間 第二部・愛と悲しみの山河』['71]
監督 山本薩夫

 昭和3年の関東軍の専行による張作霖爆殺事件に至る北支の状況から始まり、昭和6年の柳条湖(溝)事件を契機とした昭和7年の第一次上海事変後の満州国建国までを描いた第一部「運命の序曲」に続く第二部は、三年間空けた昭和10年の北支の状況から西安事件を経て「抗日即生不抗日即死」を掲げた抗日激化を受けた昭和12年の盧溝橋事件による日中戦争開始に至る三年間を描いていた。

 第一部の基調を保ちつつも、人間ドラマとしての恋愛劇のほうに軸足を置いた作品になっていたように思う。それについては、伍代順子(吉永小百合)と耕平(山本圭)はまだしも、主軸となっていた伍代俊介(北大路欣也)と人妻温子(佐久間良子)の道ならぬ恋や、服部医師(加藤剛)と趙瑞芳(栗原小巻)のままならぬ恋は、あまり上手く物語に作用しているようには感じられなかった。ただ、狩野温子が伍代英介(高橋悦史)の元婚約者だったり、親日家だった瑞芳が英介に犯されて抗日運動に走ったりと、いずれも英介がらみであるのが妙に面白く、そう言えば、順子もまた英介の妹だったなと思ったりした。対中強硬策を持論とする叔父の喬介(芦田伸介)に同調しつつ喬介ほどの思慮がない分、不遜で驕った英介こそは、当時の日本の世論を体現する人物として置かれていたから、彼に翻弄された温子と瑞芳、それぞれの心情と辿った道が即ち日本と中国という国に重なる設えになっていた気がする。

 本作のなかで最も冷静で正確な状況判断ができていたのは、第一部の冒頭で掲げられてもいた“満蒙開拓”に専心すべきで、欧米との権益衝突が生じる南下政策を採るべきではないとしていた伍代家当主由介(滝沢修)と陸軍参謀石原莞爾(山内明)だったように思うが、ある意味、本作において経済界と軍部を代表する最高実力者の位置に据えられていた二人の見識によっても制御できなくなる、“情勢というものの手に負えなさ”が描かれていたように思う。アンダーコントロールなどできなくなるのだから、無理な力技を国策として講じることは、結果的に多くの人々を厄災に陥れることになるわけだ。

 また、五年前に第一部を再見して最も驚いたこととして記した満州の朝鮮人による反日武装暴動と台湾での霧社事件への言及のうち、前者に当たる徐在林(地井武男)へのコミットが印象深かった。彼が雪中に葬って見送った明福(木村夏江)の元を後に訪れ、桃の花を手向けたなり植えた場面が第三部「完結編」に出てきたような覚えはないが、そうなっても不思議ではないように感じた。日本人からも中国人からも虐げられた朝鮮民族へのこの眼差しは、五味川純平の原作にあるものなのか、脚本の山田信夫によるものなのか興味深いところだ。

 それにしても、戦争の本質とは権益争いに他ならないとの達観の元、作り手の“貧しき者に苛烈な犠牲を強いた旧日本軍、憲兵、治安警察への憤慨”には並々ならぬ迫力があって、石井機関とも呼ばれた満州七三一部隊の行状への言及も漏らすことなく描いていて、大いに感心した。それと同時に、確信犯的悪漢としての存在感をいかんなく発揮していた伍代喬介や鴫田駒次郎(三國連太郎)の人物造形の見事さに改めて唸らされた。喬介が多用していた「おぬし」というのは、公開当時けっこう流行ったのではないかという気がしたが、曲者役の台詞なので、そうはいかなかったかもしれない。
by ヤマ

'20. 4.19. DVD観賞


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